「大東亜戦争」期における各主体の立ち位置と詳細
1. 総論:戦争の枠組みと決定的事項
開戦:皇歴2601年12月8日(ハワイ攻略作戦)を契機に日米大戦が本格化。太平洋での戦況決定は、海上輸送線(シーレーン)支配と航空優位の奪取に帰着する。
決定的技術・出来事:人形峠鉱山からのウラン採掘と、2603年7月〜8月にかけての核砲弾の実戦運用が戦争の転換点となる。これにより米国の海空再建能力は大きく削がれ、終戦と講和への流れが形成される。
戦後構図:2604年の講和(主要国による戦後再編)と、2604年9月の新国際機構(国連)発足が戦後秩序の基盤となり、日独を主軸とする「冷戦」的対立へ移行する。
2. 英国――「帝国の終焉」としての前線国家化
日独の快進撃により経済・軍事的に大きく疲弊した英国は、欧州における単独対ドイツの選択肢を失う。生き残りのために、日本との和平交渉および同盟(第二次日英同盟)を選択し、植民地の一部(インド・エジプト・シンガポール等)を条件として譲渡する決断をする。これは国内的には「帝国の終焉」と受け止められる屈辱的選択であった。
3. 日本皇国――「アジア資源圏の覇者」としての戦略
太平洋における補給線と前線基盤の確保:ハワイ、フィリピン、南方資源圏の掌握を通じて太平洋防衛圏を構築する。
資源確保と経済同盟の形成:満洲(大満洲国)、朝鮮(大韓国)、東トルキスタン等を資源供給基盤に編入(大東亜経済圏の形成)し、自国工業と軍需を支える。
主要作戦
2601/12/8:ハワイ攻略、シンガポール同時攻略(海軍・陸戦の連携)。
2601/12/15:ミッドウェー攻略。以降、太平洋西部での優位確立。
2602:オーストラリア北部上陸、伊400型潜水艦群による米本土空襲(心理戦)。
2603/07–08:人形峠由来のウランを用いた「核砲弾」開発・実戦使用(軍港・航空基地を標的に実施)。
核砲弾
日本は「人形峠のウラン鉱」、国家研究体制(群馬研究都市等)を通じて低~中出力の核弾頭を砲撃手段に搭載することに成功した。 試製一号(直径約46cmの砲弾型、10kt相当) が実戦運用。
政治的・倫理的影響:軍事施設狙いを明言したとされる一方で、周辺民間人の被害や長期的環境影響・国際的非難は避けられず、戦後の外交講和(2603〜2604年の交渉)に大きく影響した。
外交・講和戦略
講和条件として米国に対し核研究停止、太平洋利権譲渡(ハワイ等)等を要求。軍事的優位を外交的成果に転換することを目指した。
ヨーロッパ(ドイツ)とは利害の交錯があり、独の東方進出牽制のため三国同盟の再編・解消も選択肢に上った。
4. ドイツ第三帝国 ― 欧州覇権志向と内部亀裂
欧州大陸での全面支配を志向。東方(ソ連)への大規模侵攻でモスクワを攻略するなどの戦果を挙げるが、日本の参戦を得られず、三国同盟は次第に名目化する。
中東・資源アクセス(石油)を巡って日欧間の対立も発生。
5. アメリカ合衆国(USA)――戦時の挫折と政治変動
開戦初期の一連の敗北(ハワイ・ミッドウェー・フィリピンを一挙に失い、太平洋艦隊削減)国民世論は強い政権批判へ転じた。既存政権は孤立し、講和を模索するに至った。
6. 中華民国――「二重外交」と内戦的分裂
蒋介石政権は表向き日本にすり寄る一方、米国(後のUSAC)と密接な裏取引を行い日本を牽制する政策を続けていた。
清朝残党・軍閥、地方勢力の抗争が続き、皇国の「統制戦役」により局地的な占領・介入が行われる。満洲や華北の情勢は長期化し、戦後の「大満洲国」や地域独立過程にも影響する。
7. ソヴィエト(ロシア)――崩壊、残存勢力、緩衝国家
モスクワ陥落(2603年/10月)により中央政権は事実上瓦解。広域に残存する抵抗勢力はあるが、国際的に占有できる一枚岩の体制は消失する。
日本は沿海州付近を緩衝として「極東ウクライナ共和国」を設立・承認(戦後の緩衝国家政策)。この政策は当初は対独・対ソ牽制という戦略から生まれたが、後に複雑な工作・反体制の温床にもなる。
8. 主要中小主体(イタリア、インド、オーストラリア、ハワイ等)
イタリア:内政クーデターで中立化・政体転換の可能性が出る。後に国連常任理事国入りの裏交渉あり。
インド共和国:日本協力下で独立、対日関係は友好。後にはMSTOの構成国の一員として地域安全保障に関与。
オーストラリア:日本が北部占領・作戦の被害を受ける。戦後、地域の安全保障再編の当事者となる。
ハワイ王国:戦中は事実上の日本の影響下に置かれるが、戦後はUSACと日本の政治的交渉の末、形式的独立・様々な安全保障的調整が行われる。
9. 軍事・技術的特徴 核砲弾に関する説明
皇国が人形峠のウラン鉱を基に低〜中出力の核弾頭を砲弾型や艦砲型に搭載して実戦使用した。「試製一号(10kt相当)」は 軍事施設の撲滅を目的 としており、市街地への無差別攻撃を避ける方針は政府声明として打ち出された。
10. 社会・政治的帰結(国内)
日本
総力戦体制、及び遷都・研究都市整備に伴う国家動員は科学・技術力を加速した一方、人的犠牲・復興負担が深刻化。
英国
帝国の領土放棄は国民的トラウマを生むが、海軍と金融の温存により国際的生存を図る。
ドイツ
長期戦は国内の社会亀裂を拡大し、軍部内部の反発がクーデター・政体交代を生むトリガーとなった。
米国(USAC)
敗戦により、北米国家併合へと舵を切り、戦後のパワーバランスに大きな影響を与える。
11. 戦後再編から日独冷戦への移行
2604年講和と国際連合(2604/09/26)創設は、形の上で戦争を終息させたが、力の真空と勢力均衡(欧州:ドイツ主導/アジア:日本主導)は新たな緊張構造(「日独冷戦」)を生んだ。
2607年以降の地中海・北アフリカでの代理戦、2614年以降の宇宙・核の競争、2626年の日本震災、2626年秋のドイツ海軍クーデターを経て、2627年11月の日独会談で「冷戦的対立の終結」宣言が為される。ただしこれは「緊張の段階的緩和」であり、戦後の勢力圏合意と現実政治の再編が主である。
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