第6話 悪役の美学崩壊! ヒロイン、死亡フラグをへし折る
「な、なにあれ……すごく邪悪な気配がします!」
フィーリアが洞窟の奥に見える巨大な影を指さし、ゴクリと唾を飲む。その声には先ほどの強気はどこへやら、明らかな怯えの色が浮かんでいる。
うんうん、それでこそ俺の知ってるヒロインだ!
そして俺が守るべきか弱い乙女だ!
全長は軽く5メートルを超えるであろうごつごつとした、岩のような鱗に覆われた巨大な狼。
血のように赤い瞳が爛々と輝き、鋭い牙が剥き出しになっている。その口からは絶えず低い唸り声が漏れ、周囲の空気を震わせている。
『星降る夜のシンフォニア』の序盤の壁としてプレイヤーを苦しめたボスモンスター、「シャドウハウル」。
間違いない俺の記憶通りだ! 素晴らしい! これなら俺のポンコツボディを確実に一撃で葬ってくれるだろう!
(よし、こいつの最大攻撃をフィーリアの代わりに受ければ、俺は確実に死ねる! そしてフィーリアは「アルフレッド様! どうして私なんかを!」と涙ながらに俺の名を叫び、その美しい記憶の中で俺は永遠に生き続けるのだ! 完璧なエンディングじゃないか!)
俺は内心で最終計画の完璧さを再確認し、フィーリアの前に守るように一歩踏み出した。
「下がっていろ、フィーリア。ここは俺が……」
クールに、そして少しだけ悲壮感を漂わせて言おうとしたその時。
「だ、ダメですアルフレッド様! あんな恐ろしい魔物、あなた一人じゃ! 私も一緒に戦います!」
フィーリアが震える声ながらも、俺の隣に並び立とうとする。その手には杖が握られて瞳には決意の光が宿っている。
(おっと? 原作ではもっと逃げ腰だったはずだが……まあいい、健気なヒロインが主人公(俺)と一緒に戦おうとするのは王道だ。だが君は下がっていてくれ。これは俺の死に場所なんだから!)
「グルルルルル……ガアアアアアッ!」
シャドウハウルが怒りの咆哮を上げる。二人のうち、より魔力の高そうなフィーリア目掛けて突進してきた。赤い瞳がフィーリアの命を狙っている。
(来た! これだ! このシチュエーションを待っていたんだ!)
俺はフィーリアの前に文字通り飛び出すと、背後にかばうように両手を広げた。
「フィーリア、危ないっ!」
「アルフレッド様!?」
フィーリアの悲鳴にも似た驚愕の声。シャドウハウルの巨大な爪が、俺の胸元へと迫ってくるのがスローモーションで見える。
(さらばだ、フィーリア! 君の記憶の片隅にほんの少しでも、この愚かで不器用な悪役のことが残ってくれたら……俺は、本望だ!)
目を閉じる。衝撃に備える。
脳裏にはフィーリアの涙と、俺の墓の前で「アルフレッド様、安らかに……」と呟く彼女の美しい姿が……!
ズドン!!
凄まじい衝撃と共に俺の身体はくの字に折れ曲がり、紙屑のように宙を舞った。
内臓がぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚。
全身の骨という骨が軋み、砕ける音が生々しく響く。 これまでの人生で味わったことのない、焼けつくような激痛が全身を貫いた。
(やっ……た……! 間違いなく……致命傷だ……! これで俺は……かっこよく……フィーリアを庇って……死ね……る……!)
地面に叩きつけられて急速に薄れゆく意識の中で、俺は至福の満足感と達成感に浸っていた。
これで俺の役目は完全に終わった。後はフィーリアがエドワードたちに救助され、俺の死を乗り越えて誰か他の攻略対象と幸せになるだけだ。
あぁ、なんて素晴らしい自己犠牲なんだろう。俺の転生、全く無駄じゃなかった……!
