案件003:職人気質
「賢者様、賢者様!」
リリの弾んだ声が、ミストラル村の市場に響いた。それは、ジュリアスと初めて出会ってから三日後の、まだ朝露が残る早朝のことだった。
「どうした、リリ君。薬草の売れ行きは引き続き好調のようだな」
ジュリアスは、昨日までの売上を嬉しそうに数えているリリの側に近づいた。彼女の露店は、数日前の閑散とした状況とは打って変わって、既に数人の客が品定めをしている。
「はい! おかげさまで、今日も朝からお客さんが! もう賢者様にはなんてお礼を言ったら……」
リリは満面の笑みで答える。
「礼なら既にもらっている。それより、君の成功を見て、他の店主たちがどう反応するか、だな」
ジュリアスの視線は、リリの露店から、市場全体へと向けられていた。彼の目には、改善の余地が無数に転がっているように見えた。
「アルファ、市場全体の構造的な問題点をリストアップしつつ、まずは手っ取り早く改善が見込める箇所があれば報告しろ」
小声で端末に指示を出す。
「承知しました、ジュリアス。データ収集及び分析を開始します。早速ですが、あちらの織物屋の陳列は、商品の価値を著しく損ねていますね。改善すれば売上は最低でも2倍は見込めるでしょう」
携帯端末から、アルファの冷静な声が聞こえる。
「ふむ、織物屋か。確かに、あの雑然とした陳列は目に余るな」
ジュリアスは、リリに軽く声をかけると、迷いなく織物屋の露店へと足を向けた。
* * *
織物屋を営む中年女性のマルタは、突然近づいてきた見慣れぬ風体の男に、訝しげな視線を向けた。
「なんだい、あんた。何か用かい?」
マルタのぶっきらぼうな問いに、ジュリアスは臆することなく答える。
「マルタ、だったかな。君の店の織物だが、質は悪くない。だが、売り方が絶望的に下手だ。これでは売れるものも売れん」
単刀直入な物言いに、マルタの眉がピクリと動いた。
「な、何さ、いきなり! あんた何様だい!」
「私はジュリアス・グランツ。旅の商人だ。そして、君の商売を立て直してやろうと言っている」
ジュリアスは、マルタの露店の商品を勝手に手に取り、配置を変え始めた。
「こら! 何勝手なことしてるんだい!」
「まず、この布地の色合いと質感を活かす陳列。それから、客の目線に合わせた高さ。だが、最も重要なのは……」
彼は、一枚の麻布を光に透かし、マルタに突きつけるように見せた。
「商品の『物語』を語ることだ。この布がどう作られ、何に適し、客の生活をどう豊かにするのか。それを伝えねば意味がない。例えば、この生地なら……」
ジュリアスは、マルタの商品を季節ごとにグループ分けし、それぞれに「新婚の奥様に、初めての共同作業を彩る一枚」「お子様の健やかな成長を願う、優しい肌触り」「厳しい冬の寒さから、大切な家族を守る温もり」といった具体的なキャッチコピーを、半ば強引に提案していく。
マルタは、あまりの勢いに最初は呆気に取られていたが、ジュリアスの語る言葉と、彼の手によってみるみる変わっていく自分の店の様子に、次第に目を輝かせ始めた。
そして、一時間後。
「あら、この布、すごく素敵ね! この色合い、うちの娘にぴったりだわ!」 「この『物語』ってやつ、なんだかグッとくるねぇ」
マルタの露店には、今まで見たことのない数の客が集まり、次々と商品が売れていく。
「す、すごい……本当に、売れていく……」
マルタは、信じられないといった表情で呟いた。
「ジュリアス……様。本当に、ありがとうございます!」
深々と頭を下げるマルタに、ジュリアスは満足げに頷いた。
「当然の結果だ。ただし、コンサルティング料として、今日の純利益の2割は頂く。異論はないな?」
「は、はい! もちろんですとも!」
マルタは、もはや何の疑いもなく頷いた。
次にジュリアスが目を付けたのは、蜂蜜売りの老人だった。彼の露店は、質の良さそうな蜂蜜を扱っているにも関わらず、汚れた木桶に入れられ、不純物が混じって濁っており、客足が遠のいていた。
「おい、そこの爺さん」
ジュリアスが声をかけると、老人は驚いたように顔を上げた。
「その蜂蜜、物は良いようだが、売り方がなっていない。あの状態では誰も買わんぞ」
「な、何じゃと? わしの蜂蜜にケチをつける気か!」
