第3章:秘密の隠れ家と、芽生える絆
牙狼を退けた後も、エマはリオに寄り添ってくれた。警戒心を解ききれないリオだったが、エマが差し出すもう一つ残っていたパンを受け取り、言葉少なに森を歩いた。やがて森を抜け、小さな村の明かりが見えてきたとき、エマは立ち止まってリオを振り返った。
「リオは、この後どうするの?」
その問いに、リオは答えられなかった。どうするのか、など考えたこともなかった。これまで、どこにも居場所などなかった。魔物たちには「屑」と蔑まれ、人間の村からは石を投げつけられた。自分がいつ生まれたのかもわからない。気付いた時には生きるためにさまよい、ただ今日一日をしのぐことしか考えてこなかったのだ。
「…帰る場所なんて、ない」
絞り出すように言うと、エマは寂しげに眉を下げた。
「じゃあ、私の家に来る? お母さんもきっと大丈夫って言ってくれるから!」
エマの言葉に、リオは反射的に首を振った。自分は魔族だ。人間であるエマの家になど行けるはずがない。受け入れてもらえるはずがない。これまでの経験が、リオの心を縛り付けていた。
「ダメだ…僕は、魔族だから…」
エマは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「魔族でもいいじゃない! 別に誰にも言わないから!」
その無邪気な言葉に、リオは戸惑った。だが、エマは諦めない。
「そうだ! 私の秘密基地があるの! 前はよくそこで遊んでたんだけど、最近はあんまり行ってなくて。そこなら、リオも安心して過ごせるんじゃないかな?」
エマの提案は、リオにとって予想外だった。秘密基地。それは、誰にも見つからない、自分だけの場所。そんな場所を、この子が自分に提供してくれるというのか。リオは迷ったが、エマの澄んだ瞳には嘘偽りがなく、そして何よりも、この子と離れたくないという感情が、胸の中に小さく芽生えていた。
「…分かった」
リオが頷くと、エマは嬉しそうに駆け出した。秘密基地は村の少し外れ、小高い丘の裏側に隠された、小さな洞窟だった。中は思ったよりも広く、エマが持ち込んだ布切れや木切れで、ささやかながらもリオだけの空間が作られていった。
それから約一年、二人の不思議な友情の日々が始まった。
日中はエマが村の子供たちと遊び、夕方になるとこっそりリオの秘密基地へとやってくる。エマは毎日、村での出来事を身振り手振りで面白おかしくリオに話して聞かせた。
「ねぇねぇ、今日ね、村のおじいさんがパンのお使いを頼んだのに、子ども達が大量のゴボウを買ってきちゃったの! おじいさん、ものすごい顔してたんだから!」
エマがそう言って大笑いするたびに、リオもつられて、今まで知らなかった「笑顔」という表情を浮かべるようになった。初めてのパンを食べた時の感動を忘れられず、エマが持ってくる残り物のパンや果物を、リオはいつも大切に食べた。時には、エマが苦手な野菜を「リオ、代わりに食べてくれない?」と押し付けてくることもあった。
「どうして僕が…」と渋々口に運ぶリオを見て、エマは「えへへ、リオはなんでも食べるね!」と満足げに笑った。そのたびに、リオは少しだけムッとしたが、どこか満たされた気持ちになった。過酷な森での生活ではありえなかった、温かく、そしてどこか賑やかな日々。村のすぐ近くに魔族が住んでいることを知っているのは、世界中でたった二人だけ。その秘密が、二人の絆をより一層深いものにしていった。
そんなある日のこと。エマはいつものように秘密基地にやってきたが、その顔にはいつもの明るさがなかった。元気なく膝を抱え込んでいるエマに、リオは心配そうに声をかけた。
「どうしたの、エマ? 何かあったの?」
エマは俯いたまま、小さな声で呟いた。
「今日、お城で適性試験を受けてきたの…そしたら…」
言いよどむエマ。リオは訝しんだが、その日の昼間、村が尋常ではない騒ぎになっていたことを思い出した。村人たちが口々に「勇者様!」「ついに魔王を倒す日が来る!」と叫び、まるで祭りでもあるかのように興奮していたのだ。
その騒ぎの原因が、今目の前にいるエマだということを、リオは察していた。
「エマ…もしかして、勇者になったのか?」
リオの言葉に、エマはビクリと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。その青い瞳には、迷いと不安が色濃く浮かんでいた。
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