第24話 家族として

「レンマか」

「お側、よろしいですか」


 レンマは微笑むと、俺の返事も待たずに枕元に座る。俺も何を言うでもなく彼女の膝枕にお邪魔した。


 俺もレンマもしばらく口を開かなかった。寝る前の膝枕はいつもそうで、風の音や虫の音を聞きながら一言二言を交えて眠りにつく。


 けれども今日は少し違う。外の音が耳に入ってこない。悶々とした気持ちは後悔。あの時ああしていればという、取り留めもない思考が頭の中に広がる。


「……トヨの事、俺のせいだ」


 思わず口からそう漏れた。


「そんな事はございません」

「俺があの時レンマを止めなかったら、トヨはああならなかったかもしれない」


 鬼島津の亡霊との戦いに決着がついた後、よかれと思ってトヨを走らせたのは俺だ。


 あの時レンマはそれでもとトヨを止めようとした。用心に用心を重ねていたのは彼女の方だった。


 今考えれば、俺の行動も奴は読んでいたのかもしれない。安倍晴明あべのせいめいは俺が抱く「人として当然」という感情を逆手にとって、トヨを叔母の元へ走らせたのだ。


 卑劣な手だ。けれども、詭道と見るなら当然か。戦いは裏の裏をかく。俺は間抜けにも奴の術中に嵌ってしまった――


 ――いや。


 仮にそうだとしても。


 俺は根本的に、トヨから距離をとりたかったという気持ちがこの油断を引き起こしたのだと思う。


「聞いてくれレンマ。俺はね、ずっとトヨに殺されると思っていたんだ」


 俺の髪を撫でるレンマの手が止まった。


「前にも言ったよね。関ヶ原の記憶が無いって。俺はね、もしかしたらトヨ達を全滅させたんじゃないかって、そう思っていたんだ」

「――噂に聞く、シオン様の蹂躙劇でございますね。無数の式神が西軍を襲い、地獄を見せたと」

「ヨシミツの話や井伊直政いいなおまさの件で俺じゃない可能性は高い。高いけれど……それでも、記憶がないのだから断定はできない」


 何故なら元の秋津那紫苑あきつだしおん安倍晴明あべのせいめいに匹敵するクソ野郎の上に、気分屋のトリックスターだ。行動を読み取るのは困難を極める。


 しかも正規のシナリオとは違って俺とトヨそして安倍晴明あべのせいめいが一緒にいたというのだからもう何が起きていたかわからない。


 最悪のシナリオは、俺が先に島津衆を襲った後に安倍晴明あべのせいめいがやってきたという形だ。


 安倍晴明あべのせいめいとの一悶着の後、トヨが記憶を失っているのを良いことに何らかの理由で井伊直政いいなおまさを脅し口封じをした後、刷り込みも込めてトヨを助けたように見せかけたとしたらどうだろうか。


 元の性格の秋津那紫苑あきつだしおんならそのくらいは


 隠蔽目的ならまだ可愛い方で、彼ならいつバレるだろうかとチキンレースをするくらいには性格が悪いからだ。


 どうあれ人格としての俺がやったことではないのだけれど、それでもトヨに接するのは罪悪感がある。彼女にとって俺の中身が入れ替わっているなどは預かり知らぬことだからだ。