「ケチではない、事実だ。アルファ、この蜂蜜の成分を分析しろ」
端末に小声で指示すると、すぐにアルファからの報告が脳内に響く。
『ジュリアス、これは驚くべき発見です。この蜂蜜には極めて高い抗菌作用と栄養価が含まれています。適切にアピールすれば、薬用蜂蜜として高価格での販売が可能でしょう』
「なるほどな」
ジュリアスは、端末の物質変換機能で簡易的な濾過装置を作り上げると、老人の目の前で蜂蜜を濾過し始めた。
「な、何をしておるんじゃ、あんたは!?」
「見ての通りだ。不純物を取り除き、この蜂蜜本来の価値を引き出す。そして、この透明な瓶に詰め、ラベルを貼る。『森の秘薬 奇跡の蜂蜜』……どうだ? これなら通常の3倍の価格でも売れるぞ。指導料は、その差額の純利益の半分でいい」
濾過され、美しく瓶詰めされた蜂蜜と、ジュリアスの自信に満ちた提案に、老人は言葉を失っていた。そして、実際に高値で蜂蜜が飛ぶように売れていくのを見て、涙を流して感謝したのだった。
食堂を営むベルタに対しても、ジュリアスは同様だった。味は悪くないものの、盛り付けの雑さ、店内の薄暗さ、清潔感の欠如を的確に指摘し、「料理は味だけでなく、視覚と空間も重要だ」と、半ば強引に改善を施した。旬の食材を使った「本日のおすすめ」システムも導入させ、一週間後には村一番の人気店へと変貌させた。
パン屋、野菜売り、木工細工師……ジュリアスは、その週で市場の大半の店に、彼のやり方で「コンサルティング」を提供した。最初は反発していた店主たちも、彼の的確な指摘と、実際に売上が数倍になるという結果を目の当たりにし、最終的には心からの感謝と尊敬の念を抱くようになっていた。
そして、一週間後の夕暮れ時。
「賢者様、本当にありがとうございました!」
市場の店主たちが、口々に感謝の言葉を述べる。
「今週の売上、いつもの三倍どころじゃないですよ!」 「こんなに忙しかったの、店を開いて初めてです!」
ジュリアスは、彼らの感謝を受けながら、内心で確かな手応えを感じていた。
(銀河の帝王として君臨していた時には感じることのなかった、直接的な達成感。悪くない)
「ジュリアス、今週のコンサルティング収入をまとめました」
アルファが報告する。
「合計で、銀貨24枚、銅貨67枚です。この世界の物価を考慮すれば、かなりの金額ですね」
「そうか。それだけあれば……あの小屋を借りるには十分だな」
ジュリアスは、村の外れにある廃屋を見つめた。
* * *
翌週、ジュリアスは市場で稼いだ資金で、ミストラル村の外れにあるボロ小屋を借りることができた。
雨漏りがひどく、壁には隙間があり、とても快適とは言えない代物だったが、彼にとっては新たなスタートを切るための重要な拠点だった。
「これで、本格的な活動基盤ができたな」
ジュリアスは、修理した家具を配置しながら呟く。
その傍らには、彼が昨日、手持ちの素材と知識を総動員して作り上げた、滑らかな球体――アルファの新しい物理インターフェース――が静かに浮遊していた。
「アルファ、その新しい身体(からだ)の具合はどうだ? この世界のあり合わせの素材にしては、上出来だろう」
ジュリアスの問いに、滑らかな球体は微かに光の明滅で応えるかのように、彼の肩の高さまで浮上した。
「はい、ジュリアス。この物理インターフェースは、貴方の設計通り極めて高効率に機能しています。限定的な環境下での素材調達と加工技術を考慮すれば、驚嘆すべき完成度です。特に、内蔵された簡易センサー群と微細マニピュレーターの精度は、今後の活動において大きな助けとなるでしょう。演算ユニット及びホログラム投影装置との連携も最適化されています」
球体ユニットから、アルファの冷静ながらもどこか満足げな声が直接響いた。
「ジュリアス、早速ですが、次の『改善対象』のデータがまとまりました。村の鍛冶屋、ガスパルです。彼の作る農具の品質は、この村の農業生産性の大きな足枷となっています」
ジュリアスは、ガスパルの鍛冶場へと足を運んだ。
がっしりとした体格に、煤で汚れたエプロン、火傷の跡が無数にある腕。典型的な職人の風貌をしたガスパルは、突然現れたジュリアスと、その傍らに浮かぶ奇妙な球体に、胡散臭そうな視線を向けた。
