第21話 狐乃渡流秋刀魚飯と大根すいとん
この世の終わりのような猛暑も鳴りを潜め、季節は秋へと向かう。となれば恋しくなるのは名に秋の文字が入るあの魚、
当然そんな安くて美味い魚を我らが倹約家・
軽く水洗いをして拭き取ったら、強めに塩を振りそのままグリルへ。切れ込みは入れない。入れたほうが形よく焼き上がるが旨味もその切り口から流れ出るからだ。インスタに上げるなどをしない真名子にとっては見た目よりも味が何よりだ。
焼き加減は強火で一気に。皮目がバチバチと音を立て焦げ目を作っていく。片面3分前後で両面を焦げる手前で焼き上げたら皿に移す。山盛りの大根おろしと半分に切ったすだちを添えて完成だ。
「おおう、これよこれ!これを食わぬと秋が来た心地がせんわい。」
事務所のソファに腰掛けながら待っていた
箸を差し込むとパリッと音を立てて皮が裂ける。そして半身を摘むとホコホコと焼き上がった白身肉が綺麗に身離れする。そこにたっぷりの大根おろしを乗せ、醤油とすだち果汁をかけてから口に入れた。
香ばしい皮、しっとりとした身肉、そしてその間に挟まっている皮下の脂が渾然一体となって口の中に広がる。しかも大根おろしと柑橘の酸味が、脂っこさや青魚特有の臭みを完全に消し去り、純粋な旨味だけを口に残す。すかさずビール(厳密には100円ちょっとの
「うおお……合いすぎる……」
その好相性を前に鴉魅は完全にボキャブラリーを失っていた。
「ホントこんな安い魚を適当に丸のまま焼いただけなのにこんなに美味いんだから偉いですよ、この季節の秋刀魚ってのは。」
真名子もまた旬の味に舌鼓を打つ。数多の食材が旬を迎えるこの季節だが、この魚が最もその恩恵を受けていると彼女は思う。気がつけばこのさほど大きくもない魚をつまみにしながら、350ml缶を3本も空けてしまっていた。いい感じにアルコールが回ってきたら、やることはひとつだ。
「では、シメに入りましょうか。」
台所へ戻った真名子は残った秋刀魚1尾も同様に強火で焼く。焼き上がったらドロドロになったワタを掻き出し、頭と背骨を取り外したら小骨に気を付けつつ身を大きめにほぐす。
掻き出したワタから小骨や可食できない箇所を取り除き、水・醤油・みりん・針生姜と一緒に煮る。ヘラか何かで押しつぶしながらワタをしっかり煮汁に溶かしていく。
一方でご飯が炊きあがった。すかさず煮汁を注ぎ込み、しゃもじでよく混ぜて全体的に色ムラなく馴染んだら秋刀魚の身と刻みネギを加え、蓋をして蒸らす。5分経ったら蓋を開けさっくりとかき混ぜる。この際身肉をご飯全体に散るように細かくほぐすか、大きめのまま残しておくかはお好みで。
茶碗に盛り、大根おろしを添えたら完成だ。
「はい、というわけで『狐乃渡式秋刀魚飯』になります。」
「秋刀魚で呑んだシメに秋刀魚飯とはまた酔狂なものよ。」
「お嫌いですか?」
「いや、むしろ面白いわい。」
鴉魅は大根おろしを軽く混ぜ込んでから口に運ぶ。ワタのほろ苦さとコクが溶け込んだ醤油味が、ご飯一粒一粒に染み込んでおり実に滋味深い。生姜とネギの香気や大根おろしの辛味もワタのクセを消して旨味を広げるのに一役買っている。そんなわけで秋刀魚続きにも関わらず、二人揃って飽きることなくペロリと平らげた。
片付けの最中、真名子の目に写ったのは大根おろしの残り汁。秋刀魚を食うにあたってはいくらあっても足りぬ、故に大根1/2本ほどをすり下ろした。予想の通りに大根おろしは消えて無くなったが、器の底にはすり下ろした際に出た汁がいっぱい溜まっている。真名子はそれを捨てることなくそっと冷蔵庫に取り置くのだった。
それからは普段通り一眠りして昼過ぎに事務所を開く。客が来ることもなく無為の時間を過ごしたらいつの間にかバイトの時間、夜の闇の中自転車でコンビニに向かう。そして特に面白みのない仕事を終えて日が昇れば、最後に酒呑みの世話をして1日が終わる。今日もそんないつも通りのルーティンだ。
「おお、帰ったか狐乃渡の。」
「あら~、マナちゃんお帰り~。」
今朝はビルオーナーのうるかも夜通しで呑みに来ていた。自分からは「大学時代とは違うんだからオーナーと呼べ」と強要する割に、本人は大学時代のノリを引き摺っているのはいかがなものかと真名子も呆れる。
「最近よく来ますねオーナー……」
「あによ~、今日はちゃんとしたお願いがあって来たのよ~。」
「前みたいに金にならない仕事押し付けるようなら今すぐ帰ってもらいますよ?」
「そんなんじゃないわよ~。ちょっと意見を求めに来ただけだから~。」
