第二話 未来の消失
解放軍の侵攻から早数か月。日本側はまともに攻勢の転機が訪れないまま、陥落を迎えた。信事と沙羅は、この危機を乗り切って、戦火の東京に帰ってきた。一部の建物が破壊され、そしていたるところに解放軍の残党が見回っていた。それに殴りつけようとして反発し、連行されていく男も見受けられる。ジェノサイドと言って差し支えない。
信事は自宅が無事ではないことを理解した。自分が知っている住所には瓦礫しか残っていなかった。今はただ、何をすればいいのかがわからなかったから、ただ座り込んだ。
よくわからない言葉で男が話しかけても、沙羅の母親の声がしても、頭の曇りが晴れることなどなかった。ただ、何時間、何日間もこうしていた気がする。太陽もしばらく見ていない。梅雨の湿った空気がただ自分の頬に不快感を与えるだけの時間だった。
何も最初っから覚悟していなかったわけではない。当然、こうなるかもしれないという理解は十分にしていた。そのつもりだった。最悪な事態がこれである。そう思っていた。あの死体を見なければ。あれが何であったのか、それを理解さへしなければ。
そのことが心の穴になって、どうしようもなく気力がそこから漏れ出ている。動き出す体力もない。息もできない。自分がどれだけ無力なのかを呪う。自分は負けるのだと。
それからしばらくして、足跡が近付いてきた。男の姿が見える。スーツで帰ってきたその人は、瓦礫に佇む少年の近くまで来て、落ち着いた声色で信事に語り掛けた。
「生きていたか。……よかった、お前だけでも無事でいてくれて。」
そう言ってカバンを落とし、眼の光を失った少年を抱きとめる。
「母さんは……。この中に……。」
あぁ、あぁとうなずき、上ずった声を堪えるように信事を抱く腕に力を入れる。
今はただ、それだけでよかった。親父が自分の肩で涙を流す一方で、信事の方も、声も体も動くことなく、ただ目元から雫が落ちている。いつぶりに見たのかもわからない太陽が雲間から光を差し込み、その眩しさに思わず目を閉ざしてしまう。
その時、ふと父親の抱く腕に力がなくなった。ゆっくりと放され、立ち上がる。
「お前だけでも生き延びろ。未来を創れ。」
そう小声で残し、男は立ち上がった。後ろから複数の男が、やはり何を言っているのかわからない言葉で、男に話しかけ、男はそれに頷いた。
「俺はもう、死ぬかもしれないんだ。」
そう言って、親父は悲しく笑った。控えめに手を振る。逆光の夕日をうっとうしく感じた。今だけは、親父の顔を見たかった。それを自由にさせてはくれない。
「死んでくる。」
それだけ残して、男は二人の男に連れられて、信事の目の前から姿を消した。
そこにただ残された信事は、涙の枯れた目元を袖で拭う。死んだ母、これから死ぬ父との記憶を背に、重い腰を持ち上げる。光を取り戻した信事が、夕日を睨みつけて、その家を後にした。さぁ、これからどうしようか。何をすればいいのだろうか。
学校の体育館で、臨時に家を失った住民の受け入れをしており、そこで眠りにつくことができた。翌朝になれば、その学校が自分の母校であるから、制服はなくても、今の服で登校することはできた。そこで、見覚えのある顔に、信事は安堵をした。
「あ、椋矢!生きてた、よかったよ!」
そう言って沙羅が椋矢の肩を叩く。
「おう、お前らも無事でよかった!よく無事に帰ってきた!!」
椋矢も、二人の肩を叩く。それで、逃げる時の自慢話にお互い花を咲かせているとき、校内放送が響き渡った。これから放送することをよく聞くように、と。
その前置きの間、信事は教室の違和感を感じ取り、周りをよく見ていた。監視カメラが二台、不自然に増えた延長ケーブル。そして机に張られた名前。
それをすでに察していた信事だからこそ、この教室内で唯一、これからの言葉を予想通りだと飲み込むことができてしまうのだろう。彼はいつも以上に、周りが見えていた。