 仲間と母を手にかけた男が平然と家族として接していたとしたら。


 トヨの憎悪は、爆発的に膨れ上がるだろう。


 その時のトヨの顔を見るのが怖い。


 想像するだけで心が切り裂かれそうだ。


 そのくらい俺はトヨを可愛がっていたのだと、今気づいた。


「……ならば、逆に断定してしまってもよろしいのではないでしょうか」

「え?」

「シオン様自身が、トヨちゃんの仇であるはずがないと思い込んでしまうのですよ」

「でもそれは――」

「忍びは事実だけで判断する訓練をしています。人の頭というのは、「もしかして」を余分に作り出す場所です。それによって正しい考えができない事はままありますから」

「俺もそうなっている、という事かな」

「シオン様は聡明な方ですから。そのような方が思考の坩堝に陥りやすい――と、風魔では考えられていますので」


 少し驚いた。俺は別に精神分野や脳医学の専門家ではないけれども、聞いている限りでは現代の考え方のそれに近い。


「シオン様は当時のことを覚えていらっしゃらない。そして、トヨちゃんを助けて船に載せたのは事実。それに何より……」

「何より?」

「トヨちゃんに優しく、家族のように思っていた。それは私が見ても間違いようのない事実でございます」

「――」

「トヨちゃんはさらわれるその間際、シオン様に助けを呼んでおりました。万が一、トヨちゃんがシオン様を恨んでいたらそのような言葉は出ないと、レンマはそう思うのです」

「そう、かな……」

「そんなに自分をお責めにならないでくださいませ。このレンマが見ているシオン様は、とても素敵な方でございますから」

「ありがとう――あんまり嬉しいこと言われると、こうしちゃうぞ」


 涙を流しているのが急に恥ずかしくなって、レンマの方を向いて彼女のお腹に顔を埋めた。


 うっすら感じる割れた腹筋と、それでもふんにゃりと柔らかい肌の感触。夜着越しでも感じる彼女の感触が、俺の中にあるドロっとしたものを流してくれる。


「みゃん!」


 顔をうずめた途端、ものすごい声が聞こえた。チラッと見てみると、豊満な胸の奥でレンマが目をバッテンにして顔を赤くしている。


「レンマ?」

「すっすいません……やっぱりそのぉ。シオン様にそのように触れられると、は、恥ずかしくなってしまい」

「忍びってそういう訓練受けてるんじゃなかったっけ?」

「シオン様だけですよこのような事になるのは……ひゃん!」


 面白がってレンマのお腹にまたしても顔をうずめる。もぞもぞ動くたびに可愛い声をあげるのが愛おしい。


「も、もう! ダメでございますシオン様!」

「そうだね。トヨがさらわれてるんだ。ここで君と寝たら明日の新月の夜の戦いに響くし――」


 それに、本当ににならないとそういうことをしたくない。


 だんだんと慣れてきたと言うか、お約束というか。


 ――気づいているぞ。


 蝋燭の光に照らされてできる俺とレンマの影に、少しだけ濃い部分がある。



 起き上がり、濃い影の部分に触れてみると……やはりか。


 そのまま弄っていると頭のようなものが手に当たったのでガッと掴み、そのままずるーっと引き上げてみる。


「わっちの術を見破るとは流石はお館様……」


 出てきたのはやはりクロミツだった。影を自在に操る術と聞いていたので予想していたけど本当に出てくるとは。


 さらに引き上げてみると何も着てなかったので、胸まで出たあたりでもう一度影に押し込んでおく。そして枕元に置いてあった札を掴むと、三號式神術【アリ】二匹を呼び出した。


「お仕置きだ。お尻を噛んであげなさい」


 布団の上で「イエッサー」と【アリ】が敬礼すると、ぴょーんとクロミツの影に飛び込んでいく。


「ひぃやああああ!」


 クロミツの影が波打つと、そのまま襖の間を通って外に出て行ってしまった。


 外から「あひぃ!」だの「お館様のいけずぅ!」だの悲鳴が聞こえてくる。


「申し訳ありません。やはり一度叱っておかないといけませんね」

「甘えてくるのは嬉しいんだけどね。家族としては」

「ふふ……クロミツが聞いたらまた喜んでしまいますね。家族だなんて」

「君もだし、もちろんトヨもだ。だから――必ず彼女を取り戻そう」



 ⭐︎



 次の日。新月の夜。


 トモエの里はやはりいつも通り静かになる。歓楽街は早々に店じまいをはじめ、家々は雨戸を閉め切った。


 そうしていつも通り、俺たち冥狩人くらがりびとは奈落の入り口に陣取り、結界の鳥居に集まる妖魔たちを待ち受けていた。


「……以上がこの一連の辻斬り騒動の概要じゃ。敵は四百年ぶりに魔人となって蘇った安倍晴明あべのせいめい! これが神渡みわたりの見解じゃ!」


 集まった冥狩人くらがりびとにそう演説するのはシラタマだった。


 今回の件について公にしようと言ったのは彼女の案だ。辻斬り騒動で疑心暗鬼になった街の住人にとって、何が敵かというのをハッキリさせた方が団結できるとのことだ。現に「島津の魂を汚した外道の犯行」と聞いた時点で集まった冥狩人くらがりびと達は「なんて卑劣な事を!」と憤慨していた。


