第五章:開墾とスコップ(01)
午後の太陽は高く、影の輪郭が少しずつ短くなる中で、想たちは再び作業に戻っていた。
今度は、午前中に掘り起こした地面に、宏美の調合した改良剤を一握りずつまいていく作業だ。
粉末はふわりと広がり、湿った土に染み込むように馴染んでいく。
想は、手のひらでその感触を確かめながら、改めて「土」という存在の奥深さに気づいていた。
「……生きてるんですね、この地面も」
「うん。土は“死んでる”ように見えるけど、実際は呼吸してる。水を通して、菌が動いて、微細な粒が絡み合って。ひとつの“命”なんだよ」
宏美の声は、控えめながら芯があった。
彼女が土や薬草に向き合うときの真剣な目が、想にはとても印象的だった。
「想が、今感じてること、全部正解。スコップの感触も、草の匂いも、土の粘りも……それ全部が、畑を育てる第一歩なんだよ」
健太朗の言葉に、想は手を止め、スコップの柄を見つめた。
つい先日まで、これほど“道具”に対して意識を向けることなどなかった。
けれど今は、この木と鉄の棒が、自分の行動と気持ちを地面に繋げる媒介になっているのだと、はっきりとわかる。
整地が終わる頃には、すっかり陽が傾きかけていた。
数時間前まで草むらだった一帯が、整った矩形の耕作地として姿を現している。土が起こされ、光を浴び、静かに呼吸をしているようにさえ見えた。
「やったな」
健太朗がスコップを肩に担ぎ、満足げにうなずいた。
「……これが、俺たちの薬草園の始まり、ですね」
「始まりであり、毎日の継続の入口でもあるな。土に終わりはない。毎年、毎月、同じようで違う。変わっていくから面白いんだ」
想はその言葉を胸に刻んだ。
「変わっていくから、面白い」。
もしかすると、それは人生そのものに通じる言葉なのかもしれない。
道具を片付けたあと、四人は湖光亭の庭に戻り、冷ました薬草茶を分け合った。
ほんのりと甘く、少しだけ舌に残る渋味が心地よい。
「ところでさ」
と、健太朗がふと声を上げた。
「お前、ここで“宿”やるんだろ?」
「……はい。まだ、ちゃんと準備できてるわけじゃないですけど……」
「だったら、名前残しとけ。今のこの土に、手を入れた記念ってやつ」
そう言って彼は、空き木箱の板切れを取り出し、小刀でなにやら文字を刻み始めた。
「“湖光亭・薬草園区画 初日”ってな。これ、杭に括って、ここに立てとこう」
想はその板を受け取り、視線を落とした。
無骨な文字。でも、真っすぐだった。
気取らず、飾らず、ただ“記録”として残すための誠実な手。
「……ありがとうございます。これ、大事にします」
「おう。大事にしすぎて飾るなよ。どんどん汚れて、割れて、朽ちたときに“ここから始まった”って思い出せるくらいが、ちょうどいい」
陽が静かに言った。
「この場所が少しずつ育って、想と一緒に変わっていくといいな。誰かの居場所として、記憶の中に残る場所になったら……とても素敵なことだと思う」
その言葉を聞いたとき、想はふと、かつて会社で言われたある一言を思い出した。
“君の代わりなんて、いくらでもいる”
あの言葉が心に突き刺さって、ずっと抜けなかった。
でも今――土を踏み、汗をかき、名を刻まれた今日という日は、
「誰かの代わりではない、自分だけの時間」として、確かに存在している。
風が吹いた。
湖の水面がさざめき、木々がざわめく。
まるで、すべてがこの瞬間を見届けてくれているかのようだった。
想は目を閉じて、そっとつぶやいた。
「また、明日もここに来たいな……」
それは、いつか東京で置き忘れてきた“願い”のかけらだった。
そしてその願いは、今――この地に、やっと根を下ろし始めていた。
(→End)
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