その放送は、教育部長の声で聞こえてきた。今までに聞いたことのない程に真剣に。
今後の授業に関して、変更事項が多々ありますので、よく聞くようにしてください。これから、戦争終結してからしばらく、小さな暴動が起こる可能性があります。そのような危険な組織から皆さんを守るために、これから言うことをよく守ってください。まず、席の移動を固く禁止します。休み時間も、自分の席以外に座らないようにしてください。これは皆さんの安否を常に把握できるようにするためです。空席があれば、私たち教員の判断を素早くすることができます。それを常に把握するために、監視カメラも設置しました。これらの暴動が教室内のテロにつながる恐れもありますから、それを避けるためでもあります。また皆さんを守るために、国から警備員を雇い、教室に一人以上必ず配置します。安心して勉学に励んでください。また、情勢の変化に伴いまして、キャリアの変更をすることになりました。国語学を廃止して、今後の急速なグローバリズムに対応するために、国際語の授業数を増やし、英語だけではなく、スペイン語や中国語の教科を増やすことになりました。
上手いことを言う、としか信事は思えなかった。洗脳教育、戦後教育。敗戦教育が始まったということだろう。この学校にいては、自分も染まってしまう。自分を見失うことは許されない。父親の意志を継ぐためにも、未来を創るためにも。
それから今日の授業を終えた。今日はまだ、警備員が教室内にいることはなかった。日本史教科が完全に廃止され、長江文明から始まる世界史が中心に切り替わった。放課後になり、夕日が見え始める。信事は、椋矢と沙羅を捕まえて、二人と話すことにした。校庭のど真ん中で、紙に書いては消して、を繰り返して。
「これは敗戦教育だ。延長コードは盗聴器。教室内で反対勢力を炙り出してる。」
「そういうことか。危険な勢力がら守るため、というのは?」
「日本勢力を悪として、そちらにつかないようにするための工作だ。」
「席を動くな、というのは、会話による集会を抑制するためか。」
この理解を椋矢と共有し、その過程で沙羅も理解に及んでくれた。少なくともこの二人なら、きっとわかってくれる。そんな小さな希望を持って、信事は次の事を紙に記した。
「今夜、校内の電力を落としてカメラと盗聴器を破壊する。」
これを読んだ二人は、目を丸くさせて信事の方を見た。
この学校には二か所から送電線がつながっているが、今夜、校内の反対勢力を炙り出すために政府側が送電を止めるという情報が入っていた。それと同時に、予備電源の接続を断ち、その隙に二か所の電線の接続を断つ。その間に全教室の延長コードを抜き取る。カメラは壊せるものだけを壊す。協力者はすでに十人集めた。今夜、二〇、〇〇だ。
午後七時五十七分。飯を済ませた十三人が校内に潜入して各々隠れていた。校庭から、解放軍の小隊が入ってくることを確認して、教室が一か所だけまだ明かりがついていることも確認した。そして、八時に一分近付く。解放軍が門を開け放ち、音もなく下駄箱に近づく。そして、八時ちょうど。光っていた教室が消え、同時に解放軍が走って校内に侵入。その反対側から、信事たちが動き出した。チャンスは九百秒。コンピュータに強い協力者が制御室の内側からカギをかけて解放軍より先に侵入し、ウィルスを侵入させて予備電源の動作を妨害、プログラムのデリート、接続の切断をする。当然時間はかかるから、その間に盗聴器をすべて取り去る。盗聴器のアンテナは制御室で受信しているから、今なら盗聴器の記録も残らない。このタイミングが最後のチャンスとなる。解放軍の二人一組が制御室で立ち往生をし、カギを取りに職員室へ向かう。だが、それだけでは空かないように内側にバリケードを設けてあるはずだ。九百秒の時間稼ぎはできると信じたい。その間で、すでに半分の教室から盗聴器を取り上る。当然廊下にも盗聴器、カメラは存在している。それも移動しながら破壊をしていく。そして、信事はカメラの破壊を他の十一人に任せて、彼一人だけ最上階に上っていった。最上階。ここに、同志と敵軍がいるのだ。慎重に、慎重に。
