第2話


 昨日の今日で音楽室に行くのは恥ずかしい。


 でもこの時間が好きだから行こう。他に行く場所もないし。


 そう思って音楽室のドアを開けると、川島くんがパックジュースを片手にカーテンを引いた窓辺の棚に腰をかけていた。



「こ、こんにちは!」


「こんにちは」



 とっさに出た挨拶にも川島くんは答えてくれて、私はぎこちなくもピアノに向かった。


 なんだか気まずい…。



「あ、の…ピアノ弾いてもいいですか…?」


「どーぞ」


「ありがとうございます…」


「あ、今日のお礼」


「え?」



 川島くんは棚から降りて、ビニール袋をピアノの上に置いた。



「じゃあ今日も子守歌よろしくお願いします」



 川島くんは窓辺の棚に戻って、今度は寝転がった。


 そっと袋をのぞきこむと、菓子パンとチョコレートが入っている。


 その袋を持って、急いで川島くんのもとに駆け寄った。



「こんなにもらえないよ!」


「………」


「え、寝ちゃった!? ねえ川島くん!」



 それでも起きなくて、彼の腕をつつくと、川島くんの唇が開いた。



「いらなきゃ処分すれば」


「処分なんて…」


「ただのお礼だから。俺の押し付け。あとはどうぞお好きに」



 川島くんはそれ以上、何も言わなかった。



「……ありがとう、川島くん」



 袋を持ったままピアノの椅子に戻ると、ピアノのふたを開けて音を出す。


 人がいると緊張するけど、私はピアノを弾いた。


 胸に複雑な気持ちが宿るけど、お腹がすいているせいで考えがまとまらない。


 嬉しいって気持ちと、申し訳ないって気持ちが混じって、心がぐちゃぐちゃだ。



…………



 授業が始まる10分前のチャイムが鳴って、ピアノを弾く手を止める。


 戻らなくちゃ。


 そう思って立ち上がる。けど川島くんはまだ寝たままだった。きっと彼は私が音楽室を出てからいつも出ていたのだろう。



「……川島くん、先戻るね」



 近づいてそう声をかけたとき、お腹がぐーっと鳴った。


 恥ずかしさにお腹を押さえたとき、川島くんの唇が開く。



「5分後に起こして」


「え?」


「それまで好きなことしてれば」



 そう言ってまた寝息を立て始める川島くんに、私はピアノの上に置いたままのビニール袋を見つめる。


 川島くんは優しい。本当に優しい。



「……ありがとう」



 ピアノの椅子に腰をおろして、ビニール袋から菓子パンを取り出す。


 袋をやぶいて、一口かじると、そのおいしさに涙があふれた。


 美味しい、美味しい。


 涙をぬぐいながら無我夢中でパンを頬張る。


 こんなに美味しいものを食べてもいいのだろうか。こんな優しさを受け取って罰は当たらないだろうか。


 明日、死ぬのかな。


 そんなことを思ってしまう。


 こんなに美味しいものを食べれるなんて、優しくしてもらえるなんて…。



「ありがと、う、かわしまくん…」



 そう言いながら最後の一口を食べる。


 時計を見ればちょうど五分がたった。椅子から立ち上がると、川島くんの元に行った。



「時間だよ、川島くん」


「……ああ。ありがと」



 ぐんっと背伸びをしながら川島くんは起き上がる。


 きっと彼は起きていたのだろう。そんな優しさにまた胸が締め付けられる。



「ありがとう、川島くん」


「こちらこそ、今日もよく眠れました。ありがとう。急いで行くぞ」


「うん!」



 チョコレートの入るビニール袋をポケットに入れて、私たちは音楽室を出ると走った。


 旧棟だから距離がある。間に合わないかも、って思っても私の心はどこか余裕があった。


 私に速度を合わせて走ってくれる川島くんに胸がいっぱいになる。


 本当に彼は優しい。優しすぎる。


 そして私はもう一度、心の中でお礼を言ったのだった。


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