第12話 三藻そばと武蔵野風讃岐うどん
刺身ワカメを小さく刻み、化学調味料とごま油で和え冷蔵庫の中で数分置く。その間に蕎麦を茹で、冷水で締める。よくぬめりと水気を切り器に盛ったら先程の刻みワカメ・味付けもみ海苔・とろろ昆布・刻みネギを散らし中央に卵黄をのせる。
そして上からキンキンに冷やしためんつゆをかければ完成である。
「はい、今日のお昼は『
名前通りに三種の海藻をあしらった蕎麦。わかめナムルのコリコリ感とごま風味、味付けもみ海苔の香りと醤油味、とろろ昆布のぬめりと風味、とそれぞれの良さが麺に絡んで楽しい味わいだ。しかしそれより何より「冷たい蕎麦」であることが食べ手として有り難かった。
「ふぅ、やはりこの季節、冷たい麺類ぐらいしか食う気がせんのぉ。」
そう、時は過ぎ今や季節は夏。昼には連日気温30度以上を記録する日々だ。冷たくて喉越しの良いもの以外口にする気になれない。
「しかしまあ、ワシが恭しく祀られていた時代はここまで暑く無かった記憶なんじゃが、一体何がどうなってこんな夏になったのやら。」
「4・5年前くらいから洒落にならなくなったと記憶しています。」
地球温暖化だか気圧配置の変化だかの原因追究については門外漢ゆえ語る気はないが、事実昔より急上昇しているという事実については文句のひとつも言いたくなる。
とはいえ実際のところ、そこまで文句を言いたくなるような立場ではない。彼女たちの仕事は基本内勤、冷房の効いた事務所に引き籠もっていられるのだから。
下手をすれば命に関わるため、普段倹約家の真名子もこの時期だけは電気代を気にせずエアコンをフル稼働させる。下手に依頼が来れば外出する可能性もあるのでこのまま暇であって欲しい、そんな本末転倒な願望すらあった。
「エアコンとは人間が作り給うたものの中で一番の発明なのではなかろうか。」
涼しい部屋で美味い冷やし麺を啜りながら鴉魅が幸福を噛み締める。しかし彼女は忘れていた、形あるものはいつか壊れるという普遍の法則を。
そして今の幸せが薄氷の上に成り立っているということを
ガコンッ
日も暮れてしばらくした頃、事務所の外から嫌な異音が聞こえた。猫か何かが通りがかっただけだろうと鴉魅は気にも止めなかったが、程なくして異常に気付く。部屋の温度がぐんぐんと上がってきたのだ。
「ちょっ…これどうなってるんです?」
自宅スペースのほうからバスタオル一丁の真名子が鴉のいる事務所のほうにやって来た。バイト前の身支度でシャワーを浴び、出てきたところで異変に気付いたようだ。
「狐乃渡の、これはもしや……」
「ええ、間違いありません……」
二人は深刻な面持ちで顔を突き合わせた。互いの頭に思い浮かぶのは最悪の可能性。
「エアコン壊れた!?」
「やばいですね。室外機がどっちともウンともスンとも言ってません。」
狐乃渡零細会計事務所に存在するエアコンは2台。ひとつは事務所スペース、もうひとつは1kの自宅スペースに設置されている。その両方がほぼ同時に故障したようだ。
「ここまで綺麗に同時だと、何やら悪霊か妖怪の仕業かと思えるんじゃが……」
「だったらどれだけ良かったか。自力で解決できますもの。」
あまりのタイミングの良さに、敵対する何者かの仕業かと疑いたくなるが残念ながらそんなことはない。単純に運と間が悪かっただけだ。そして単純な故障ということは真名子では、そしてもちろん鴉魅にもどうすることもできないということでもあった。
「今みたいな時間に来てくれそうな修理屋もありませんね……」
真名子がスマホを片手に落胆する。只今午後9時、峠は越えたとはいえまだまだエアコンが必要な気温だ。しかしこんな時間までやっている業者は近隣には存在しない。そもそも今の彼女には業者を待つ時間が無かった。
「というわけで私はバイトの時間が差し迫ってきたので行ってきます。」
「待てい。」
そそくさと家を出ようとする真名子の肩を鴉魅が掴む。その目は笑っていなかったし、真名子も目を合わせようとはしなかった。
「おぬしの勤め先は確かコンビニじゃったのう。」
