第四話 「優斗のこと……」

「な……麗奈」


 昼休み。私は微かに聞こえてくる千尋の声で我に返ったように視線を正面にうつす。


「どうしたの? 授業中、上の空みたいだったけど」


 千尋はそう語りかけると、机を合わせる。


 私と千尋の席の机が触れ、木材が音を奏でる。


 微かに机が揺れる感覚が伝わると、私の口が開く。


「そんなことないと思うけど……」


 こうこたえた私だが、四時間目までの授業の内容はほとんど覚えていない。


 千尋は椅子に腰を下ろし、可愛らしい包みに覆われた弁当箱をゆっくりと机上に置く。


 包みの結び目を解くと、弁当箱が姿を現す。この日は二段の黒い弁当箱だった。


 上段の蓋を開けると、ミートボールやポテトサラダなど数種類のおかずが姿を現す。


「美味しそうだね」


 私は千尋の弁当箱を眺める。


 千尋は微笑みを作ると、白米が敷き詰められた下段の蓋を開ける。


 そして、手を合わせた千尋は私と視線を合わせる。


「好きな人でもできた? そんな感じのことを潤一から聞いたんだけど」


 千尋の言葉に私は視線を右隣の席にうつす。


 そこに潤一の姿はない。四時間目終了の号令後すぐ、廊下に歩みを進め、ちょうど教室を出た優斗君とともに、そのまま姿を消した。



 優斗君の姿が目に飛び込んだ瞬間、私は千尋の声が聞こえてくるまで、視線を一点からうつすことができなかった。



 千尋は机に視線を向け、右手に箸を持つ。


 そして、千尋が左手に弁当箱を持った瞬間、私は彼女の問いにこたえる。


「好きっていうのかな、この感情……自分でもよく分からなくて……」


 かすれた声を発すると、千尋は一度、弁当箱と箸を机上に置き、前傾姿勢をとるように私の目を見つめる。



 私は優斗君にどのような感情を抱いているのだろう。


 潤一の問いに頷きかけたのはどういった感情が働いたからなのだろう。


 

 私があれこれ自問していると、廊下から一人の男子生徒の声が聞こえてきた。


「じゃ、また後で!」


 無意識に廊下方向に向いた私の瞳には、ビニール袋を左手に提げている優斗君の姿がうつる。


 潤一に手を振った優斗君は、そのまま一年三組の教室に歩みを進める。


 その時だった。



「え……」

 

 私が思わず声を漏らしてすぐ、頬に熱が帯びる感覚を覚える。


 やがて、周囲の音がすべて遮断される。


 私の耳に音が飛び込んできたのは、優斗君の姿が見えなくなった直後だった。



「……麗奈?」


 男子生徒の声で、私は金縛りから解放されたように、右方向を向く。私の右隣の席である潤一は左手にビニール袋を提げた状態で、私の顔を覗き込むように視線を合わせる。


「どうしたんだよ、麗奈。昨日から様子が変だぞ?」


 潤一は言葉を続けると、ペットボトル飲料などが詰められたビニール袋を机上にゆっくりと置き、椅子に腰を下ろす。


 そして、黒板を眺めるように横顔を私の目にうつしてからわずかな間の後、潤一が低い声を発する。


「なあ、やっぱり優斗のこと……」


 次の瞬間、やさしい風が教室の窓を叩き、音を奏でる。

 

 その音はまるで、潤一の続く言葉を私に届けているようだった。


 潤一が発しようとした言葉を私は理解していた。



 風がんでからおよそ五秒後。


 私は首をゆっくりと縦に振った。

 

 

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