螺旋階段の壁に隠れて、解放軍を見る。全部で六人。黒い戦闘服、手にはサブガン。室内で振り回すにはこれしかない、というところだろう。ここで敵戦力を削っても、翌日多くの戦力を投入されて返り討ちに合うのが落ちであろう。そのような危険な橋は渡れない。
陰湿なにおいの漂う廊下。タイルに固いゴムパッドの入ったブーツの音が響き渡る。
信事は息を飲んだ。汗が首筋を伝う。さっきまで光っていた教室の前に六人がそろった。一人がドアに手をかける。一人が頷き、もう一人が返す。サブガンを手に持つ。
廊下に響く衝撃音とともに、勢いよく木のドア開かれた。同時に足音が複数響き渡り、日本語ではない短い言葉が、大きな声で響き渡る。だが、発砲はされなかった。誰もいなくなった廊下。今出ることはしない。もう少し待て。待て。
次の三分で、この階にある六つの教室すべての中身を手分けして解放軍が侵入する。そこに誰もいない、と判断して、六人が階段から撤収していく。時計を見る。残り一分。信事は走り出し、盗聴器すべてを取り、カメラを破壊していく。残り三十秒、残り二十秒。
最後の教室に入り込む。盗聴器を取り払い、一台のカメラを破壊した。
残り十秒。最後の階は信事一人に任せた。仕事を終えた十二人は、隠れて信事の機関を待った。解放軍は、停電機関を過ぎてはプロパガンダに支障をきたすとの判断で、即時撤退が命じられている。それを理解して信事は今回の作戦を決行している。絶対に今作戦を失敗できない解放軍。反逆者を危険勢力によって殺されたことにしなければならない解放軍。それらの情報操作を不可能にするための工作。解放軍は今夜、ここにいてはいけなかった。
あと五秒。沙羅も、椋矢も、教室に隠れて手を合わせていた。廊下から階段を下りる解放軍の足音を聞く。そしてそれ以上に聞こえてくる自分の鼓動を聞く。五、四、三。
信事は、細長い延長コードを持った右腕を大きく振り上げていた。二、一。
「これで、最後だ!」
ガラスの破裂音。瞬間、さっきまで電気がついていたこの教室に明かりが灯った。これが、小さな反逆だ。俺たちの反逆だ。そう誓って、集めた延長コードをもって階段を下りる。
解放軍が八人、門を抜けた。それを確認して制御室のバリケードを解き、協力者十二人が制御室に集まった。そして、一人の少年が遅れて歩いてきた。
「報告!」
「一階から三階の延長コード七十八本全て確保、カメラ四十二台破壊。」
信事の声に、椋矢がそう声を上げてくれた。それを聞いて、信事が声を出す。
「最上階、延長コード二十六本、カメラ十四台破壊。」
それを聞いて、全員の目が輝いた。
「以上全カメラの破壊、盗聴器を回収、作戦成功。報告終わり!」
その一声で、全員が喜びを叫び、ガッツポーズをし、飛び跳ねた。犠牲はゼロ。
「最後の仕事だ。」
そう言って、信事は校庭にみんなを呼び出した。
延長コードを燃やし始めた。マッチを使って、校庭のど真ん中で焚火を始めた。
「延長コードって、燃やしたら有害物質出るんじゃないの?」
そう沙羅が言ってきた。
「わかってるよ。だから燃えきるまでみんな近付くな。」
九時に燃やし始めて、既に二十分経過していた。信事は、どこからかスマホを取り出して、誰かに電話をし始めた。
「元気してるか?計画は実行だ。こちらは働き蜂を連れて巣の拡充実験を続行する。」
そう言って電話を切ってしまった。
「誰?」
隣にいる沙羅がそう聞いてきた。
「協力者だ。俺たちだけじゃ規模が小さすぎて何にも敵わない。」
