第11話 それでも、俺は俺でいるために



 土曜日の午後。


 大学もバイトもない貴重な休み。

 俺はひとり、近所の公園のベンチに腰をおろしていた。


 春の風が心地いい。


 誰もいない芝生。遊具のさびたきしみ。

 静けさが妙に贅沢に感じるのは、きっと心に余裕ができたからだ。


 スマホをいじる手が止まり、ふと空を見上げる。


 青い空には、一筋の飛行機雲。


 ……三つの世界で見た空とは、まるで違う。

 だけど、どれも“本物”だったんだよな。


 そのとき。


 スマホの画面が、勝手に切り替わった。


 表示されたのは――


 「ゲスト通信:勇者世界より」


「は?」


 思わず声が漏れる。


 画面には、ちびキャラ化したリリアがぴょこぴょこ動いていた。


《おーい、ゆうたー! 元気してるかー!?》


「いや、ちょっと待て。お前通信できんの!?」


《なんか、賢者がすごい魔導回路作ってくれてさ!

 一日一分だけ、君の次元と繋げられるって!》


 ちょっと待て、賢者便利すぎる。


《みんな元気だよ。王様も、剣も、ドラゴンも! あ、でもドラゴンはまた寝てる》


「そっか……みんな、変わってないんだな」


《うん。でもね、みんな“君が選んだこと”をちゃんと誇りに思ってる。

 私も。……ありがとう、ゆうた》


 その言葉が、じんわりと胸に沁みた。


《また、いつか。……もし、こっちに来たくなったらさ。歓迎するよ》


 通信は、ぶつりと途切れた。


 スマホは何事もなかったかのように待受画面に戻っている。


「……まったく。抜け目ないな、あいつら」


 つい笑ってしまった。


 その夜。


 ベッドに寝転がっていると、ふたたびスマホが光る。


 今度は、薔薇のマーク。


「ってことは……おいおい」


 画面には、優雅な字体でメッセージが表示された。


 『坂本ゆうた様へ。お元気でしょうか?』


 宛名は――カミーユ・ド・ロゼリア嬢。


 添えられた文章は、整然として美しかった。


 内容は近況報告と、彼女が最近開いた慈善茶会の話。


 そして最後に、こう綴られていた。


『あなたが、自分自身を選んだこと。私は心から、賛美いたします』


『どうか、その道に、誇りと情熱を――』


 短いけれど、まっすぐな言葉だった。


「……やっぱ、ロゼリア世界は格が違うな」


 そして次の日。


 筋肉の世界からも、まさかの“物理的”便りが届いた。


 ポストに入っていたのは――謎のプロテイン缶。


 ラベルにはマジックでこう書かれていた。


 『友情筋・友情味。お前の努力に、乾杯だ! From サクママン』


 思わず天を仰いで笑った。


 こんなん、飲めるかよ。飾っとくわ。


 こうして、三つの世界は俺の中に確かに残り続けている。


 決して、夢じゃなかった。


 誰にも信じてもらえなくても――俺には確かに“あった”。


 夕方、俺は再び大学のキャンパスを歩いていた。


 夕日が校舎を赤く染めるなか、椿とすれ違う。


「おーい」


「あ、坂本くん」


「今日も早いな」


「うん。ちょっと図書館で調べ物」


 お互い、それ以上なにも言わず、自然に並んで歩き出す。


 ふたりで歩く道は、どこか未来へ続いているように見えた。


キャンパスの端にある、小さなベンチに腰かけていた。


 椿と俺。並んで座るには少し狭くて、肩が触れる。


 でも、彼女はそれを気にするふうでもなく、静かに空を見上げていた。


「ねえ、坂本くん。もし、また……どこか別の世界に行けるって言われたら、どうする?」


 唐突な問いだった。


 けれど、俺は迷わず答えた。


「行かないよ」


「……どうして?」


「もう十分すぎるほど、向こうではいろんなことを学んだから。

 今はこっちの世界で、ちゃんと“俺として”生きたいって思ってる」


 椿は少し黙ってから、ふっと笑った。


「そっか。……なら、よかった」


「なにが?」


「なんか、“ここにいるあんた”を、ちゃんと見られてる気がしたから」


 それは、少し照れくさいけど、嬉しい言葉だった。


 そのあと、ふたりで本の話をした。


 映画の話、バイトの話。

 どれもとりとめもなくて、だけど、心地よかった。


 日が暮れてきて、キャンパスの影が長く伸びる。


 椿が鞄を抱えて立ち上がる。


「じゃあ、またね」


「ああ、また明日」


 彼女の背中を見送りながら、ふと思った。


 異世界にいた頃、こんな当たり前の時間を、

 俺はどこかで諦めていたんじゃないかって。


 だけど、今は違う。


 ちゃんとここにいる。

 ここで、生きてる。


 部屋に戻ると、机の上にプロテイン缶、スマホの通知履歴、

 そしてリリアから届いたちびキャラスタンプが並んでいる。


 全部がバカみたいで、でも――どれもかけがえない。


 夜、ベッドの中で天井を見つめながら、心の中でつぶやいた。


「みんな、ありがとう。俺、ちゃんとこっちで生きてくよ」


 夢を見た。


 勇者の世界では、リリアが剣を振るっていた。

 悪役令嬢の世界では、カミーユが花の咲く庭で本を読んでいた。

 筋肉の世界では、サクママンが……天に向かってスクワットしてた。なんだよそれ。


 そして、三人がふっとこちらを振り返る。


《またな!》


《ご機嫌よう》


《筋肉は裏切らないィ!》


 ……うるさい。うるさいけど、ありがとう。


 目が覚めたとき、心は妙にすっきりしていた。


 新しい朝。新しい日。


 今日は、いつもと同じ、ただの月曜日だ。


 でも、もう“誰かに成り代わる必要”はない。


 俺は、俺でいい。


 勇者でも、令嬢でも、筋肉でもなくていい。


 ただの坂本ゆうたとして、ここで生きていく。


 未来はまだ分からない。


 また転生したり、ブッキングされたりするかもしれない。


 でも、そのときは――


 「ちゃんと断ってやるからな」


 笑いながら、俺は今日の服を選んだー


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『異世界転生トリプルブッキング!?俺、誰に転生すりゃいいんだよ!』 漣  @mantonyao

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