悪党勇者の異世界商売！

第1話、召喚の儀式【Others Side】

　厳粛な雰囲気に包まれた儀式の間では、一人の老人が命を賭した秘術、召喚の儀式を行っていました。

　それを見守るのは国王と第一王子のみです。儀式を実行している老人は、引退した先代の国王でした。

　小国の国家予算に匹敵するような、金に糸目をつけずに用意された数々の触媒。そして口伝によって王家にのみ継承される秘術をもってなる奇跡。

「――勇者召喚」

　それは世界の危機を救うべく編み出された、まさしく奇跡の技でした。

　老人が口から血を零しながら呪文を唱えると、眩い光の柱が立ち昇ります。

　次から次へと同じ光の柱が立ち昇ること、合計二十二本。

「召喚は成った……あとを、頼む」

「父上！」

　多量の血に濡れながら倒れた老人を介抱するのは壮年の国王、そして心配そうに見守る青年の王子です。

　連続していくつも立ち昇った光の柱をそのままに、老人を抱えて一同は部屋の外に出ました。それと入れ替わるように儀式の間に入るのは、数十人におよぶ王宮の役人と騎士です。

「勇者殿のご降臨である！　丁重にお迎えせよ！」

　王族に代わってこの場を取り仕切る役人が声を張り上げました。

　光の柱のなかには、徐々に人影が現れ始めています。

　人影がはっきり姿を現すと同時に光の柱は消え、そのあとには呆然と立ち尽くす若者たちが残されました。

　彼らこそが世界を救うべく召喚された勇者であり、人々の希望です。

　儀式が行われ光の柱が立ち昇っていたのは、大きな石造りの舞台でした。これも入念な準備が施された秘術の装置の一つです。

　その周囲にはぐるりと囲むように立つ、豪奢な服の役人と甲冑の騎士がいます。

　召喚された若者たちは事態を飲み込めず、ただ立ちすくんでいました。

　何か少しでも切っ掛けがあれば、途端に大混乱に陥ってもおかしくないだろう危うい雰囲気があります。

　そんな折、最後の光の柱から徐々に光が失われていきました。

　眩い光が消えた直後、なにか水っぽい物が叩き付けられる音が響き渡ります。

　しんと静まりかえった儀式の間で、その音はやけに大きく響きました。

　自然と注目を集める音の発生源。

　役人と騎士はもちろん、未だ呆然とする若者たちさえ視線を向けました。

　そこにあったモノは――。

　赤黒いかたまりとでも呼ぶべき何か。

　冷静に観察すれば元はヒトであったらしい輪郭を残す、血に塗れた物体です。

　ヒトの形をなんとか保っている程度と表現できるでしょうか。

　恐ろしいことにその物体はひゅーひゅーと微かな呼吸音をあげており、生きていることを主張しています。一部の騎士は即座にそれに気づきましたが、歴戦の彼らをも戦慄させる異様な状態でした。

　さらにです。時間差があったのか、血塗れの物体に少し遅れて、もう一つ『何か』が落下しました。それは絶妙にバウンドして、たまたま近くに居合わせた少女の足元に転がって静止しました。

　それは腕です。人間の腕。

　多数の傷が付き指先は潰れているものもありますが、全体として見れば紛れもない人間の腕だったのです。

「……ぎ、ぎゃああああああっ！」

　少女があげる可愛らしさの欠片もない悲鳴によって静寂は破られ、混乱と恐怖は瞬く間に伝播しました。

　凄惨極まる物体から逃げようとする本能か、とにかくその場から逃げ出そうと動き始めたのです。

　非日常的な恐ろしい物体を前にしては、場所など些細な問題です。平和な国で日常を送っていた若者にとっては、兎にも角にも目の前の異常から逃げることが重要でした。

　急に走って逃げ出そうとする若者たちに、対処しようとするほうも大わらわです。

「お、お待ちください！　ここは安全です、どうか落ち着いてください！」

「あの方の治癒を急げ！　なんとしてもお助けしろ！」

　この場で唯一混乱と無縁でいられたのは、騒動の元凶ともいうべき血塗れの物体だけでした。

　若者たちはといえば、逃げ出した舞台から転がり落ちて怪我を負う者、見慣れぬ服装の役人や騎士を目前にしてさらに混乱する者、怒号を張り上げる者や号泣する者まで様々です。

　一同が落ち着きを取り戻すまでには、かなりの時間を要しました。

　召喚されたのは二十二人の勇者たち。

　彼らが世界を救うべく、希望を託された者たちです。

　大混乱に陥り収拾の付かない儀式の間を落ち着かせたのは、涼やかに鳴り響く鈴の音でした。

　シャンッと一度だけ鳴らされた鈴に、誰もが注意を引きつけられました。

　鈴は長い杖の頭に付けられていて、金と宝石から出来ている非常に豪華絢爛な物でした。

　注目が集まると、続けてよく通る声が響きます。

　毅然としたその声の主は、混乱を物ともせずに必要な指示を下し始めました。

　その態度、声音、身に付けた装飾品から、高貴な身分であることが分かります。それに加えて特別なカリスマの持ち主でもあるようです。聡明な女性はこの国、バルディア王国の王妃でした。

「皆様は謁見の間にお越しください。あとの説明は陛下が直々になさります」

　王妃の毅然とした声と、平身低頭の文官、武官の対応によって、混乱から立ち直ったとまでは言えない若者たちですが、意味不明の言動をすることはなくなりました。ひとまずは落ち着いた状態です。

　到底納得できる状態でも状況でもありませんが、わめいても事態が好転しないことは若い身空であっても理解できます。

　若者たちは湧き上がる疑問や不安を押し殺して、大人しく案内にしたがって付いていきました。

　低い物腰で丁寧に接する文官、武官の態度が良かったのかもしれません。あるいは剣を持った鎧の騎士に本能的な恐れを感じたのかもしれませんが。

　移動した先では国王自らによる状況説明が始まりましたが、若者たちは気もそぞろです。

　現実感に乏しい見慣れない城のなかで、劇や映画に出てくるような王様からの説明など、果たしてどれほど頭に入っていくでしょうか。

　柔軟性があり理解の早い若者でも、信じ難い現実を受け入れ始められたのは、夜が明けた翌日になってからのことでした。

　彼らにとって誘拐よりもタチの悪い異世界への召喚は、個人によって受け止め方は様々です。

　絶望と感じるか、それとも希望と感じるか。

　個人の環境や事情、性格によるのはもちろんですが、どうあがいても今すぐ元の生活に戻ることは叶いません。すでに否応なく異世界へと召喚され、勇者としての使命が授けられてしまったのです。

　あとはどうするか。

　無理強いしたところで大した成果は残せないでしょう。

　召喚した側にできることは、彼らをどうにかしてやる気にさせる方策を考えることです。

　飴と鞭の使い分けです。権謀術数に長けた百戦錬磨の貴族や官僚は、年端もいかない若者を望む方向に進ませることなど造作もないと考えていました。

　現実はそう簡単にはいかないものですが。ましてや、異世界の少年少女なのですから。

　しかし、召喚を実施した彼らにとっては必要不可欠なことです。頼れるのは勇者だけ。

　その勇者が期待通りの働きをしなければ、それこそ死活問題となるのです。