第四章 偽典 ~その血の運命~
第16話 ダヴィデの星にて鷹は舞う
……………
「何を言っているも何も、既に事件は自らの真実を明かしたのだ。この館自体が事件の領域ならば、この館の構造こそがこの事件の真実なのだよ。
つまりはこの館に通底される
これによってこの館で巻き起こる異常事態は全て一つの聖名、神によって習合されるのだよ。この館全体が無限の虚空へと渡航したのはこの館の設計者、そして先に挙げた三つの魔術書による作用というほかない。
このような出来事を行える存在、それは神と呼ぶほかない。人間には未だこのような事象を操る技術はないのだ。何故ならば、我々人間は大した個体差のない生物であり、現在我々の中で最も賢いものが作り出した新しい技術も、数年後には学者によって理解され、数十年後には技術として伝播し、四半世紀後には子供たちの教科書に載せられるのだ。
だがこのような術は我々の理解の範疇を超えている。ならばそれは我々にはまだできない御業だ」
「ならば犯人は神だとでもいうのか!?」
熊城はふらりと立ち上がりながら、法水に反論する。だが、彼女は指を振って舌を鳴らして否定する。
「チッチッチ……。だから言っているではないかァ、
神の教えに厳格なるアブラハムの宗教、その中でも最も古い歴史を持つ猶太教。
ああ、熊城君、私は常々文化というものは『生物』であると思っているのだがね、この宗教というものもまたその生物的特質を露わにしているとは思わないかね。
生物の進歩とはダーウィンの進化論に端を発し、現在ではそこから発展した進化論が展開されているわけだが、その言説に従えば生物の進化というのは意図も無く、打算も無く、効率も無い。偶発なのだ。
たまたま生存した者が形質を残す。そして言い換えれば、進化しない者はいない。生物は常々変容し続けている。その中で比較的変化量が少ない存在を『生きた化石』と人々は称している。鮫やシーラカンスと言ったものだね。
だがそうした古代生物も数多くの分岐と派生、変化を辿ってきたはずなのだ。そうした存在と宗教は似ている。
既に古代にあった形は失われているが、それに似た形は現在に残り、生きた古代物として今に示されている。様々な派閥が、派生が、どの宗教にも存在し現在も宗派の分離が発生しているのだから当然の話さ。
中でも猶太教の性質は聖名の秘匿に始まり、
そしてその進化の形跡がこの事件にも影響を与え、神秘主義的で暗喩的な具象を表すのだよ。根柢の猶太文化の匂いは誤魔化すことはできない。我々はついにこの建物にかけられし
法水の熱の入った講釈は、今までにない奇妙な響き――今まであった法水の纏う雰囲気がガラリと切り替わり、怪し気ながら説得力を帯びる気配が前面となった様子――を帯びていた。
熊城はその講釈に更なる疲弊を覚えながらも息を吐こうと煙草を燻らせる。彼がゆっくりと紙煙草の先を朱に染め、紫煙を吐き出す。
その隣では支倉が法水の一連の語りを整理して、しかし、やや疑念を覚えている様子を示しながら質問を徐に投げかける。
「でも、そのユダヤ文化の中にガンダムとかは何故入っているの?」
「フム。やはりそこはリンフォンによって連結したのではないかと考える。現代と古代を繋ぐ鍵はやはりそこだ。この事件の始まりにして、繋ぐ鍵にして、終わりを示す門。予言では私が最後にリンフォンにて怪死するとのことだが果たして――」
それを言いかけたところで法水は彼女を不審な様子で見定める視線に気づく。
その視線の主は
彼女は
「どうかしたかね、そんな怪訝な顔をして?」
法水は彼女をジッと不審な視線を以て凝視する
その答えは彼女を絶句させ、思考を再編する必要に迫る者だった。
「今のアナタは本物? 偽物? 本物をなぞるのが偽物? 本物の後に生まれるのが偽物? 偽物をなぞるのが本物? 偽物の後に本物は生まれない?」
「……!」
「麟音……?」
顎に手を当てて思考を巡らせる様子の法水を心配して支倉が伺う。このように法水が長考に入ることは今までにない出来事であり、支倉にはこの事件の展開がいまだ続くことが予見された。
一筋縄ではいかない事件。
事件現場の館ごと、虚空、異空間へと転送されたというにわかに信じがたいこの出来事の前に事件の複雑性は一層増しており、そしてその事件の混迷をさらに拡張する出来事が、またしても発生する。
「クックックック……! アッハッハッハッハァ! この館は異空間へと遷移したというのならば、いま元の世界は私という存在を失っているというのか! 何たる悲劇! 何たる喪失か! フハハハハハハハ! アーッハッハッハッハ!」
声高らかに立ち上がりながら厄災の渦たる
だがその顔色はみるみると蒼くなり、それに反して笑い声は乱雑に大きくなる。まるで自ら嬉々として首を絞めるように。
笑い声の発生から十秒余りで周囲の者は異変に気付き始める。
「アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!」
「……おい、お前、やめろ……」
熊城はおずおずとそう言う。しかし。
「アッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」
手足の痙攣が認められ始める。表情はしかし、震えも無く、完璧なる演技のもとで整えられている。
支倉が彼女へと近づいて肩を揺さぶる。
「ちょっと、大丈夫ですか!?
「アッハッハッハッハッハッハッハッハ……ハ……ハ……ハッ……!」
支倉は悟る。彼女は自らの意思によってその『演技』を継続しているのだということが。そして彼女は狂気ともいうべき意志と演技力という技術によって自らの無意識の呼吸さえも操り、肺の中の空気を外へ排出し続けるルーチンを続け、美しき終焉。
自害を敢行しているのだった。
「………………!!」
肺の中の全ての空気を出し切った
「しかたない、えいッ!」
『ガッ』
支倉の高速の手刀が
「一体なんでこんな……」
支倉の呟きに、法水が呟きで返す。
「答えはお死枚、か……」
奇怪なる事件は未だ続く。『一つ、
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