第24話 濃厚魚介ベジポタつけ麺

(一体どういうことなんでしょう……?)


 事務所の椅子に腰掛け、狐乃渡このわたり真名子まなこは深く考え込んでいた。依頼人である麺屋めんや平九郎へいくろうの店主・山口に渡した護符は実家から取り寄せた一級品だ。それで効果がなかったとすれば、害意を持たぬ騒霊か、あるいは規格外の悪霊か、ということになる。


鴉魅からすみさま、あの辺りにヤバイ邪神とかが眠ってるとかそういう記憶はありません?」


「そんな物騒なモンがあの辺りにあるなど、見たことも聞いたこともないわい。」


 千年の長きに渡りこの地方に住み着いていた土地神にも、そういったものに心当たりはなさそうだ。となれば前者の可能性が湧いてくるが、「眠リ妨ゲルコトナカレ」と震える声で言うような霊が無害とはあまり思えない。


 ともかく今は少しでも情報が欲しい。改めて真名子はネットで麺屋平九郎のことを調べる。目に留まったラーメンレビューサイトを流し読みしていると、絶賛するコメントに混じって「麺とスープのバランスが悪くなった」等のコメントも見受けられた。


「あれ?」


 ふと、違和感を覚えスクロールする指が止まる。味が落ちたことを示すコメントが最初に書き込まれたのは一月前。しかし山口は確かに「2週間前から霊の声が聞こえるようになった、そのせいでパフォーマンスが落ちた。」と言っていた。


(味が落ちたのは霊障のせいじゃない……?)


 とはいえ、発言の矛盾に気づいたとてそれが何かの足がかりになるわけでもなし。結局その日は引っかるものを憶えながら真名子はバイトに行かざるを得なかった。






「おお、帰ったか狐乃渡の。早速作ってくれい。」


 早朝バイトから帰れば出迎えるのはいつも通りに酔っ払った土地神。例によって図々しくもを要求してくるが、今日は真名子もひどく疲れていた。


「今日はもう簡素なものしか作れませんけどいいですか?」


「おう何でも良いぞ。」


 言質も取ったところで冷蔵庫からマグロのを取り出す。先日安売りしていたものだ。丼に盛ったご飯は少し冷ましてからもみ海苔を散らし、そぎ切りにして切り出したマグロの刺身を並べワサビを添えてマグロ丼の完成だ。


「なんじゃなんじゃ。簡素と言いつつもいいモン作りよるではないか。」


 安物とはいえマグロという魚は特別感がある。鴉魅は喜び勇んで醤油を回しかけ、一気に口にかっこんだ。


「あれ……?」


「あー、これは……」


 しかし二人ともども、一口食べたところで箸が止まる。どこまでいっても醤油の味しかしない。マグロの赤身にあの独特の血の味めいたコクや香りを感じることができなかったのだ。


「ちょっと先走りすぎましたね。食べるにしても明日明後日に回すか、せめてヅケにするべきでした。」


「しかし何をどうしたらこんなに味の薄いマグロになるんじゃろうな?」


「熟成が足りないんでしょう。魚肉も獣肉もシメたては味気なくて、熟成させることでタンパク質が旨味成分に分解されるんです。マグロなんて大きな魚ならそりゃあもう相応の熟成期間が必要で―――」


 食肉における熟成の重要性を語る真名子。その脳裏に突如閃きが走る。



―――熟成、寝かせ、眠り


―――1ヶ月前から味が落ちた、麺とスープのバランス


―――2週間前から聞こえる声、害意を持たぬ霊の可能性



 バラバラだったパズルのピースがバチッと嵌ったような気がした。思わず箸を置き、その勢いのまま出かける準備をする。


「お、おい!今帰ってきたばかりだというのにどこに行こうというんじゃ!?」


「ちょっと北千住まで。麺屋平九郎さんの依頼でひとつ心当たりが思い浮かびましたので、その答え合わせです。」


 そして真名子はいつもなら寝るような時間に事務所を飛び出し、通勤客でごった返す電車へと乗り込み北千住へと向かうのだった。






「ええっ!?解決の目処が立ったって、本当ですか!?」


 そして朝9時半過ぎ、朝早く家を出て北千住で一仕事を終えた真名子たちは、返す刀で麺屋平九郎にやって来ていた。山口は昼営業の仕込みの最中で、今まさに麺生地を製麺機に通そうとしているところだった。


