第十六章「侑子、裏切りの血判」(前半)

 十一月九日、帝都・議政所。

 宮廷陰陽部本庁舎の中枢にあたるその建物は、京洛の政治・結界・宗廟管理を司る要地であり、陰陽師たちの評価や命運もここで決まる。

 その会議室にて――蒼翔と柚葉は、思わぬ通達を受けていた。

「桂家筆頭補佐・侑子殿が、任を辞して別任務に就く旨を届け出ている」

「……え?」

 柚葉は思わず声を漏らした。

「侑子さんが、“別任務”……?」

「正式には“外郭調査班への転属”だが、実質は“異動と引き換えに口を閉ざす”ことだな」

 低い声で答えたのは、陰陽部幹部の一人だった。だが、その目は何かを探るように揺れていた。

 蒼翔はその空気を察し、椅子に背を預けたまま呟いた。

「……よくある話ですね。“真実に近づいた人間”が、外へ回される」

「それだけならいいが」

 もう一人の幹部が、机の上に一通の巻簡を滑らせた。

「これを見ろ。封蝋付きの密約文書。“侑子が、外部勢力と接触していた可能性”がある」

 柚葉はその紙を手に取った。そこに記されていたのは――

「補佐職にて情報の便宜を図る代わりに、陰陽部次席補佐の地位を保証する」

「必要あらば、“芯”の鍵となる者の情報提供も行う」

「この文書に血をもって誓う」

「……血印……これ、侑子さんの……」

 震えるような筆致。それが何よりも、生々しい“裏切り”の証だった。


 同日、蒼家にて。

 雨音が障子越しに響く夕刻。

 蒼翔と柚葉は、並んで巻簡を前に黙って座っていた。

「まさか、そこまでのことを……」

 柚葉の声は低く、震えていた。

「私、気づいていたはずなのに。侑子さんの視線が、いつも“私”を見ていなかったこと――それでも、桂家のために尽くしてくれる人だって、信じてたのに……」

「信じてたから、裏切られたんだ」

 蒼翔は淡く言った。

「でもな、裏切られたって思えるのは、お前が“信じた証拠”だ」

 柚葉は言葉を返せなかった。

 けれど、その手が静かに拳を握っていた。

「……もし、侑子さんが“芯の情報”を漏らしたのなら。次に珠が出る場所も、誰かに先回りされてるかもしれない」

「だから、俺たちが急ぐんだよ。あと残り三つ――怨念珠を先に封じる。桂の鍵も、“外”に渡させやしない」

「でも、それはもう、“任務”ではありません。これは……私自身の“意志”です」

「知ってる」

 蒼翔が、優しく笑った。

「お前がそう言ってくれたから、俺は一緒に戦えるんだ」

「……ありがとうございます」

 その言葉は、慰めではなく、“誓い”のように深く響いた。

 柚葉の眼差しは、静かに熱を宿していた。

 かつて家のために立っていた少女が、今はただ、自らの“意志”で戦場を選ぼうとしていた。


 その夜――柚葉は一通の手紙をしたためた。

 宛先は、桂家・本家。

 文面は短く、しかし明確だった。

「補佐・侑子の処遇は既に部外の問題。

 桂家はもはや“家の名”ではなく、“人の意志”で動くべきです。

 桂柚葉として、この任務を最後まで貫きます」

 それは、桂の名に縛られた娘が、自らの名で未来を切り開く、最初の“宣言”だった。

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