第19話 魚抜き冷や汁

ピピピピッ、ピピピピッ


 正午過ぎに不釣り合いな目覚ましのアラームが響く。そのやかましい音を聞き、狐乃渡このわたり真名子まなこは重々しくベッドから立ち上がった。バイトの都合で夜型の彼女にとって、この時間が起床の時なのだ。


 パジャマを脱ぎ、シャワーを浴び、髪を乾かしてから歯を磨く。きっちりとした性格の彼女らしく、これらの動作は滞り無くスムーズに行われる。そしてスーツ姿に着替えたのち、朝飯とも昼飯ともいえる食事を作り始めた。


「ふわぁぁぁ……おはよう狐乃渡の。」


「おはようございます鴉魅からすみさま。今日もだらしない寝起き姿がプリティーですね。」


 遅れること1時間、彼女の式神たる鴉魅も目を覚ます。既に飯の準備は整っていた。事務所のテーブルに白飯の入ったおひつと、汁物の入ったボウルが並ぶ。


「すみません。寝る前にご飯を炊き忘れていましたので、本日のご飯はいつもの『魚抜き冷や汁』になります。」


「いや、今日はまだ暑いゆえむしろ好都合じゃて。昨日の酒で腹も荒れておるしのう。」


 そう言うと鴉魅は茶碗に飯を取り、ボウルの中の汁物をぶっかけ、そのまますすり込んだ。




 冷や汁―――焼いた魚をすり鉢でよくあたり、冷たい味噌仕立てのスープに他の具材とともに加え、ご飯や麺類にかけて食べる汁物料理。宮崎や埼玉を代表として日本の津々浦々で見られる食事形式だ。


 しかしいちいち魚を焼いてほぐすのは面倒と考えた真名子は、さらに単純化したレシピを考案した。ひきわり納豆をよくかき混ぜ、お湯でなく水で溶いたインスタントのわかめ味噌汁・握りつぶして細かくした木綿豆腐・刻んだ大葉とネギを加えたら完成だ。


「キュウリやミョウガを加えてもいいかもしれません。私は嫌いだから入れませんが。」


 合わせる冷や飯は一度レンジで温めてから、流水にとって熱を飛ばす。冷蔵庫から出したばかりの冷や飯ではでんぷん質が変質しており、ボソボソとして舌触りが悪いのでこの一手間が必要なのだ。


 その甲斐もあって食感は良好。流水でほぐした冷やご飯が、納豆でとろみのついた味噌汁と爽やかな具材を纏ってサラサラと胃に収まっていく。二日酔いや暑い日の食事にピッタリで、狐乃渡家の定番メニューとなるのも納得の一品だ。


「ふぅ、ご馳走さん。さてそろそろ2時じゃし事務所も開けんとな。」


「ですね。まあ今日も客が来るかどうか怪しいんですけども。」


 そう自嘲しながら真名子は玄関に向かう。そして店先の表札を「営業中」に入れ替えるべく戸を開けた。


 がちゃ


「あ、やっと開いた。遅せーし!」


 しかし彼女の予想を裏切り、店先には既にひとりの女性客が開業時間まで待っていたのだった。






「あーし須藤すどう綾音あやね。潮崎高校の二年でーす。」


 それは奇妙な客だった。肌は浅黒、髪は金髪、制服の着こなしはだらしなく全身にはアクセサリーがジャラついている。所謂と呼ばれるタイプの女性だ。


 基本的に祓い屋に頼みに来る層は年長者がおもだ。基本若い人は霊的存在を信じないし、何より一回の依頼料が6桁7桁いくともなれば懐に余裕のある人間しか利用できまい。


 だというのに目の前に腰掛ける依頼人は「いかにもオカルトを信じなさそうな見た目の」「親同伴でない女子高生ひとり」というレアな存在であった。どんな依頼なのか?ちゃんと金は出せるのか?対峙する真名子も怪訝な表情を浮かべる。


「でさー、一年前に死んだおばーちゃんが寝てる時に枕元に立っててさー。しかもけっこーな頻度で。だからあーしも困ってんのよー。」


 そんなこちらの懸念をよそに、依頼人のギャルは気だるげな口調で自身に降りかかっている心霊現象の説明を続けていた。悩みのタネは夢枕に立つ祖母、これを祓ってくれということだろう。


「で、祓い屋のおねーさんに頼みなんだけどさぁ―――」


 容姿から察するに、素行不良で家族に迷惑でもかけていたのだろうか。それで祖母が死んでも死にきれず警告に来ているという因果関係が想像できる。それだけに鬱陶しがって無碍に祓うというなら気が引ける依頼だ。真名子は事と次第によっては断ることも視野に入れていた。



「―――巻き寿司の作り方教えてくんね?」



 そして実際の依頼内容は、彼女の予想の遥か斜め上へとかっ飛んでいくようなものだった。






「あーし、こんなナリだけど学校じゃユートーセーで通ってるんで。」


「は、はぁ……」


 こちらの見た目からの決めつけを見透かしていたかのように、綾音は胸を張って自分の学園生活を自慢する。後で聞いた話だが、実際に学年考査では毎回10位以内、部活動や委員会活動でも結果を残す本物の「優等生」らしい。