「はい。さしあたってその麺を今日のお客に出すようなことがあれば、今晩もまたあの声に悩まされることになっていたでしょう。」


「ど、どういうことです?」


 突然、今からやろうとしていた作業にダメ出しをされ山口は驚く。と同時に、何やら探られたくない腹を探られたかのように目を泳がせた。


「その麺生地、今朝作りたてですよね?」


「そ、それが何か……?」


「それだと寝かせが足りずに麺のコシが弱く、濃いつけ汁とのバランスを欠くのです。いやまあ、私はそんなこと気にならなかったんですけど、それこそ常連さんやラーメンマニアのお歴々には気付かれ悪評を書かれたようで。」


「うっ……」


「そしてその寝かせを省くようになったのは1ヶ月前から。そうですよね?」


 真名子の指摘に山口は言葉を詰まらせる。バツの悪そうな顔をしているあたり、故意に時系列と因果関係を誤魔化していたようだ。


「し、仕方ないじゃないですか!店は繁盛するほどに作らなきゃならない麺も増える、いちいち麺を寝かせる余裕なんて無いんですよ!それに殆どのお客さんは、狐乃渡さんのように違いの分からない人ばかりでしたし……」


 山口は逆上して言い訳を始めるが、気持ちとしてはわからない話でもない。ラーメン屋とて商売、利益と効率を求めるのは当たり前だ。細かな味の差異を見分けるごく少数の人間におもねって要らぬ苦労をするというのも馬鹿馬鹿しい話だろう。


 その「殆どのお客さん」側である真名子もそこを責めるつもりは無い。しかし、どうしてもそのことについて一言言ってやらねば気がすまない者が別に存在していたのだ。


「だいたい、そのことと例の悪霊の声に何の関係が―――」


「―――しかし、2週間前にその手抜きを知り、咎めようとする者がいた。それがあの声の主です。」


 反論の声がぴたりと止まり、山口の額から冷や汗が流れ落ちた。心当たりがあるのに黙っていたことを確信した真名子は、冷徹な口調で淡々と話を続けた。


「いやあ、私もすっかり勘違いしてました。『眠リ妨ゲルコトナカレ』なんて物々しい言い草だと悪霊か何かだと思っちゃいますよ。しかし、言ってることは『麺の寝かせをしっかりやれ』って叱責でしかなかったんです。」


「ま、まさかやっぱり声の主って……」



「そう、あなたのお師匠さん。今は亡き平塚家ひらつかやのご主人です。」



「今朝その方のお墓に参り、交霊して本人にお話を伺ってきたんです。可愛い弟子が忙しさにかまけて手抜きをしている、叱ってやろうとしても霊としての格が低いから変な言葉でしか表せなくて困っていた、と仰ってました。」


「ですので彼の言葉を預かってきました。

『手ェ抜いて美味くなるならばいくらでもすりゃあいい。だが、味が落ちる手抜きが許されるほどプロの世界は甘くねェ』

とのことです。」



 師からの伝言を聞き、山口は観念したかのように膝から崩れ落ちた。しかし、その表情はなぜか清々しいものだった。まるでこうなることを望んでいたかのように。

 

「……狐乃渡さんにはひとつ謝らなければならないことがあるんです。」


「何です?」


「実は最初からあの声の正体がおやっさんだってのは薄々感づいていたんですよ。厳しいおやっさんのこと、死んでなお俺の手抜きを叱りに来たんじゃないかって。」


「でも手間と利益を考えたらそうそう改めることなんてできやしない。商売人の効率と職人矜持の板挟みの中で、ワンチャンおやっさんじゃない可能性や、あるいは有耶無耶にして祓ってくれることに賭けて狐乃渡さんにお願いしたんです。」


「……まあ結果は案の定でしたけど。ホント、厳しいやおやっさんも狐乃渡さんも。」







 その日から、麺屋平九郎は無期限休業となった。山口曰く、歪んだ性根を叩き直すべくイチから修行をやり直すとのことだ。その修業の旅がいつ終わるかはわからないが、きっといつか一回り大きくなって帰って来るだろうと真名子は確信していた。


「というわけですので、本日のはしばらく食べられないであろう麺屋平九郎さんの再現でも頑張ってみようと思います。」


 コンロには2つの鍋が火にかけられている。片方は醤油・みりん・化学調味料・おろしにんにくとしょうがに焦げ付き防止の水を加えた醤油ダレ。これを弱火で煮詰め、温まったところでチャーシュー用の豚肉を投入する。