「んだテメェら、何の用だ。ひやかしなら帰りな」
ガスパルの威圧的な態度にも、ジュリアスは動じない。
「ガスパル、お前の作る農具だが、あれでは話にならん。すぐに刃こぼれし、柄も折れやすい。村の連中が気の毒になるほどの代物だ」
「なにおう! 旅のモンが、いきなり何て言い草だ!」
ガスパルは、手に持っていた槌を振り上げんばかりの勢いだ。
「事実を言ったまでだ。だが安心しろ、私が直々に新しい農具の設計と鍛造技術を教えてやる。お前の腕では宝の持ち腐れだが、まあ、素体としては悪くないだろう」
「て、テメェ、どこまで人をコケにしやがる! この道50年の俺様に、鍛冶を教えるだと!?」
「そうだ。ただし、タダではない。完成した農具によって得られる純利益の3割を、技術指導料として貰い受ける。どうだ? この話、乗るか乗らんか?」
ジュリアスの傲岸不遜とも言える申し出に、ガスパルは怒りで顔を真っ赤にしていたが、市場でのジュリアスの噂――次々と店の売上を倍増させたという――も耳にしていた。そして何より、自分の作る農具への客の不満も自覚していた。
「……本当に、そんなことができるってのかよ」
「できない約束はせん。お前が私の指示に正確に従えば、の話だがな」
しばしの沈黙の後、ガスパルは吐き捨てるように言った。
「……いいだろう。そこまで言うなら、手並み拝見といくぜ。だが、もし口先だけだったら、タダじゃおかねえからな!」
* * *
ジュリアスはガスパルの返事を聞くと、間髪入れずに言った。
「話が早くて助かる。では、すぐに準備をしろ」
ガスパルは、ジュリアスの有無を言わせぬ態度にやや面食らいながらも、言われた通りに鍛冶場の入り口に「作業中」の札をかけ、若い弟子一人だけを残して人を払った。ジュリアスも、どこからか調達してきたらしい簡素な作業着に素早く着替えていた。
「始めるぞ、ガスパル。アルファ、炉の準備はいいな?」
「はい、ジュリアス。炉は最適温度に調整済みです。これより、貴方の指示に従い、鍛造プロセスを支援します」
ジュリアスの傍らに浮遊する球体ユニットから、アルファの声が響く。レンズ状のセンサーが、鍛冶場全体をスキャンしているようだ。
「よし。ガスパル、お前は私の指示通りに動け。まずは、お前が普段使っている鋼材を見せろ。……ふむ、成分にムラがあるな。まあ、この世界の技術では仕方あるまい。アルファ、この鋼材の特性を最大限に引き出すための最適な鍛造温度と冷却パターンを算出しておけ」
「算出完了しました、ジュリアス。リアルタイムでガイダンスを行います」
ジュリアスは、ガスパルに鋼材の扱い方、熱し方、そして槌の打ち方まで、手本を見せながら具体的に指示していく。その動きは、普段のスーツ姿からは想像もできないほど力強く、かつ無駄がない。
「なっ……!? おい、あんた、本当にただの商人かよ! その槌さばき、そこらの鍛冶屋よりよっぽど……!」
ガスパルは、ジュリアスの卓越した技術に驚愕の色を隠せない。
「長年、様々な『ものづくり』を見てきたからな。勘所は心得ている」
ジュリアスはそう言いながら、アルファの分析に基づいた指示をガスパルに的確に与えていく。炉の温度、鋼材を熱する時間、冷却のタイミング、槌を打ち込む角度と力加減……。ガスパルは、まるで精密機械を操るようにジュリアスの指示に従い、時にはジュリアス自身が手を加えながら、鋤の形がみるみるうちに洗練されていく。
そして、鋤の形状がほぼ完成した時、ジュリアスはガスパルに一旦手を止めさせた。
「ここからが本番だ。アルファ、例のものを準備しろ」
「ジュリアス、金属結晶構造の最適化のため、プライマリ・マテリアの微量添加を提案します。これにより、素材の耐久性および靱性が飛躍的に向上すると予測されます。ただし、このプロセスは特異なエネルギー反応を伴う可能性がありますが、実行しますか?」
「問題ない。結果が全てだ。むしろ、その方が『付加価値』として認識されやすいだろう」
ジュリアスは、CEOとしての経験からくる大雑把な、しかし本質を突いた判断を下す。彼は、球体ユニットに視線を送ると、ユニットが静かに鋤の刃先に近づき、その表面から微かな光を放った。
