第七章:森の夜警(01)
夜が明ける頃、想たちは湖光亭に戻っていた。
空はまだ暗く、東の地平線がようやくうっすらと染まり始めている。
薪をくべた炉に火が入り、静かな灯が部屋の隅を照らしていた。
陽が湯を沸かし、チェルシーは反響石を柔らかな布で拭いている。
想は手のひらを見つめていた。
自分の手が、まだほんの少しだけ震えていることに気づいた。
恐怖ではない。それは、緊張が抜けたあとの、体の正直な反応だった。
「想」
陽が声をかけ、湯飲みを差し出した。
薬草茶の香りが鼻をくすぐる。あの夜、診療所で初めて出されたものと同じ香りだった。
けれど、今は違う。
あのときは他人だった自分が、今はここで共に立っている。
「ありがとう。……俺、何かひとつ超えられた気がします」
「うん。今夜はきっと、“想がこの村の一員になった夜”になる」
その言葉に、想は頷いた。
静かに、でも確かに、心の中で“守りたい”という気持ちが育っている。
ほどなくして、雄太郎が村の仲間を連れて戻ってきた。
彼の背後には、鍛冶屋の健太朗、商隊案内人のコナー、そして薬草区の宏美の姿もある。
全員の顔に、夜通しの疲れが浮かんでいたが、目は鋭かった。
「被害は今のところなし。ただ……村の柵、二か所でこじ開けられた跡があった」
雄太郎の報告に、健太朗が顔をしかめる。
「本格的に来る気か。柵の補強だけじゃ足りねえな。地元の若い衆、起こして朝から持ち場を割り振る」
「わたしは薬で手伝うわ。目印用に“光素油”を作る。夜に塗れば、侵入者が通るたびに残光が浮かぶから」
宏美が淡々と告げ、陽もすぐにうなずいた。
「私は診療所で薬の補充をする。何かあったときのために、傷薬と鎮静剤を増やしておくわ」
コナーは苦笑まじりに肩をすくめた。
「俺は脚が速いからな。何かあったときは、隣村まで走って援軍を頼んでくる」
その姿は、まるで戦時下の連絡兵のようで、想は思わず声を上げた。
「俺も、何かできることありますか?」
雄太郎が想の方を見て、少しだけ目を細めた。
「……村の見回りに同行しろ。お前が“外から来た人間”だってことは、あの侵入者にも分かってる可能性がある。顔を見せることで、抑止力になることもある」
「わかりました」
短く答えたあと、想は一度だけ深く息を吐いた。
怖さがないわけではない。けれどそれ以上に、自分の中にある“誰かと共にいる”という確かな気持ちが、背中を押していた。
陽が、そっと言葉を添えた。
「想。ね、ちゃんと食べてね? 動けなくなるほど働いたら、それこそ守れないよ」
「……ありがとう。ちゃんと食べて、ちゃんと働きます」
小さなやり取り。
でもそこには、互いを思いやる確かな温度があった。
湖光亭を出るとき、想は改めて周囲を見渡した。
まだ明けきらぬ空、染まりかけた雲、静かに波を立てる湖――
そのどれもが、自分の暮らす世界の一部になりつつある。
今日も守る。
今日も、暮らす。
それが、この村での“日常”であり、“希望”なのだ。
夜の闇が退き、朝の光がひと筋差し込んだ。
想は、背筋を伸ばして歩き出した。
もう迷わない――そう思える、静かな決意とともに。
(→End)
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