 冷凍庫から取り出したのはラップにくるまれた豚肉の塊。それは薄切り豚バラを4つ折りにしたものを2枚重ねラップの上から圧着、冷凍してひとつの塊にした人工豚バラブロックであった。


「豚バラはブロックで買うと割高感あるんで、手に入れやすい薄切りをこうしたほうが勝手が良いです。」


 醤油ダレの中、重ねた肉が剥がれないように気を付けながら、弱火にかける。時折裏返したりしながら大体30分、中まで火が通り両面が飴色になるまで煮込んでいった。仕上がったら肉を別皿に取り置いておく。


 もう一方の鍋には水と中華スープの素、そして細かく刻んだじゃがいも・玉ねぎ・にんにく・しょうがをこれまた弱火で30分煮込んでいく。すべての野菜が指で潰せるくらいに柔らかくなったら、ハンドブレンダーでダマが残らぬよう撹拌しポタージュ状に仕上げた。


 そこに別鍋の醤油ダレ・豆乳・お酢・そしてたっぷりの煮干し削り粉を加え焦げ付かないよう温める。鍋縁なべふちにこびりついたスープも丁寧にこそいで煮溶かしつけ汁の完成。醤油ダレに煮溶けた脂だけではアブラ感が足らないようなら追いラードするのも手だ。


 あとはつけ麺用の太麺を茹で、冷水でよく締め、器に盛る。そして取り置いた豚バラチャーシュー、メンマ、煮卵、海苔を添える。つけ汁には薬味として刻み玉ねぎと青ネギをあしらえば完成だ。



「お待たせしました本日の、麺屋平九郎風『濃厚魚介ベジポタつけ麺』になります。」



 市販品ゆえ麺こそ全粒粉入りのものとは見た目からして違うが、液体と言うよりは半ば固体に近いつけ汁やでっかい塊肉のチャーシューなど似てる部分も多い。その再現性に関しては鴉魅も認めるところだろう。


「見た目は似ておるが、さて味はどうかのう?」


 麺をすくい上げ、つけ汁に通してすすり上げる。流石に自家製麺や骨を炊いて取ったスープと同じとは言えないものの、太麺に豚の脂の旨味と魚粉の風味がドロリと絡んだ感覚は割といい線いっていた。


 チャーシューも食いでがあり、薄切りを重ねたものだけにミルフィーユとんかつ宜しく柔らかさや味染みも良好。みじん切り玉ねぎも甘み・辛み・食感といいアクセントになっていた。


「あっそうだ、途中まで食べたらこちらをどうぞ。」


 そう言って差し出したのは、オリーブオイルを加えたお酢。中盤まで食べ進め、底のほうでダマになっている麺に直接かければ程よくほぐれ、またさっぱり味がプラスされ良い味変にもなる。


 そして麺を食べきったら、残ったつけ汁を和風だしスープで割って飲む。2人はのラーメンの更にまでしっかりと堪能するのだった。




「うむ、実に満足じゃった!おぬしとしても会心の出来であったのだろう?」


「ええ、店味の七割は再現できたかと。」


 真名子の自己評価は謙遜したもののようにも聞こえるが、以前に言っていた「お店の自宅再現は七割が限度」というポリシーを考えれば事実上の満点であった。


 しかし言い換えればアマチュアレベルから発展するつもりがないとも取れ、鴉魅としては外野だてらに微妙な引っ掛かりを感じてしまう。


「のう、ここまでやる気があるのなら、一度本格的なラーメンを作ってみたいと思うたことはないのか?」


 趣味レベルでも、いや趣味だからこそ天井知らずで上を目指したくなる感情。暇な時にその手の動画を観ている鴉魅からしたら、真名子がそうならないのが不思議に思えた。しかし―――


「嫌ですよそんなの。鶏ガラ豚骨とか後始末が大変ですし、製麺機だって大枚はたいて買っても何度使うかわかったもんじゃないですから。」


「しかし、趣味でやってるうちに本格的なものに挑戦したくなるような向上心は持っておらんか?」


「無いですね。平塚家のご主人の言葉を借りれば『プロは安直な手抜きは許されませんけど、アマチュアはどれだけ手を抜いてもかまわない』ってことですので。」


―――と、真名子はぬけぬけと言ってのけるのであった。



今回のレシピ

https://cookpad.com/jp/recipes/24953163

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