第2話

 夜明けの空気はちょっぴり冷たくて、そしてやっぱり重たい。

なぜなら、ミリエンヌが引きずっているトランクが、想定よりはるかに重かったからだ。

「・・・ふぅ、まさかこんなに重たいとは、ドレスを五枚も入れるのは無謀でしたわね・・・でも、おしゃれは作戦ですもの!」


ズズッ、ズズズッ。


 トランクは王都の整備された路地の石畳にすら引っかかり、石畳がダメなのかと脇の土の道に行けば、ぬかるみではまり込み、とうとう道ばたで一休みしていた。ちなみに、脱出したお屋敷の目の前での出来事である。


そしてそこに、コツ、コツ、と近づく足音。

「嬢ちゃん、どこ行くんだい? 朝っぱらから一人旅か?」

声をかけてきたのは、オレンジ色の髪と髭がボサボサの若いような気がする男。

ぼうっとした顔に、貴族には見えない動きやすそうな服。見るからに“知らない人”だった。


 ミリエンヌはすかさず一歩後退し、トランクを盾にした。

「あなた、知らない人でしょう!? わたくし、常識はちゃんと心得ておりますの。知らない人について行ったら、だいたいおしまいですわ!」

 その男は、口を開けてしばしポカンとしていたが、やがて笑った。

「そりゃまあ、ごもっとも。私、ロルフ・グリヴァルトと申します。お嬢様は?」

「はっ!これは丁寧に、エルヴァン伯爵家の長女ミリエンヌ・エルヴァンともうします。」

ロルフと名乗った男が、急に姿勢をただし丁寧に訪ねてきたのでミリエンヌはつい答えてしまった。


「してお嬢様、そっち方向、街とは真逆ですが、どちらへ向かわれるので?」

「……へ?」

「そっち行ったら森ですよ。もし街に行くのであれば、こっち。んで、お嬢さんはどこまでいくんだい?」

ロルフは、ミリエンヌが進もうとしていた方向とは逆を指して言った。

「えっと、エルヴァン領のおばあ様のお屋敷よ!でも、森だって、計画通りですわ!」

ミリエンヌは一瞬焦った素振りを見せたが、すぐに鼻をふくらませ、

「わたくし、ただの令嬢ではなく、“リベンジ型冒険令嬢”ですの。森で自立スキルを磨く予定でしたのよ!」

 ロルフは目を見開いた後、なんとか笑いをこらえた。

「へぇ、そりゃすごいですね。ところで、そのトランク車輪にロックがかかってますよ。」

「へ?、、あ、うぁっ、本当だわ!どうで、重たいはず・・・あなた、これを見破るなんてなかなかやるわね、あなた、きっとスパイとか裏工作が得意な人ね!!」

ビシッと、ミリエンヌが言うと、ロルフは、クルっと後ろを向いた。

しばらく、ロルフの背中が震えていたかと思うと「・・・ひー・・・もうだめ、笑いすぎて苦しい・・・」とか何とか言っているのが、聞こえてきて、ミリエンヌはちょっといたたまれなくなって真顔になっていた。


 ひとしきり笑ったロルフが息も絶え絶え向き直ると、

「お嬢ちゃん、気に入った、このロルフさんが行きたいところまで連れて行ってやるよ、実は俺は馬車に品物を乗せて売り歩く商人なんだ、この先に馬車も止めてある。次の行き先はなんとエルヴァン領なんだ、乗せて行ってあげよう。」

「知らない人の馬車に乗せられるなんて、ありえませんわ!」

即答だった。ぴしっと指を立てて拒否したミリエンヌに、ロルフはぼそっと言った。

「エルヴァン領まで、馬車でも3日かかる」

「余裕ですわ・・・へっ?馬車で3日?」


そういえば、いつもそれくらいかかっていたかもと、ミリエンヌは前回領地に戻った時のことを思い出していた。さらに、未だ屋敷の目の前だということ、トランクの車輪にロックがかかっていたという事実、今まで無理やりトランクを引きずってきた疲れと、お腹のぐーぐーなる音に押されて、ミリエンヌはとっさに別の提案をしていた。


「では、こうしましょう。あなたを雇って差し上げます。わたくしの運搬係として! 報酬は、ここにありますわ!」

そう言ってポケットに入れていたものと、靴の中に隠していたお小遣いの紙幣を出した。

「く、くくくっ、すごいところからお金出てきた」

ロルフは、笑いを耐えるのに必死だっだが、言葉を続けられないロルフを見て

「これじゃ足りないかしら?」


そう言って、タイツの中に隠したお金を取ろうと、スカートの裾を両手で持ち上げようと掴んだところをロルフにすごい勢いで、両手で押さえられ止められた。

「いえ、十分です。」


 ロルフは、ミリエンヌの動きをとめたあと、ゆっくり手を離すと、しばらく後ろを向いて笑っていた、人ってこんなに笑えるんだなってくらい笑っていた。なんとか呼吸を整えたロルフは、


「はー、笑った、笑った。こんなに笑ったの久しぶりだ。

 ところで確認だが、嬢ちゃんのおばあちゃんって、もしかして、 ルクレツィア・エルヴァンなのか?」


「ええ、そうですわ!わたくし、ミリエンヌ・エルヴァンですもの!」


 ぴしっと名乗ったその顔は、今朝食べたチョコレートが口の横につき、お仕着せのポケットからはお菓子の包み紙のクズがのぞき、靴には泥がはね、終いには寝癖まで直しきれていなかったが、なかなか威厳があった。


「・・・ははは。こりゃ面白い旅になりそうだ。」

ロルフは笑って、トランクをひょいと片手で持ち上げた。

「是非、私めをお雇ください。お嬢様。」

そう言って「従者」らしく、礼儀正しく一礼すると、ミリエンヌも鼻高々に頷いた。


「ではロルフ、雇用契約が成立いたしましたわね。まずは、美味しい朝食を探しなさい。重要任務ですわよ!」


「へいへい、お嬢さま。」


こうして、ミリエンヌと“運搬係ロルフ”のエルヴァン領までの旅が始まった。

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