うるか曰く、首藤家が古くから懇意にしている問屋があるのだが、昨今の不景気を受けて苦況にあるという。その対策にさしあたって従業員のリストラを考えているのだが、昔気質で情に厚い社長としては今まで一緒に頑張ってきた仲間を切り捨てるには気が引ける。そこで地主の一族であるうるかにも相談が入ってきたということだ。
「で、どうしたらいいと思う~?」
「そうですね、とりあえず半ば親の
「
そんな相談に対し、真名子は苛立ちを隠そうともしない辛辣な意見を返した。とはいえ自分もまた嫁入り前のロスタイムを満喫している身、モラトリアムっぷりでいえばうるかと五十歩百歩だ。他人の経営に何か口を挟めるほど立派な人物ではない自覚はある。
「さあ、そんなことよりそろそろシメに入りましょうか。給料日前なんでそんな良いものはお出しできないですけど。」
故に真名子は誤魔化しながら台所に逃げるしか無かった。
冷蔵庫を開けると昨日の秋刀魚に添えていた大根おろしの残り汁が目に入った。節約目的もあり、なんとなく勿体なさそうと取り置いたこれで何か出来ないものかと頭を捻る。
とりあえずは小麦粉を加え練る。お好み焼きよりやや固いくらいの粘度にし、沸き立った湯に小さじ一杯ほど落とす。そして煮え固まった団子を掬い取り、味見した。
(やや青臭みが残りますね……)
試作の欠点を解消すべく、今度は団子生地に化学調味料を振る。大根おろしに化学調味料を加えるとカドが取れておいしくなる、という話は聞いたことがあったのでその応用だ。先程同様に小さじ一杯を茹で、味を見る。
「……いける!」
試作は成功。となれば後は一直線だ。お湯に和風だしの素と白味噌を溶かし、団子生地をスプーンで取って一口大になるように味噌汁に落とす。やや緩めの生地なので底に貼り付かないよう気を付けながら浮き上がるまで煮込む。やがて全ての団子に火が通ったら汁ごと一人前ずつ器に取り、刻みネギとすりゴマをあしらったら完成だ。
「お待たせしました。『大根すいとん汁』になります。」
「大根……すいとん……?」
「大根の汁で練り上げたすいとんですね。」
「おうおう、何か質素なシメじゃのう。」
「さっきも言いましたが給料日前ですからね。それにケチってはいますが味に妥協はしてませんので。」
具なしのすいとん、といういかにも貧乏飯な鴉魅もうるかも眉をしかめる。しかし調理した真名子は自信がある様子だ。その態度を信じて、すいとんをひとつ箸でつまみ口に運ぶ。
「……うわっ甘い!何で!?」
そしてむちっとした食感のすいとんを噛み締めた瞬間に飛び出したのがこの感想だった。デザートを思わせるような甘さだが、材料はまぎれもなく小麦粉と大根の汁(あと少量の化学調味料)のみだ。化学調味料で青臭さを消し、白味噌の塩気が引き立てた結果、大根そのものの甘みがここまではっきりとしたのだ。
同時に味噌汁の優しい塩味もこの甘味のおかげで際立つ。甘味と塩味の相互作用で、シンプルな料理ながら最後まで飽きることなく平らげることが出来てしまっていた。
「いやはや、おぬしの腕を疑っていたわけではないが、これだけ簡素な材料でここまで美味いものを仕上げるとは流石に恐れ入ったわい。」
「いえいえ、偉いのは大根ですよ。古来より『大根に捨てるとこ無し』と言いますし、私はそのポテンシャルに頼っただけですので。」
「『大根に捨てるとこ無し』かぁ~……」
食後、真名子が口にした諺。その言葉にうるかが何かを感じ入っていた。
「ご馳走様~。ありがとねマナちゃん。おかげでこっちも腹積もりが決まったわ。」
そしてそのまま礼の言葉を残すと、足早に事務所を出ていった。他方真名子はその言葉の意味をわかりかね、不思議そうな顔をしている。
「何かしましたかね、私?」
「さぁ……」
「大根ですら捨てるところが無いんですから、そう従業員をホイホイ捨てるなんて勿体ないと思いますよ~。」
うるかは今回のシメを例えに上げ、問屋の社長に返答した。社長はいたく感動しリストラを撤回、社員一丸最後の絞り汁の一滴になるまで頑張っていくことを決めるのだった。
まあ、作った本人にそのようなメッセージ性を込めた覚えは無かったのだが。
今回のレシピ
https://cookpad.com/jp/recipes/25047129
https://cookpad.com/jp/recipes/24992243
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