月の夜に咲く、愛の花
❖彩夜❖
0.雪夜に消えた、白い花
『………あっ!』
サク、サク、と雪を踏み締めながら、誰かが駆けてくる。
白く綺麗な絨毯に残された雪解けの足跡が、遥か向こうから、こちらへと近づいてきて、そして……
『お待たせ、ティア!』
……サクリと、私の目の前で止まった。
…私は、目線を上げる。
すると目の前に、青く澄んだ瞳があった。
『───ノエル。』
…そう、ノエル。
それが、彼の名前だった。
『ん、どうしたの、ティア?』
彼はぱちりと大きな目を瞬き、少し長めの銀髪を揺らして、こてんと首をかしげる。
無造作に巻かれたマフラーからのぞく、透き通る雪ような儚さをはらんだ頬は、寒さのせいか、少し赤らんでいた。
…まだ幼い少年としては、整った顔立ちなのだろう。
でも………
『…えっ?ティ、ティア!?』
私がその頬に手を伸ばすと、彼は途端に真っ赤になって慌て始める。
『ま、まって!きっ……き…き……きす、は……まだ…』
『はぁ……ほら、泥。』
『…はや、…あ。…そっか…泥か……。』
………彼の頬には、乾いた泥がこびりついていた。
『むぅ……ありがと。』
口を尖らせながらもしっかりお礼を言うのが、とても彼らしくて…愛おしい。
…私みたいな、“嫌われ者”にもこうやって一緒にいてくれるのなんて、彼一人しかいないのかもしれない。
……ううん。きっと、そうだ。
…でも。
そんな彼を、私は───
『───ノエル、ごめんなさい。』
『…え、っ?………ぁ…』
───吸血した。
……ポタ、ポタ、と雪を赤く染めながら、彼は私から離れていく。
その首筋に巻かれていたはずのマフラーは、私の手に握りしめられていた。
『ティ、ア……どう、して…?』
彼の大きく見開かれた目から、大粒の涙が溢れる。
『僕のことは……初めから、血を吸うつもりで…!』
『っ、そんなわけ───!』
───否定できなかった。
…できるわけもなかった。
だって、私は。
ティアフェルルナは。
人の血がないと生きられない、“ハーフヴァンパイア”だから。
『そっ、か……やっぱり、そう、なんだよね………』
『───っ…!』
違う。
そうじゃない。
そうじゃ、ない……
…そう言いたくても、言えない。
…動かない。
体が、口が、動いてくれない。
『ティアの……ティアの、うらぎりものっ…!』
そう言って、よたよたとしながら走り去るノエル。
『ぁ、っ……!』
行ってしまう。
彼が、いなくなってしまう。
それでも───
───『待って』なんて、言えなかった。
…声の代わりに、涙が溢れた。
『ぁ…、…落とし物───』
やっと声を出せるようになった時、彼はもう、そこにはいなかった。
そこにあったのは、私が握りしめたままだった彼のマフラーと、そして……
『…っ……!あ、ぁ……ぁっ…!』
……私の好きな、白く小さな花だった。
『ぅ、っ……!』
私はそれを拾い上げようと、めいっぱいに手を伸ばす。
それなのに───届かない。
それどころか、どんどん離れていく。
まるで雪に覆い隠されるように、消えていく。
『待って……!』
吹き荒ぶ吹雪が、彼の証を、消してゆく。
『まって───』
ー༶✧︎❖✧︎༶ー・ー༶✧︎❖✧︎༶ー・ー༶✧︎❖✧︎༶ー
「───まっ、て………ぁ。」
いつのまにか閉じていた目を開くと、そこには見慣れた天井があった。
「───夢…か。」
あの夜に流したはずの涙はもう、どこにもなかった。
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