第9話:繋がる点と線、現れた科学者の亡霊

 八雲家のリビングには、昨夜から続く重苦しい緊張感と、新たな発見への微かな期待が混じり合っていた。


 こよみは、あの「特殊環境適応研究所」の索引カードに記された判読不能な所長の氏名をにらみ、未知みちはその情報を元にノートPCのキーボードを叩いていた。


「姉さん、この時期に『認知情報パターン』なんて最先端(当時としては)の研究をしてた研究所の所長クラスなら、何かしら学会誌や専門誌に名前が残ってるはずだよ!」


 未知は、当時の学術データベースを検索し、関連性の高そうな研究者のリストを抽出していく。


 一方、暦は記憶の糸を手繰たぐり、自身が過去に閲覧した膨大な公文書や研究者名簿の断片と、索引カードの僅かなインクのにじみや筆跡の特徴を照合しようと試みていた。



 数時間が経過し、陽が中天に差し掛かろうかという頃。


「…この人物かもしれないわ」

 暦が、一枚の古い学術雑誌のコピーをテーブルに広げた。そこには、あるシンポジウムの登壇者リストがあり、その中に「佐久間 護さくま まもる/理学博士/専門:情報生命学、認知科学」という記述と、小さな顔写真が掲載されていた。神経質そうな細いフレームの眼鏡、薄い唇。索引カードの判読不能な文字の輪郭とも、どこか一致する気がした。


「この佐久間護という研究者、昭和後期から平成初期にかけて、非常に先鋭的な論文をいくつか発表しているけれど…ある時期を境に、パタリと名前を見なくなるの。まるで、その存在が意図的に消されたかのように」



「佐久間護…」未知はその名前を打ち込み、検索結果を食い入るように見つめる。


「待って、姉さん、この人…! 私が追ってるインフルエンサーXが、過去に一度だけ、顔を隠した謎の脳科学者にインタビューしてる動画があるんだけど、その話し方や専門用語の使い方が、この佐久間護っていう人の古い講演記録の音声と、すごく似てる気がする…!」

 未知は、二つの音声データを再生し、その類似性に息を呑んだ。



 その時、A子の母親から、未知のスマートフォンに再びメッセージが届いた。

 内容は、A子のうわ言の続きだった。

「未知ちゃん、Aがまた…今度は『白いコートの男…のっぺらぼうみたいな顔が…たくさん…私を見てる…音が…頭の中で鳴り続ける…もう、やめて…』って…。苦しそうで…」

 白いコートの男…のっぺらぼうのような顔…音…。

 以前聞いた言葉に「たくさん」という不気味な要素が加わっている。


「白いコート…研究所の研究員だとしたら。でも、『のっぺらぼうのような顔』とは…」暦が眉をひそめる。

「Aちゃんの認識が歪んでるのか、それとも…何か特殊なマスクか何かを…」未知が言い淀む。



 続けて、未知は以前見つけた匿名掲示板の過去ログを再度表示させた。

「ここの研究所、昔『ノイズ』を使った人体実験やってたって噂。被験者はみんな頭がおかしくなって、最後は施設ごと封鎖されたとか。看板の文字は絶対に読むなよ。あれは『鍵』だから」

「ノイズ」とA子のうわ言の「音」。そして、「看板の文字=鍵」という記述。



「やはり、『XXXX』は特定の認識を起動させるための『鍵』で、あの不快な低周波音は『ノイズ』として機能し、精神汚染を引き起こす…」暦の分析に、未知も頷く。

「そして、その研究の中心にいたのが、佐久間護…」



 全ての情報が、佐久間護という一点に収束していく。

 彼が過去に発表したとされる論文の断片には、こうあった。

「…現生人類の認知限界は、生命進化の袋小路である。我々は、情報というメスによってその閉塞を打破し、新たなる知覚、新たなる存在へと至る道筋を提示しなければならない。たとえその過程に、旧時代の倫理観による抵抗があったとしても…」

 歪んだ理想主義。人類への愛憎が入り混じったかのような、危険な思想。



「間違いないわ。この佐久間護こそが、今回の怪異の元凶…!」

 暦がそう断定した瞬間、彼女のスマートフォンが短い着信音と共にメールの受信を告げた。

 差出人は、不明。件名もない。

 添付されていたのは、一枚の画像ファイルのみ。

 暦は未知と顔を見合わせ、緊張した面持ちでファイルを開いた。



 それは古く、粒子が荒いモノクロの写真だった。

 薄暗い研究室のような場所。白衣を着た数人の男女が、何かの装置を囲んでいる。

 そして、その中央、最もはっきりと写っている人物――。

 年の頃は四十代ほどか。神経質そうな細いフレームの眼鏡。そして、どこか冷酷さを感じさせる薄い唇。

 暦が先ほど学術雑誌で見た、佐久間護の顔写真そのものだった。



「佐久間…!」



 その瞬間、差出人不明のメールが送られてきた暦のスマートフォンが、再び短く震えた。

 新たなメール。件名も本文もない。

 ただ、添付されていたのは、先ほど送られてきたものと全く同じ、佐久間護が写るモノクロ写真。

 しかし、写真の中の佐久間護の目が、まるでこちらを嘲笑あざわらうかのように、僅かに細められているように見えた。



 戦いは、既に相手にこちらの動きを読まれた上で、新たな局面を迎えようとしていた。


 ついに姿を現した「顔」のある敵。その底知れぬ能力と、歪んだ理想。

 八雲姉妹の瞳には、恐怖と、しかしそれ以上に強大な敵の正体に一歩近づいたことによる、蒐集家としての静かな高揚感が宿っていた。



(第9話 了)

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