案件005:水平展開

ミストラル村に導水路網が完成してから一か月後、ジュリアスの小屋は朝から慌ただしかった。秋の穏やかな日差しが窓から差し込む中、机の上には各地からの書状が山のように積まれている。


「賢者様、賢者様!」


 息を切らせて駆け込んできたのは、村長のハンスだった。手には数通の書状を抱え、額には汗が滲んでいる。その慌てぶりから、只事ではない様子が窺える。


「デール村からの相談が……!緊急の依頼だそうです!」


 ハンスは震える手で書状を差し出した。封蝋が急いで押されたのか、やや歪んでいる。


 ジュリアスは書状に目を通すと、アルファに視線を向けた。羊皮紙に記された内容は、予想通り水不足に関するものだった。文面からは、村人たちの切迫した状況が読み取れる。


「また水の問題か。予想通りだな」


 ジュリアスは書状を机に置きながら、冷静に状況を分析した。


「はい、ジュリアス。ミストラル村の成功事例が近隣に広まった結果、同様の問題を抱える村々からの依頼が急増しています。現在、正式な依頼書が届いているだけで5件、非公式な相談を含めると8件になります」


 アルファのホログラムが、近隣地域の地図を表示した。各村の位置と問題の種類が、色分けされて示されている。


 アルファの報告に、ジュリアスは満足げに頷いた。これまでの戦略が順調に機能している証拠だった。


「順調すぎるほどだな。だが、これだけの案件を我々だけで処理するのは限界がある」


 ジュリアスは立ち上がり、窓の外を見渡した。ミストラル村では、新しい導水路システムのおかげで村人たちが活き活きと働いている。しかし、他の村々も同じように救わなければならない。


 ハンスに返事を書き終えると、ジュリアスは改めてアルファと向き合った。小屋の中には、設計図や技術資料が整然と並べられ、まさに新時代の工房といった様相を呈している。


「アルファ、現在の作業効率を分析しろ。このペースで依頼を受け続けた場合、どの程度で破綻する?」


「現在のリソースでは、同時進行可能な大型プロジェクトは最大3件。それ以上となると、品質の低下または納期の大幅な遅延が避けられません」


 アルファの分析結果が、グラフとして表示される。現在の作業量と将来の予測が、一目で分かるように整理されていた。


「組織の拡大が急務だな。アルファ、各村に技術指導者を派遣する必要がある。お前の分身体を複数作成できるか?」


「技術的には可能です。ただし、演算能力と知識データベースは本体と共有することになるため、同時に高度な判断を要する作業を並行することは困難です」


「構わん。基本的な技術指導であれば、プログラム化されたルーチンで十分だろう」


 その時、再び小屋の扉が開かれた。今度も、ハンスだった。先ほどとは違い、その表情には困惑の色が浮かんでいる。足取りも重く、何かを言い出しかねているようだった。


「賢者様、申し訳ありません。もう一つ、お伝えしなければならないことが……」


 ハンスの声は小さく、明らかに躊躇している様子が見て取れた。


「何だ?」


 ジュリアスは、ハンスの様子から事態の深刻さを察した。


「最近、近隣の村々から多くの人が視察に来ているのは良いことなのですが……中には、神殿の関係者らしき人物も混じっていたようで……」


 ハンスの声には、明らかな不安が込められていた。神殿組織の権威は、この辺境の村でも十分に知られているのだろう。


「神殿の関係者、だと?」


 ジュリアスとアルファは、視線を交わした。ついに来たか、という思いが両者の間に流れる。


「はい。白い衣を着た男性が二人、導水路網を詳しく調べていたそうです。村人に質問もしていましたが……その内容が、賢者様の技術についてばかりで……」


 ハンスは手をもじもじと動かしながら、不安げに続けた。


「村人たちも、何か悪いことをしているのではないかと心配して……」


「なるほどな」


 ジュリアスは冷静に状況を整理した。想定していた事態ではあるが、思ったより早い展開だった。


「ハンス、君たち村民に迷惑をかけるつもりはない。もし神殿の者たちが何らかの圧力をかけてきても、すべて私に話を通すよう伝えてくれ」


 ジュリアスの言葉に、ハンスの表情が明るくなった。


「あ、ありがとうございます! 賢者様がそう言ってくださると、皆も安心します」


 ハンスが安堵の表情を見せて帰った後、ジュリアスはアルファに向き直った。窓の外では、村人たちが新しい導水路システムを使って日常の作業を行っている。平和な光景だが、その裏では確実に変化の波が押し寄せている。


