第3話 誕生
──落ちている。
空も、地も、時間もない空間を、ルトス・クロヴァンはただ沈み続けていた。
崖から突き落とされた記憶だけが、まだ身体に焼き付いていた。肉を裂かれ、骨がきしみ、血が口の中で渇く。
そして最後に見たのは──誰も、自分を助けなかったという事実だった。
(結局……俺は、何も変えられなかった)
和平を願い、交渉に赴き、裏切られ、そして人間にも拒絶された。
敵でも味方でもない中立の存在など、この世界には居場所がなかった。
やがて、全ての感覚が薄れ、思考すらも霞もうとしたその時──
《見つけた》
“声”が響いた。いや、脳に直接“意志”が流れ込んできた。
それは優しさでも、怒りでも、正義でもない。
ただ純粋に、「見つけて面白がっている者の声」だった。
《いやあ、面白い。本当に面白いな、お前。何も信じられず、誰にも救われず、なのに、諦めきれない目をしている》
「……誰だ……?」
ルトスは思考だけで問いかけた。肉体はどこにもなく、声も出せない。ただ、“存在”が漂っている。
《私は観ている者。面白いものを愛するもの。そして混沌を創り出すもの。ただ、この世界は飽きた。稀に現れる選ばれし勇者も、闇の王も、つまらない。定型すぎて》
声の主は、楽しげに笑った。
《でも、お前は違う。お前は、正義も悪も拒絶した。面白い。“壊れている”のに、まだ“選ぼう”としている》
「選ぶ……?」
《そうだ。何かを。まだ、何かをしたいと思っている。絶望の中にいながらも、終わっていない目をしている。いいぞ、そういうのが一番いい》
無形の声は続けた。
《だから、お前に力をやろう。報酬なんかじゃない。使命でもない。ただ、面白いから》
その瞬間、ルトスの足元に広がる虚無がぐにゃりと歪んだ。
黒く、深く、終わりのない穴が生まれた。
地面もないのに、そこだけが異質だった。
引き寄せられるように、ルトスの“存在”がその穴と重なっていく。
《これは“世界を裏から侵食する力”。法則を突き崩し、均衡を乱し、真の意味で“第三の道”を刻むためのもの。お前にとっての“出口”だ》
その言葉と共に、世界が反応した。
ルトスの存在に呼応するように、人類の領土に、魔族の支配地に、突如として穴が開いた。
底の見えない、暗黒の穴。
誰にも予測できない出現。どこにでも現れる恐怖。
《人々は、あれを“ダンジョン”と呼ぶようになるだろう。意味も分からずに。ただの穴なのに。あの中に入った者は、生きるか死ぬかをかけた“遊び”をするんだ》
「……遊び、だと?」
《そうさ。命をかけた遊び。誰が上に立ち、誰が落ちていくか。滑稽で、愚かで、だけど、目が離せない》
「それを……俺にやれと?」
《違う違う。私は“やってほしい”なんて言ってない。ただ、“与える”だけ。やるかやらないかは、お前次第さ。やらなくてもいいんだ。ただ、それはとても──つまらないけどね》
嗤うような、楽しげな、でもどこか狂った気配のある“声”。
ルトスの胸の奥に、黒い痕が灯った。
否、痕ではない。意志だ。
あらゆるものに拒絶され、それでもなお、どこかで“何か”を求める心。
《さあ、選べ。破壊するか、築き上げるか。笑うか、泣くか。全てを許すか、断罪するか。どれでもいい。どれでも面白い》
視界が広がる。
ルトスの内側に異質な力が宿った。
「……ふざけているな、あんた」
《それがいいだろう? 真面目ばかりじゃつまらない。何もかもが予定調和なこの世界に、お前という“ノイズ”を置いてみたいのさ》
声はふっと消えた。
だがその直後、ルトスの背に重力が戻る。
深淵から、這い上がるように。
いや、違う──“上がる”のではない。
世界の底を這い、裏側から侵食していく力が、今、彼の中に宿った。
裂け目が、生まれていく。
その中心にいるのは、誰にも知られぬ“存在”。
光でも闇でもない、第三の穴の主。
ルトス・クロヴァンの意思は、ついに闇へと沈んだ。
その先で、彼が何を選ぶのかを──まだ、誰も知らない。
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ここまで読んでくれてありがとうございます。
これからどんどん話を進めていきたいと思いますので、よろしければ読んでみてください
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