……と思ったのも束の間。
「アルフレッド様! アルフレッド様! 目を開けてください! お願い、死なないでください!」
誰かが俺の身体を必死に揺さぶっている。聞き覚えのある涙でくぐもった少女の声。フィーリアだ。
重すぎるまぶたを最後の力を振り絞ってこじ開けると、そこには涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながらも、必死の形相で俺を見つめるフィーリアの顔があった。
(あれ? なんで俺、まだ意識があるんだ? おかしくないか? あれだけの攻撃を食らって、なんで即死じゃないんだ? 俺の計算では、小数点以下の確率で生存はありえないはずなのに!)
視界が激しく点滅している。身体のあちこちが、もはや痛みという感覚を超えて、ただ熱い塊のように感じる。だが確かに、まだ意識の糸は繋がっている。
どういうことだ!? シャドウハウルの攻撃力が予想より低かったのか? それとも、俺の身体が思ったより頑丈だったのか? いや、このポンコツ悪役ボディがそんなはずは……!
それともフィーリアと一緒にいたからか?
なにか物語の主人公的なご都合主義が働いたとか!?
「だ、大丈夫です! 私が必ず助けますから! ポーションと……そうだ、回復魔法を! お願い神様、アルフレッド様を助けて……!」
フィーリアが震える手で鞄からポーションを取り出し、俺の口元に無理やり流し込もうとする。その液体は見たこともない色をしていたが、今の俺に拒否する力はない。
同時に手のひらから温かい光が溢れ出し、俺の身体を包み込もうとしている。上級治癒魔法「ヒール」。しかも今まで見たどんなヒールよりも強力で、どこか懐かしい、温かい光だった。
(ま、待て、やめろフィーリア! そのポーションは何だ!? そしてその魔法を使われたら、俺が死ねなくなるじゃないか! 俺はかっこよく死んで、お前の心に永遠に刻まれるはずだったんだぞ! それがただの「重傷者」で終わってたまるか!)
そう心の中で絶叫したがもはや声も出せず、指一本動かすことすらできない。
ただ、フィーリアの献身的な(そして俺の計画を台無しにする)治療を、なすすべもなく受けるしかない。
怪しげなポーションの味が舌を痺れさせ、回復魔法の温かい光が少しずつ俺の傷を癒していく。激痛が和らぎ、意識が少しだけはっきりしてくる。……最悪だ。
一応、回復魔法やポーションでも大きな傷や失った血は回復しないはずだが、一命をとりとめてしまう!
(なんで……なんで俺は、こんなところで運がいいんだ……! いや、運がいいのか? フィーリアの規格外の才能が、俺の死を全力で阻止しているというのか!? 死にたい時に限って死ねないなんて……! これじゃあ、ただの「フィーリアを庇って大怪我したけど、結局死にきれなかった残念な奴」じゃないか! かっこ悪い! かっこ悪すぎるぞ俺!)
俺の絶望は深まるばかり。そんな俺の心境など露知らず、フィーリアはなおも必死だった。
「グオオオオオオン!」
シャドウハウルが俺たちが治療に手間取っていると見たのか、それとも回復魔法の光に苛立ったのか、再び牙を剥いて襲い掛かってくる。
チャンス! もう一度あの一撃を食らえば、今度こそ……!
淡い期待が俺の胸をよぎるが、それは即座に打ち砕かれた。
フィーリアは俺を自分の身体で庇うように覆いかぶさり、杖を構えた。その瞳にはもはや怯えはなく、愛する者を守らんとする獅子のような、悲壮なまでの決意が宿っている。
いや、庇うどころか、明らかにシャドウハウルに対して戦闘態勢を取っていた。
「アルフレッド様は私が絶対に守ります! だからもう心配しないで、ゆっくり休んでください!」
フィーリアの言葉は優しく、そして力強かった。
まるでここから先は自分の戦場だ、とでも言うかのように。
(いや、違うんだフィーリア……君が俺を守るんじゃない、俺が君を庇って華麗に散るはずだったんだ! 君の役目は泣きながら俺の名前を叫ぶことだ! なんで、なんで君がそんな勇ましい顔をしてるんだよぉぉぉぉ!? 俺の脚本はどうなったんだ!?)
計画は音を立てて崩れ去る。新たな悪夢が目の前で始まろうとしていた。
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