「ええ、そうですね……」
「ということは冷房がよく効いた職場じゃのう。」
「そうなりますね……」
「おぬし、ワシを置いて一人で涼しい所に逃げる気かぁぁぁ!!」
裏切りを察知した鴉魅が真名子に詰め寄る。顔が近く普段の同性児童愛者なら望むところのシチュエーションだが、今はそれどころでは無かった。暑さのせいか、普段の平静さが見る影もなく慌てふためいている。
「離してください!バイト代が!バイト代が!」
「ワシのこと好きなんじゃろ!?なら一緒に焦熱地獄に堕ちようぞ!」
「好きですけどそれはそれで……あっ、あんな所にハー◯ンダッツが!」
「何っ!?……って、逃げよったか!」
かくして暑さに頭をやられたアホ同士の小競り合いを制した真名子は、涼しいバイト先へと全力で向かうのだった。
「お疲れ様です。先上がります。」
日は明けて現在午前5時、既に太陽は煌々と照りつけ、今日も一日やばいくらいに暑くなることを予感させる。
「あれ?珍しいっすね狐乃渡さんが帰りに買い物だなんて。」
入れ替わりで入った店員がレジを打ちながら驚く。真名子の倹約家っぷりは割と皆の知るところであり、社割の利かないアルコール類を買って帰るのは見慣れぬ光景だった。
「ええまあ、色々ありまして。」
買ったのはちょいと高めのビール。やはり鴉魅を見捨てて安全圏に逃げてきたという引け目はあった。詫びの品を持って急いで事務所へ帰る。
「ただいま帰りました。」
帰宅の挨拶と同時に戸を開けると違和感を覚える。どういうことかひんやりとした空気が事務所の方から流れてきていたのだ。修理する宛もなく、自力で直せるはずもない。
「おお、帰ってきたか狐乃渡の。」
「あ、マナちゃんおかえり~。」
「えっ、何で先輩が……ってかエアコン……何で?」
一体どういうことかと急いで上がり込むと、そこで目にしたのは正常に稼働する事務所のエアコンと、すっかり出来上がっている鴉魅とビルオーナー・首藤うるかの姿であった。
「あの後落ち着いて考えたら、先ずはこの建物の責任者に連絡するのが筋というもんじゃないのかと思い立ってのう。ということでうるかに来てもらったのじゃ。」
考えてみれば当たり前の対応であった。ここのエアコン自体ビルの備え付けのものなので尚更だ。そんな簡単なことに思い至ることがないくらいに混乱していたのか、と真名子は少し自分を責めたくもなる。
「しかし話を通したとはいえ誰が直したんです?業者ももう閉まってるってのに。まさかオーナーが修理したとか?」
「流石に私でもそりゃ無理よ~。でも『首藤』名義でお願いすればあの時間でも来てくれる業者さんに心当たりはいっぱいあるからね~。」
「おおぅ、権力者ムーブ……」
うるかの実家はこの雑居ビルを含む数多の物件を保持する、地元で根強いタイプの土地持ちである。同じく地元で昔からやってるような電気工事の店ならば融通が効くのだろう。有り難いことには変わりないとはいえ若干引く話ではあるが。
「まあそんなわけでの、修理が終わったあともおぬしへの愚痴やら何やらを肴に二人で飲み明かしとったんじゃよ。」
「あ、お金なら気にしなくていいよ~。前に貰った更新料のほうに修繕用の掛金も含まれてるから。ただ……」
「ただ?」
「個人的な謝意として、何かシメごはん作ってくれたらお姉さん嬉しいな~って。」
「マジですか……」
先日初めて料理趣味を打ち明けたのは、もういい歳なんだしたかってくることは無いだろうと踏んでのこと。その目論見があっさり瓦解したことに真名子は愕然とした。とはいえエアコン修理という大きな貸しがある以上、断るわけにもいかない。渋々と台所へと向かうのだった。
既に熱気の高まりを感じる朝6時、しかも呑んだ後のシメともなれば冷やし麺一択となるだろう。しかし最近食事自体がソレばかりと思うとマンネリを感じてしまう。多少の変化は欲しいと考えた真名子が冷蔵庫から取り出したのは、豚バラ薄切りと油揚げ、そしてネギだった。