「思ったより早く動いてきたな」


「はい。我々の技術力を過小評価していたようです。ただし、現時点では様子見の段階と推測されます。分析によると、神殿組織は旧文明の遺物や断片的な古代知識を独占することで、宗教的権威と政治的影響力を維持している可能性が高い。我々の体系的な技術は、彼らの既得権益を根底から脅かす存在でしょう」


 アルファのホログラムが、神殿組織の推定勢力圏を表示した。王都を中心に、広範囲にわたって影響力を持っていることが分かる。


「つまり、遅かれ早かれ衝突は避けられない、ということか」


「その通りです。ただし、現段階では我々の正体や技術レベルを測りかねているのでしょう」


「なるほど。ならば、向こうから動いてくるまでは放置しておこう。それより、組織拡大の方を優先する。良い人材を確保できれば、神殿組織との交渉も有利に進められる」


*   *   *


 翌週、ジュリアスはアルファと共にデール村への道を辿っていた。


 馬上から見渡す景色は、ミストラル村周辺とは様相を異にしていた。本来なら青々とした畑が広がるべき時期だというのに、作物は明らかに水不足に苦しんでいる。土地は乾燥し、ところどころでひび割れが生じていた。風が吹くたびに、乾いた土埃が舞い上がる。


「深刻な状況だな」


 ジュリアスは手綱を引きながら呟いた。馬も、この乾燥した環境に疲れを見せている。


「はい。この地域特有の地質が影響しているようです。地下水脈が深く、従来の井戸では十分な水量を確保できません」


 アルファの分析通り、デール村は水の確保に深刻な問題を抱えていた。村に到着すると、村長をはじめとする住民たちが藁にも縋る思いで出迎えてくれた。


「賢者様! どうか、我々の村をお救いください!」


 村長の懇願する声には、切実な響きがあった。住民たちの表情も、希望と不安が入り混じったものだった。


 その切実な願いに応えるべく、ジュリアスは持てる技術の全てを投入した。深井戸の掘削から始まり、効率的な配水システムの構築、さらには節水技術の指導まで、包括的なソリューションを提供した。


 工事期間中、村人たちは半信半疑ながらも、ジュリアスの指示に従って作業を進めた。アルファの球体ユニットが正確な測量を行い、これまで見たことのない高性能な資材が次々と現場に運び込まれる光景は、彼らにとってまさに奇跡そのものだった。


「本当に、こんなもので水が出るのでしょうか……?」


「賢者様を信じて、頑張りましょう」


 村人たちの会話からも、期待と不安が入り混じった気持ちが窺える。


 そして十日後、デール村にも清らかな水が流れ始めた。干ばつに苦しんでいた作物は息を吹き返し、村人たちの顔に久しぶりの笑顔が戻った。


「本当に……本当に水が……!」


「賢者様、ありがとうございます!」


 村人たちの歓声が、村中に響き渡った。


「これで、また一つ成功事例ができたな」


 完成した導水路システムを眺めながら、ジュリアスは次の目標に思いを馳せていた。


「アルファ、例のカモミール村だが、データの詳細はどうなっている?」


「興味深い結果が出ています、ジュリアス。この村の農業収穫効率は、近隣の平均を30%以上上回っています。しかも、特別な設備投資や外部からの技術導入の記録がありません」


「つまり、内部に優秀な人材がいる可能性が高い、ということか」


「その通りです。ぜひ直接確認してみる価値があるでしょう」

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