「でも、こんだけユートーセーしててもおばーちゃんはまだ安心してくれないみたいでさ……」


 さっきまでギャルらしく快活だった綾音の声のトーンが急に下がる。


「あーし、小学3年の頃までは泣き虫でさ。学校で何かいじめられたり嫌なことがあるといつも泣いて帰って、そのたびにおばーちゃんが優しく慰めてくれてたんだ。」


「でもこのままおばーちゃんに心配ばっかかけられない、高校上がったらしっかりしようと思って。ナメられないようにこんなカッコするようになって、勉強も運動も頑張って、もう大丈夫だよっておばーちゃんにアピってたの。」


「……でもそれでもまだ駄目みたい。おばーちゃん一年前に死んじゃってからも、しばしば夢枕に立って心配そうな顔でコッチ見つめてくるの。」


 自嘲するようにはにかむ綾音だが、その瞳には未だに祖母に心配をかけてしまう己の至らなさへの悔恨が見える。その様子から見た目とは異なる生来の生真面目さが滲み出ており、その言葉が信用に足ることを確証させた。


「しかしそこで何故巻き寿司を?」


「おばーちゃん納豆巻きが得意料理でさ、あーしも大好きだった。どんだけ泣いててもコレ食べたら元気になるってんで、特に塞ぎ込んでたトキなんかはいっつも作ってくれてたんだよね。」


「ふぅむ……」


「だからさ、おばーちゃんに一番心配かけてた頃よく食べてた納豆巻きを、あーしが作れるようになったって証明できたのなら安心してくれるのかなって……だからお願い!」


 綾音は深々と頭を下げる。礼節は弁えているようだ。しかしそれでもまだひとつだけ、真名子には解せないことがあった。


「しかし何故うちにそんなお願いを?そういうのは料理学校とかの領分であって祓い屋の仕事では無いのですが?」


「地主さんとこのおねーさんが、ここに料理上手がいるから訊いてみたら?って言ってた。」


「あの野郎……」


 真名子の脳裏におっとり未亡人にしか見えない女性の姿が浮かんだ。そもそもこの近隣で自分の料理上手を知る人間は彼女ぐらいしかいないことを思い出し、つくづく知られるべきではなかったと後悔するのだった。


 とはいえ旧知の仲である以前に、地主で大家たる人間の面子に泥を塗るような真似は賢い選択とは言えまい。依頼人も見た目に反して良い子だったこともあり、彼女の願いを叶える方向で話を進めるのだった。




「んじゃ、一度実践して見せますのでよく憶えといてください。」


 普段客人を入れることのない台所スペースに人を連れてきての料理講義が始まる。ちょうど冷やご飯と納豆には在庫があったのは幸いか。冷やご飯にはを混ぜ簡易的な酢飯にする。綾音はひとしきり揃った材料を狭いスペースから真剣な目で眺めていた。


 まずはの上に半分に切った板海苔を乗せる。そして海苔の上に縦横1cm位の余裕をもたせるように酢飯を薄く広げる。更に中央にひき割り納豆を乗せたら、ごとぐるりと巻き込む。ギュッギュと押さえて軽く握り固めたら5分ほど放置し、を外して納豆巻きの完成だ。


 いつぞやから包丁の切れ味が落ちたままので少し難儀したが、綺麗に切り分けられたそれは店売りのものと大差無く、綾音は噂通りの腕前に舌を巻く。同時に自分に同じような真似ができるのだろうかと不安になった。


「今更言うのもナンだけど、あーし今まで料理らしい料理なんかしたこと無いんだよねー……」


「まあ他の料理の経験則が活かせるようなもんでもないですし、習うより慣れろの気持ちでドンドン練習するしか無いでしょう。お祖母様のためにも。」


 「祖母のため」、その言葉が綾音の不安をかき消した。場所を代わり材料の前に立ち、いざ実践へと入る。しかし―――



「あれ?なんか海苔足りなくね?」


「いや、酢飯を詰めすぎですね。海苔の円周に収めるぐらいの量にしないと。」


「うわっ!なんか中身出てきたし!」


「強く握りすぎです。ただでさえ中身が柔らかい納豆なんですから、そんなに力入れたらそりゃはみ出ますよ。」


「なんか全然切れないんですけどー!?」


「それはまあ包丁研いでない私が悪いところではありますが、にしたってそんな力任せに押し切ろうとしたらまた中身が……うわっ!」



―――典型的な初心者の失敗例を網羅するが如くに、無様な納豆巻きを量産し続けた。気がつけばもう冷やご飯も納豆も在庫は無い。成功の手応えも掴めぬまま、綾音の初めての巻き寿司作りは終了するのだった。


「まあ初めては誰でもこんなモンですよ。コツコツ練習を積み重ねていけば出来るようになります、きっと。」


「いつかかぁ……となると間に合わないのかなぁ……」


 綾音がポツリと呟いた一言が真名子の耳にも入り、不穏な予感がよぎる。そういえば、確かに何時までに習得したいのかという条件はまだ聞いていない。真名子は恐る恐る綾音に尋ねた。


「えっと……間に合わないって言いましたが、習得までの期限はいつまでをご希望で?」


「ん、明後日のおばーちゃんの一周忌。」


「いや、はっきり言って今の調子では2日3日で身につけるのは無理かと……」


「でも、地主さんとこののおねーさんは何とかしてくれるって。」


「ホントあの野郎……」




 今更ながらに、あんな無責任な奴の顔を立てる必要などあったのだろうか?と己の選択を見誤ったのかと思う真名子であった。



今回のレシピ

https://cookpad.com/jp/recipes/24953156/edit

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