「奴は小賢しくもこのトモエの里を内側から崩さんとした。恐れ多くも天帝から名を受けた我ら神渡みわたりに弓引くものじゃ。者ども、奴を妖魔共々、一片の容赦無く誅せよ!」


 応! と冥狩人くらがりびと達が拳や得物を天に突き上げて応えた。


 その声はいつもよりも大きく広場に響き渡り、結界前で待機していた妖魔達が驚くほどだ。


「今回はみんなやる気だな」


 陣内で床几しょうぎに座るホムラがそう言った。彼女の持つ朱槍の穂先がいつもより輝いている。念入りに研いできたのだろうか。


「ホムラ殿もな。いつもより静かだが、沸るような霊力を感じるぞ」


 いつも通り道具を点検しているヨシミツ。しかしほんのりと肩に霊力のオーラめいたゆらぎを感じる。力がみなぎっているのだろうか。


「オジサンも気合を入れて晴明討伐といこうかねぇ」


 口調こそいつものゲンゴロウだが、今日は酔っていない様子。顔もいつもよりもマジの顔になっている。


「カツミちゃんもういいのかい?」

「あったりまえだ。あの安倍晴明あべのせいめいだかなんだかって野郎には一太刀浴びせねーと気が済まねえしよ」


 もう復帰してきたカツミはピンピンしていた。時々辻斬りに切られた時のことを思い出しているのか、ギラっと目の白黒が反転しては元に戻っていたりする。


「トヨちゃん大丈夫でしょうか……」


 一人だけ元気がないのがリンネだった。


 トヨが消えたのがかなりショックだったらしい。


「大丈夫だよきっと。それに俺も今回は気合を入れてる。大型妖魔はさっさと倒して、すぐに第四階層に向かおう」

「そうですね。きっとトヨちゃんなら――今日、このために鍛冶屋さんで剣を新調してみたんです。シオンさんの露払いなら任せてください」


 リンネがスッと剣を抜くと、いつの間にか西洋の両刃剣になっていた。確かグラディウスとか言ったか。よく見れば背中に鋼鉄製のラウンドシールドも背負っている。


「盾も新調したの?」

「そうです! 蟹攻船覚えてますか。信長公の鉄甲船を背負ったヤドカリ!」

「もしかしてあの時拾ったガラクタがそれ!?」

「そうです! すごいでしょう! 鍛冶屋の人が気合を入れて直してくれたんです!」


 なるほどあれが武器カテゴリの解放条件だったのか。使ったことないからすっかり頭から抜けていた。


 剣と盾のツリーは時代背景にそぐわない西洋の武具ばかりなのだが、逆にそれがいいと人気もあった。


 盾があるせいかパリィ中心の技ばかりだったので使う人はみんな上級者というイメージがある。ぽややんとしているリンネは使いこなせるだろうか。


 もし使いこなせるのだとしたら攻め攻めなビルドの他の連中に対してこの武器ならバランスがいい――いや、最適解と言っていいかも。彼女が相手の攻撃を崩したところにみんなでボッコボコにする、みたいな戦い方ができるかもしれない。


 程なくして前線で様子を伺っていたレンマ達から結界が限界だという連絡が入り、俺たちは一斉に陣を飛び出して最前線へと向かう。


 例によって結界の中央には黒いモヤのような塊が浮かび上がっていた。丸く球のようになると、結界へ血管のような管を複数伸ばして侵食を始める。


 やがて結界が砕け散ると、黒い球が弾ける。そうして現れたのは……超巨大な樹木。


 当然ただの樹木ではない。幹の中央には髑髏に似た顔もあるし、根もウネウネ蠢いている。


「ああそうか。この月は『樹木子ジュボッコ』だったか」


 にわかに満開になる妖樹の花。


 それは血に染まった桜のようだった。

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