豚バラは一口サイズ、油揚げは短冊切り、ネギはやや薄めの斜め切り。やや濃い目になるよう水で割った麺つゆを鍋に入れ火にかける。沸騰直前ぐらいで火を弱め、具材を入れて煮立たせないように火を通す。仕上げにたっぷりのすりゴマと一味唐辛子少々を加えつけ汁が完成だ。
次に冷凍庫から冷凍讃岐うどんを取り出し、流水で手早くほぐしながら解凍していく。冷凍讃岐うどんとしてはメーカーからも本来推奨されない料理法ではあるが、もちろん真名子も考えがあってのことだ。
完全にほぐれたら氷水で締め、水気をよく切り皿に盛る。そこに熱々のままのつけ汁を添えれば完成だ。
「お待たせしました。『武蔵野風讃岐うどん』になります。」
武蔵野うどん、読んで字の如く東京北西部の武蔵野周辺を発祥とする郷土料理である。強力な歯ごたえのある手打ちのうどんを具材入りのあったかいつけ汁で食すというものだ。まあ麺からして違うので代用レシピの域を出ないものだが。
ズルルルッ
「うん、いい感じじゃないの!本物食べたこと無いけど。」
「あくまで気分だけって感じですが、悪くはないですね。」
「これはこれで全然アリじゃのう!」
つけ汁に麺をつけ啜り上げると、各々の感想が飛び出す。喉越しともっちり食感が重視され、レンジや茹ででの加熱調理がディフォルトとなる冷凍讃岐うどん。これを水で戻した場合、真ん中に芯のようなものが残り讃岐うどん的な口当たりでは無くなってしまう。
しかし讃岐うどんではないと考えれば、これはこれで面白いものだ。表面はツルリとしていながら奥はギシギシとした食感は他のものに例えようがない(本物の武蔵野うどんは表面も固くザラつきがある)。濃くて熱いつけ汁との相性も抜群だ。
「しかし、讃岐うどんとしては尊厳破壊もいいとこよね~コレ。」
「……何か罪悪感湧いてくるんで、思ってもそういうこと言わんといてください。」
邪道と言えば邪道な食べ方、ある意味食材に対する申し訳無さが無いでもない。さりとて美味しいことには変わりはなく、一人あたり二玉の大盛りにも関わらず三人ともペロリと完食するのだった。
「ああ、そういえば忘れていました鴉魅さま。」
食後にほっと一息ついている最中、真名子が買っていたビールを差し出した。
「昨晩は暑さのせいとはいえお見苦しいところをお見せしてすみませんでした。こちらお詫びと言っては何ですがご笑納ください。」
こういったご機嫌伺いの贈り物は初めてではない。しかしそういう時でも出費を惜しみ発泡酒や第三のビールであることが殆どだった。それが今日は本物のビールなのだから余程気にしていたことが伺える。
「直った以上済んだこと、そうかしこまるな。ワシはそこまで根に持つほど狭量な神ではないわい。」
「あ、ありがとうございます。愛しています。」
「そういうのは止めい……」
そんな大団円を目の当たりにし、うるかが呟く。
「マナちゃんってまだそっちの趣味だったんだね〜。もう一人の式神さんも小さい娘だったし。」
「まあ人間、性癖なんてもんはそうそう変わるモンじゃないですから。」
「じゃあ、まだまだ児童性愛は矯正されそうにないか〜。」
傍から二人の会話を聞いていた鴉魅だが、違和感というか引っかかりを覚える。確かに同性の女児を対象とするような傾向はどうにかしたほうが良いと個人的に思うが、どうにもそういう話では無さそうなのだ。
「あ〜あ、私がもう15歳くらい若かったらな〜。」
「言うてオーナーが10歳だとしても、見た目でストライクゾーン外だと思いますよ。今の容姿から逆算するに。」
「マナちゃんひど〜い。」
ここまで聞いてようやく理解する。思えばいくら老け顔とはいえこれほどの美人に「彼氏」がいなかったというのもおかしな話だったのだ。
そして鴉魅は、いつかテレビで聞いた「多様性」という言葉の意味を噛み締めるのだった。
今回のレシピ
https://cookpad.com/jp/recipes/24945777
https://cookpad.com/jp/recipes/24952965
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