第9話 ハムレットかく語りき
……………
激震。
一同が騒然となる中で法水が何かを導き出し言葉を紡ぐ。
「まさかとは思うが、理事長にそのことを強要されたと言いたいのかい?」
「ああ、残酷なる運命の環よ! 我が生涯を何故かようにも苛むのか! それともこの過酷なる運命は美しき星のもとに生まれし我が人生の報いなのか!
強要などはされていない、ただ我が人生は悪戯な星の定めに拠りて禁じられし愛慕を抱いたのだ。
ああ何たる宿命! 何たる悲劇! そして私には、ああ、父に定められし婚約者がいる!」
「……。なるほど、興味深い
「致し方ない! そこまで言うのならばお聞かせいたそう、私の狂おしき人生の悲劇! 愛と憎悪の一体を指し示す秘密を全6幕の大講演として!」
「そんな長い時間見ていられるか! かいつまんで放せ!」
痺れを切らした熊城が怒声を張る。その
だがそんな言葉もどこ吹く風、
その調子の変化は一種の魔術的な力を放ち、部屋にいるすべてのものを幻惑に包み込む。
応接室として落ち着いた雰囲気の色味で揃えられたテーブルやソファが並び、不釣り合いなおどろおどろしい悪趣味なる骨董品が飾られるこの部屋はたちまち彼女一人のための舞台となり、幕が上がったかのように錯覚させる。
「愛を袖する愛おしき貴方。愛を柵するこの世界の全て。愛をもたらした奇妙なる運命の環。環よ回れ。
ああ、私はこの不条理なる世界にて、一人、愛に飢える哀しき
意中の貴方は『尼寺へ行け』と私を袖にし。
我が父は愛無き繁栄を望む。
もう、いっそのこと世界全てを壊してしまおうか、もういっそのこと、好みを川に投げ打とうか。
ああ、憎い!
貴方が憎い!
あんなに愛し合っていた、私たちの記憶。
それが私を一層苦しめる。
あんなに思い焦がれていた、私の記憶。
それが私を一層苛む。
生まれ持った恋する心が罪過だというのなら、私は更なる罪によってそれを贖おう。
この毒を以て貴方を殺し、更なる罪を、貴方の命に対する罪を被ろう!
そうして貴方の命に対して、私は贖罪を続けるのです!」
照明が落ちるような錯覚。
かいつまんで作られた即興芝居はかくして終幕を迎える。
「うーん素晴らしい。愛と憎悪の二律背反が淀みなく混ざり合う表現。これがこの短い時間で端的にあらわされている。
だが、ある別の視座で読み解けば自己中心的な身勝手極まる犯行予告とも言える。その場合は陳腐な痴情のもつれによる犯行動機を脚色し劇的な表現にしただけだと批判することだって可能だ。
または、愛は常に変わらず同じ熱量と同じ純粋さを以て、その表出が変容したのみという見方もできよう。憎悪というのを口にしながらもその根本は愛による行動であるために深い愛は変わらずという見方だよ。贖罪という人生を賭した最大限の愛情的表現のために死という
あるいは激情という奔流はかくも簡単に両極を行き来するのだという感情を二元論的世界観に当てはめる感想も抱かれるかもしれないな。こちらは激しい感情に左右される人間の恋愛についての
もしかすると引用されたハムレットの一節『尼寺へ行け』という言葉が持つ背景にある一大文学論争もこの劇を紐解く際の重要なエッセンスかもしれないな、『ハムレットはオフィーリアを愛していたのか?』『ハムレットは狂っていたのか?』『ハムレットはどこまで知っていたのか?』。このセリフ一つが導き出すこの大いなる謎と解釈の紛糾はこの作品を明確に深みをもたらし、この作品解釈自体をある一定の不明さによって大いなる大海への海図を描いているのだよ。『愛ゆえの嘘』の暗示、狂気の暗示、佯狂の暗示、暗示の暗示……。ざっとこれだけの暗示をしている可能性があるワケだ。
どうだ、なかなか詩的な舞台だったとは思わないかい、支倉クン?」
「え? ああ、そうだね。感じ入るところはあったけど……。これはどこまでが、その……」
「今のは全てが事実だというのか?」
熊城が何とも言えぬ表情でそう言う。演技には無論感じ入った様子だが、何が事実なのかを判別しあぐねている。
法水がその様子を見てニヤニヤとしている中、
「
彼女はそう言った質の悪い嘘と思われる言動を繰り返し、そこから自身を主人公とする悲劇を創り上げる趣味を持っているのです」
「ほう、どうやら君は彼女について詳しいようだねェ? どういう間柄なのかな?」
じっくりと法水は彼女の顔や動作の全てを目に入れながら訊く。彼女はしかし、整然とした態度を崩さず、一定の呼吸、一定の心拍、一定の動作で語る。その精密さは正に時計仕掛けと形容するにふさわしい。
「昔から家同士での交流があり、馴染みがある。所謂、幼馴染であるということです。昔から彼女の趣味には辟易しております」
「はぁ、そんなに、なんともハタ迷惑な趣味があったものだねぇ」
「「「「……」」」」
「やれやれだぜ」
「……。全くだな、はははは」
帽子を深くかぶり呆れる
「ああ、今回の公演を見てくださり感謝恐縮の極み、部隊の幕を超え、第四の壁すらも凌駕する
そして日々の中に現れる輝きを、記し残さねば!
さあ、もっと私をご覧あれ、麗しき探偵の
優れたる表現者の最大の欲望! そのためならばどんな論理も倫理も踏み越えてしまおう! フハハハハハハハ!」
熊城の猜疑の目が彼女へと向けられる。支倉もこの彼女の『捜査妨害宣言』ともとれる言葉にやや警戒の色を示した。
だが、法水は彼女の言葉の後、やや思考するそぶりを見せながらも頷き答える。
「事件には常に多角的視座が必要というのが私の持論でねェ。見つかる
だからと言ってはアレだが、そもそも私は私自身が謎を解明する必要性さえ感じてはいないのだよ。私のやっていることが全く間違った、無為なる行為であっても、混乱を生み出すだけであったとしても……。
私は楽しいからやっているだけであって、事件の着地点等々は少なくともこの行為における目的には含まれていない。つまるところ、今の君と同じ。同じ愉快犯なのだ。
だからこそ私はキミの思考が、ある程度わかる。その意味はま、またあと追々話すとしよう、か……」
法水の言葉に
そしてその白い指が指し示した次なる標的はやや存在感を希薄化させつつあった男。
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