第五章:開墾とスコップ(00)
湖光亭の裏庭に立ったとき、想は思わず絶句した。
広い――それも、ただの広さではない。背丈を超える草、石ころだらけの地面、ところどころ盛り上がった不自然な土の起伏。
“裏庭”と聞いていたが、それはかつての話で、今はただの荒れ地に過ぎなかった。
「……これ、全部、俺たちでやるんですか?」
「そうだよ。うちの畑ってのはな、他の誰かが準備してくれるもんじゃない。自分たちの手で土を起こして、陽の当たり方を見て、風の通り道を考えて……それで初めて“畑”になる」
そう言ってスコップを肩に担いだのは、健太朗だった。
がっしりとした体格に、日焼けした腕、腰に巻いた革のベルトには小道具がびっしりと差し込まれている。まるで畑仕事の冒険者のようだった。
「おはよう。今日は手加減しないからな。想」
「手加減……しなくていいんですか?」
「むしろ、するほうが相手に失礼だって、おれは思ってる」
健太朗はそう言うと、草むらの中にずかずかと踏み込んでいき、根本から草をひっこ抜きはじめた。
それに続いて、想も陽も、それぞれの手に鍬とスコップを持ち、作業を始めた。
最初の一時間は、ただただ“苦行”だった。
何本抜いても次の草が生えている。小石が鍬に当たって跳ね返り、腕にじんと鈍い衝撃が走る。土を掘り返せば虫がうごめき、湿った匂いが鼻にまとわりついた。
だが――奇妙なことに、疲労とは裏腹に、想の中にはひとつの感情が芽生えていた。
「……無心になれるって、こういうことなんですかね」
「おう。考えごとすると逆に体が動かなくなる。だからさ、畑仕事ってのは“心の整地”でもあるのよ」
健太朗は汗を拭いながら笑った。
「……なんか、響きがいいですね、それ」
「かっこつけただけだよ。ほんとは“体動かしてりゃ、余計なこと考えずに済む”ってだけさ」
そこに、宏美が姿を現した。
白い袖に包まれた細い腕、革の手袋、腰には小さな薬壺がいくつも並んでいた。
「お疲れ。ここの土壌診たけど、やっぱり弱ってる。粘土質で、水はけも悪い。改良剤をまいて、土を寝かせないと作物は育たないわ」
そう言って宏美が取り出したのは、いくつもの袋に小分けされた粉末だった。
「これは、粉砕したホーステイル草に炭酸カルシウムを混ぜたもの。土をふっくらさせる効果があるの。量が多いから、二人が地面を掘ったら、その下にまいていって」
「了解!」
想は頷きながらスコップを構え直した。
道具の先端が、土の層を少しずつ切り崩していく。繰り返すうちに、手のひらにはマメができはじめ、汗は首元を流れ落ちる。
けれど、そこには不思議な充実感があった。
“何かを、自分の手で変えている”という確信。
これは、会社の会議室では得られなかった感覚だった。
昼を過ぎたころ、陽が木陰にシートを敷き、三人を呼んだ。
蒸した根菜と塩だけで味付けしたシチューが、土鍋の中で湯気を立てていた。
その素朴な香りだけで、疲れがほどけていく気がした。
「これ、陽さんが?」
「うん。根っこからしっかり煮たから、味は染みてるはず」
ひと口食べた瞬間、想は驚いた。
しみ込むような甘味、塩の輪郭、そして香草の香り――どれもが、体に“必要だったもの”として染みわたっていく。
「……うまい」
健太朗と宏美も同時に顔を見合わせた。
「やっぱり、作業後の一杯は格別だな」
「料理もまた“調和”の魔法なのね」
想は、その言葉にふと頷いた。
魔法とは、火や水を操るだけではない。
誰かと共に作業し、心を通わせる時間すら、ここでは魔法のような力を持っていた。
陽が微笑みながら言った。
「きっとね、この裏庭が生まれ変わるころには……想の暮らしも、少しずつ変わっているはずよ」
想は、鍋を見つめながら小さく答えた。
「……はい。なんか、そんな気がします」
(→01へつづく)
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