「だから各地で協力者を集めたのか。」
椋矢が会話に乗ってきた。きっと、この前の疎開の事を言っているのだろう。
「明日、俺がボイスチェンジャーを使って録音した音声を校内中に流す。」
それを聞いて、十二人が一斉に振り向く。信事は、薄気味悪く笑っていた。
翌朝になり、信事はいくつか服の支給を受け取り、もちろんそこについていたIDチップも集音機も取り外して着ていた。学校に到着し、みんな自分の席で黙っている。教師たちは、昨日何者かがここに侵入してカメラを割ったことについて話し合いに終われているところだろう。昨日何者かがここで集会をしていたことだけは知れ渡っていた。
「ただ今校内にいる諸君、これから言うことをよく聞いてもらいたい。」
それは、ボイスチェンジャーで誰の声なのかもわからなくなっていた。昨日の作戦で、ウィルスと一緒に、外部からは解除不可能な形でこの音声を鳴らすように仕組んだ協力者。盗聴器、カメラの解除に協力してくれたチーム。彼らが、最上階で明かりの灯った教室で集会をしようとしていた張本人だと、何人が気が付いただろう。
「これは、戦争だ。」
その放送は、滞りなく実行された。
共産政権による情報操作で、日本政府のJアラートが誤報だと本気で信じた人物はどれだけいるだろうか。誤報であるという情報が、誤報だと気付けた人物は何人いただろう。台湾地域の政権奪取を受けて、次は日本が狙われると理解できていた人物はどれだけいただろう。外国語をこの場で教わることに何の意味があるのだろう。これは陰謀論ではない、事実である。今後、アメリカの石油資本の崩壊が起こるだろう。台湾の侵略の後、速やかにアメリカが沖縄から手を引いた時点で、この開戦は予言されていた。第二次大戦から半世紀が過ぎたころにはすでに、GHQの支配教育から、赤の汚染教育に切り替わっていた。日本に有益な情報が教育されないのなら日本の経済復興は不可能である。その上で、一方的に経済を回復させた共産政権は一方的にわが国の不動産を買いあさっていたことは事実であり、それが新ソ政権とも共謀して、北海道領内に十年も前から弾薬基地を設けていたことは有名な話だ。繰り返す。これは決して陰謀論ではない。現実だ。
ロシア政権の弱体化を皮切りに、共産政権の後押しで成立した新ソ政権が成立。これは暗に共産政権が新ソ政権の支配権を手にしたと動議である。新ソは東を、共産は西を支配権に置くという情報は昔から流れている。日本社会主義共和国を創るという野望は有名だ。
これは君たち自身の罪である。戦争を戦争だと気付けない罪。戦争という単語に対して過剰に目をそらす罪。自国の利益を自ら縛り上げる罪。他人を思わない罪。先の大戦で死んでいった人たちは、こうも簡単に他国に侵されるような国を残すために命を落としたわけではない。この日本がまだ独立していると考えている者はいるか。よく聞け。もう日本はない。
日本国は終わりを告げた。政権二千七百年になる政権の終わりを告げた。この責任が君たちにはわからないだろう。君たちに正義はない。だから他国の戦争で、テレビで流れてきた正義を鵜呑みにして、身勝手に肩入れをして応援するのだ。君たちは正義を語る資格はない。
本気で自分の国のことを考えたことはあるか。この国の正義とは何か。家族を思ったことがあるか。自分が信じる正義は何か。自分に問いかけてみてほしい。自分が信じるものを叫べる世界を創ろう。差別のない平和な世界を。我々はこの国の未来を創りたいだけなのだ。
思い出せ、蹂躙の恐怖を。思い出せ、心の炎を。平和の国を復活させたい者よ、声を上げろ。この虐殺から抜け出すのだ。この平和な国を、世界に飽和させるのだ。若者よ、叫べ。
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