次の瞬間、鍛冶場にいたガスパルは、肌をピリピリとするような奇妙な感覚と、鋤から放たれる尋常ならざる気配を感じ取った。
「こ、これは……なんだ……!?」
ガスパルは後ずさった。
「まさか……魔素か!? この鋤に、魔素を込めたってのか!?」
ガスパルは声を震わせた。農具に魔素を込めるなど聞いたこともない。それ以前に、こんな生々しく、濃密な魔素の気配など、生涯で一度も感じたことがなかった。
「しかも、なんだこの……まるで生きているみてえな魔素は! 桁が違いすぎる!」
ジュリアスは、ガスパルの口から出た「魔素」という言葉に、わずかに興味深そうな表情を見せた。彼は、驚愕で言葉を失っているガスパルに向かって静かに告げた。
「さあ、これで完成だ。試してみるがいい」
ガスパルは、恐る恐る、しかしどこか引き寄せられるようにその鋤を手に取った。そして、鍛冶場に転がっていた頑丈な鉄塊に、半信半疑で振り下ろした。信じられない光景が広がった。鉄塊は、まるで熟れた果物のように、いともたやすく両断されたのだ。
「ば、馬鹿な……あり得ねえ……!」
ガスパルは、手の中の鋤と切断された鉄塊を交互に見比べ、わなわなと震えた。
「こいつは、もはや農具なんてもんじゃねえ! とんでもねえ業物だぞ!」
ジュリアスは、その反応に満足げに頷くと、ガスパルに向き直った。
「さて、ガスパル。この農具の販売価格は従来品の3倍とする。そして、そこから原材料費と諸経費を差し引いた『利益』の3割を、私の技術指導料として貰い受ける。異論はあるか?」
ガスパルは、もはや何も言えず、ただ深々と頭を下げるしかなかった。
その日から、ガスパルの鍛冶場には注文が殺到した。「賢者の秘技」と「込められた魔素」によって生み出された農具は、高価にも関わらず、瞬く間に村の農業生産性を劇的に向上させることになった。
そして、ジュリアスの懐には、確かな収益が流れ込み始めた。
* * *
その夜、ジュリアスは借りた小屋で、ホログラムとして顕現したアルファと今日の出来事を振り返っていた。
「アルファ、あの鍛冶屋が言っていた『魔素』という言葉だが」
「はい、ジュリアス。彼の反応と、その言葉が指し示す現象から考察するに、我々がプライマリ・マテリアと呼称するエネルギー、あるいはその限定的な顕現を、この世界の住人は『魔素』と認識している可能性が極めて高いと思われます」
「なるほどな。つまり、この世界ではマテリアがそう呼ばれている、ということか。面白い。利用価値はありそうだ」
ジュリアスは、新たな知識を頭の中で整理しながら、次のビジネスプランを練り始めていた。
* * *
農具改革の成功は、村に大きな変化をもたらした。そして、ジュリアスは次の「改善対象」を求めて、村の畑を視察していた。彼の鋭い目は、明らかに周囲の畑と比べて作物の生育が悪い一角を見逃さなかった。 その傍らには、アルファが制御する球体ユニットが静かに浮遊している。
「アルファ、あの区画の土壌データを簡易スキャンしろ」
「ジュリアス、対象区画の土壌は、窒素、リン、カリウムの欠乏が深刻です。また、土壌pHも作物の生育に適した範囲を逸脱しています。現状のままでは、大幅な収穫増は見込めません」
「だろうな。持ち主は……あの男か」
ジュリアスの視線の先には、痩せた土地で力なく鍬を振るう、一人の農夫の姿があった。年の頃は四十前後、日焼けした顔には深い疲労の色が刻まれている。
ジュリアスは、迷うことなくその農夫、ヨハンへと近づいた。
「おい、そこの男」
突然の呼びかけに、ヨハンは訝しげに顔を上げた。見慣れぬ風体の男と、その横に浮かぶ奇妙な球体を見ている。
「なんだ、あんた。何か用か?」
「その畑、見るからに土が死んでいるな。そんなやり方では、いくら汗を流しても作物が育つはずがない。時間の無駄だ」
ジュリアスの単刀直入な言葉に、ヨハンの顔に怒りの色が浮かんだ。
「なっ……! いきなり来て、なんて言い草だ! この土地は、わしらが代々守ってきたもんだぞ!」
「代々、非効率な農法を続けてきた結果が、その貧相な作物か。嘆かわしいことだ」
ジュリアスは、ヨハンの足元の土をひとつかみすると、指の間で弄びながら言った。
「いいか、この土は養分が枯渇し、酸性化も進んでいる。根本的な土壌改良なしに、まともな収穫は望めん」
