第五章「訓練は喧嘩のはじまり」(後半)

 蒼翔と柚葉は、中庭の石灯籠にもたれかかるようにして、互いに呼吸を整えていた。

「――じゃあ、次の稽古は“共鳴の初動”ってやつにしよう」

 蒼翔が指を立てて提案する。

「初動とは?」

「相手の氣配に反応して術を発動させるんだよ。前もって約束してないのに、互いの“間”を読む。夫婦って言うなら、それくらいできなきゃな」

「つまり、言葉なしの連携術式」

「そう。“空気読む”ってやつ」

 柚葉は腕を組み、真剣な眼差しを向けた。

「私は、空気より文字の方が得意なんですけど」

「そこをなんとか。風の使い手は、だいたい空気頼りで生きてるんで」

 彼が軽く笑ったのを見て、柚葉も小さく息を吐いた。

「……いいでしょう。あなたがそこまで言うなら、合わせてみます」

 そうして、二人は庭の中央に立った。

 互いに一枚ずつの札を手に持ち、目を閉じる。

 空気の流れ、草の匂い、蝉の声、風の気配、そして――相手の氣。

 柚葉が札にわずかに力を込めた瞬間、蒼翔が指を鳴らした。

「――今だ!」

 風が走り、桂の葉が舞い上がる。

〈蒼鶴〉と〈桂狐〉が同時に顕現し、互いの周囲を回り始める。風は桂の枝を撫で、樹は風を捕まえる。空気がきらめき、光がひとすじ、庭の中央に落ちた。

「やった……! 成功です!」

 柚葉が声を上げると、蒼翔は目を細めてうなずいた。

「初動共鳴、第一段階クリア。すごいな、お前」

「私だけの力ではありません。……あなたの呼吸が、今日はよく聞こえました」

 二人は並んで、式神の札を納めた。

 柚葉はふと、蒼翔の横顔に視線を向ける。

「……一つだけ聞いてもいいですか?」

「ん?」

「あなた、どうしてあのとき、“やめよう”って言ったんですか? 訓練中、突然に」

 蒼翔はしばらく沈黙した。庭の向こうに咲いたアジサイが、風に揺れている。

「……実はな。俺、兄貴に小さい頃こう言われたんだ。“お前は風だから、誰かの道を整えることはできても、自分の道は選べない”って」

「選べない?」

「うん。でも、昨日の戦いで思ったんだよ。“誰かと並んで歩く風”って、悪くないなって」

 蒼翔は、柚葉を真っ直ぐに見た。

「お前と一緒なら、“道”が見えるかもしれない。だから、ただの訓練でお前を打ち負かすんじゃなくて、ちゃんと並びたいと思った」

 柚葉は、目を見開いたまま彼を見ていたが、やがてそっと笑った。

「……蒼翔さん。あなた、意外とまともなことを言うのですね」

「失礼な! 俺だって、時には真面目になるよ!」

「ええ。そういうあなたの方が、今は少しだけ好きです」

「おっと、それは照れるな……!」

 冗談交じりのやりとりの中、庭の風が心地よく吹いた。

 中庭には、先ほどまでの緊張が嘘のような穏やかさが満ちていた。

 それは、ただの訓練を越えた、“心の訓練”が形になった瞬間だった。


 その日、陰陽部へ提出された報告書の最後には、柚葉の筆でこう記されていた。

「訓練記録:連携精度 初動段階良好。精神的相互信頼、形成途上にあり。

 追記:今後、蒼翔氏とは“合わせる”ことを前提に構築していく所存。契約の枠を超える価値が生まれる予感あり」

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