「そ、そんなことは分かってる! だが、どうしようも……」
「どうしようもない、だと? 解決策はある。私が直々に、お前のその絶望的な畑を蘇らせてやる」
ジュリアスは、自信に満ちた目でヨハンを見据えた。
「ただし、タダではない。私が指導し、土壌を改良した結果、お前の畑の収穫量が現状の3倍を超えた場合、その超過収穫分の半分を、私のコンサルティング料として貰い受ける。この条件を飲むなら、三日後にお前に奇跡を見せてやってもいい」
ヨハンは、ジュリアスの言葉に半信半疑だった。市場での「賢者様」の噂は耳にしていたが、目の前の男の態度はあまりにも傲慢で、提示された条件も虫が良すぎるように思えた。だが、同時に、その圧倒的な自信と、何かとてつもない知識を持っているかのような雰囲気に、抗いがたい何かを感じてもいた。何より、自分の畑がどうにもならないことは、自分が一番よく分かっている。
「……本当に、三日後には、この畑が……蘇るっていうのか?」
「私がやると言ったら、やる。お前は、ただ待っていればいい。どうだ? この話、乗るか、乗らんか?」
しばしの逡巡の後、ヨハンは、まるで最後の望みを託すかのように、小さく頷いた。
「……わ、分かった。あんたを信じてみる。三日後、ここで待ってる」
「賢明な判断だ」
ジュリアスはそう言い残すと、ヨハンの畑を後にした。
小屋に戻ったジュリアスは、アルファに指示を出す。
「アルファ、ヨハンの畑の土壌データに基づき、最適な土壌改良剤のレシピを最終決定しろ。生成は明朝、現地で行う。球体ユニットの物質変換機能を使い、周囲に悟られぬよう、あくまで『賢者の力』として演出するぞ」
「承知しました、ジュリアス。レシピの最終調整に入ります。物質変換プロセス及び、演出効果についてもシミュレーションを行います」
翌朝、ジュリアスは約束通りヨハンの畑へ向かった。彼の傍らには、昨日と同様に球体のユニットが静かに浮遊している。
ヨハンは、緊張した面持ちで彼を迎えた。
「け、賢者様……」
「うむ。では、始めるとしようか」
ジュリアスが球体ユニットに合図を送ると、ユニットは静かにヨハンの畑の上空を移動し始めた。その下部から、ごく微細な、しかしキラキラと光る粒子を含んだ霧が放出され、乾いた土壌へと染み込んでいく。ヨハンや他の村人たちには、まさに「魔法の玉」が畑に奇跡を施しているようにしか見えなかった。
作業は数時間で完了した。
「よし、これでいいだろう。ヨハン、三日後を楽しみにしているがいい」
ジュリアスは、満足げに言い残し、浮遊する球体ユニットと共に立ち去った。
そして、約束の三日後。
ヨハンの畑は、村中の人々が息をのむほどの変貌を遂げていた。
「おい、見ろよ、ヨハンの畑! なんだあの緑の輝きは!」 「たった三日で、あんなに作物が元気になるなんて……!」
枯れかけていた作物は生き生きと葉を茂らせ、土壌は見違えるように肥沃になっていた。
「け、賢者様……! そして、あの魔法の玉様……! 本当に、本当にありがとうございます!」
ヨハンは、ジュリアスと、彼の傍らで静かに浮遊する球体ユニットに向かって、何度も何度も深々と頭を下げた。その目には、もはや疑いの色などなく、純粋な感謝と畏敬の念だけが溢れていた。
「当然の結果だ。正しい知識と技術を用いれば、これくらいのことは造作もない」
ジュリアスは、そう言いながらも、内心ではアルファの働きに満足していた。
「さて、ヨハン。この肥料だが、作り方は教えてやろう。お前が村の他の者たちにも広めるんだ。ただし、この肥料の効果を最大限に引き出すための『ちょっとしたコツ』は、私とアルファの秘密だがな」
ジュリアスは、にやりと笑った。基本的な肥料の作り方は公開し、村全体の生産性を上げる。しかし、核心的な技術――マテリアによる微調整――は秘匿することで、自身の優位性は保つ。それが彼のやり方だった。
この一件により、「賢者様は不思議な魔法の玉を使役し、土地を蘇らせる肥料の作り方も教えてくれる」という噂は、ミストラル村に確固たるものとして広まった。
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