第4話
ベル、ブライ、そして随行した騎士たちが通されたのは、ハイエンドの中央に建つ荘厳な宮殿、その一室、質疑の間でした。
熱砂の月17日、帝国の要人たちが集まる会議の場で、ベルたちは持ち帰った書簡を皇帝に献上し、視察の結果を報告したのです。
「ベル卿、そして騎士たち、今回の偵察、まことに大義であった。…書簡に記述してある事柄はまことであると申すか?」
そうベルに聞いたのはこの国の大臣。皇帝の側近のような存在です。なんていうか…、非常に典型的な悪役顔の小役人を想像してもらえれば間違いないです。
ベルは答えます。
「はい、この目で見たもの、この耳で聞いたこと、それらは全て記述してあります。集落を築き、文明を持っております。我々は手厚い歓迎を受けました」
「では彼らは我々の進軍にとってどのような障害となりうるか、ベル卿の意見をお聞かせ願いたい」
「では失礼ながら私見を述べさせていただきます。私の視察したところ、ウィンドミルバレーの住人は我々の進軍にとっていささかの障害ともなりえません。風車の回る平和な集落に住む戦いを知らぬ四百人弱の住人が、我々に対しほんの少しの反旗を掲げることも考えられません」
「では…」
ここで、皇帝がおもむろに口を開きます。その場にいる全員に緊張が走りました。
「では、領地を接収し、我々の前線基地とせよ」
皇帝の言葉に臣下たちはどよめきます。アシュガルド越え、その一歩にウィンドミルバレーを攻略せよ、そう皇帝は命じたのでした。
幕僚たちのざわめきの中、着座していたベルは思わず立ち上がります。
「恐れながら皇帝陛下、領地を接収する必要はございませぬ!集落の長に話せば問題なく通過を許可してもらえるでしょう!」
横に控えていたブライが慌ててベルを跪かせました。皇帝に対して意見をする、それはこの国の、そしてラルフ八世の治政下においてあってはならないことなのです。
騎士の一人が抜剣し、ベルの首につきつけます。
ざわめく幕臣たち、そんな彼らを制し、皇帝は静かに告げるのでした。
「許可など求めぬ。我々は大陸最強の戦闘国家。蛮族を蹂躙し国土を広げ富を蓄えてきた。帝国の歴史は血塗られた戦闘の歴史と知れ。もう一度命ずる。これ以降三度は言わぬ。肝に銘じよ。軍師ベル」
「…は」
「北方守備隊合わせて二万の騎士団を率いてアシュガルドを越えよ。道中の集落、領地、全てを接収し、帝国の領土を広げ、要塞を築け。阻むものはことごとく切り倒して山脈越えを成し遂げよ」
最初、さざなみのようだった幕臣たちのざわめきは、やがて皇帝をたたえる歓声となり、その中でベルは一人立ちすくむのでした。
皇帝の決定は瞬く間に国中に広がり、ハイエンドの騎士団はあわただしく進軍の準備を始めます。
ベルたちがアシュガルドの情報を持ち帰ったのが熱砂の月半ば。
大軍でのアシュガルド越えに二ヶ月を要するとして、冬が来る前に山脈を抜けようと思ったら後一月の間に行軍の準備を整える必要があるのです。
ラルフ帝国に存在する騎士団は二つ。
皇帝直属の騎士から構成される精鋭、銀輪騎士団。
銀の車輪が描かれた甲冑に身を包み戦場を駆ける彼らは、帝国の強さの象徴として存在し、近隣諸国にその勇名を轟かせています。
百人隊長以上の階級の者に送られる剣の柄の部分にも、意匠をこらせた車輪の形が取り入れられ、騎士たちはいつかその剣を皇帝陛下から授かることを夢見るのでした。
そしてもう一つ、自治領主、もしくは辺境伯の子弟から構成される、紅月(あかつき)騎士団。
銀輪騎士団とほぼ同数の騎士を抱え、外敵との戦の際には各地から駆けつけ、帝国の楯となるのです。
俸給は帝国からではなく、自身が仕える領主から受け取るため、帝国内で要職に就くことは稀なのですが、銀輪騎士団に負けず劣らず勇猛な集団なのです。
ベルの所属は銀輪騎士団。
彼は銀輪騎士団の筆頭軍師であり、銀輪騎士団長ベルフォード卿、紅月騎士団長ヨアヒム伯爵と共に、アシュガルド越えの最高責任者の一人として行軍の準備に当たることを命ぜられたのでした。
あわただしく、活気を伴って過ぎ去る日々。
そんなある日、ハイエンドの街にある噂が流れます。
あ、見てください、あそこ。誰かと誰かが立ち話をしています。情報通の酒場のマスターと、宿屋の女将さんですね。ちょっと聞き耳を立ててみましょう。
「ちょっとあんた聞いたかい?」
「何をだね?」
「最近街で流れているあの噂さ」
なんと!ちょうど噂話の真っ最中でした!
「ほう、噂ですか?」
「そうさ。何でも騎士団のお偉いさんが姿をくらましたらしいよ。あんた何か知ってるかい?」
「何か知ってるかい?何か知ってるかいですと!?この街の全ての情報は私に集まると言っても過言ではない!」
情報通というプライドをくすぐられ、ヒートアップするマスター。いつの間にか二人の周りには人だかりができています。
「全ての道はハイエンドに通じる、そして全ての情報は私に通じる!姿を消したのは騎士団の筆頭軍師、ベル。そして銀輪騎士団の千人隊長、ブライ卿の二人!三日前の夜、月夜の晩、二人は北の城門を馬で抜け、街道を走り去っていく姿を最後に街には戻っていない!これは一体何を意味するのか!?このような大事な時期に城を抜け出した軍師ベルの真意は一体何なのか!?」
「本当にお聞かせ願いたい!」
月明かりの中、ベルにそう問うたのはブライ。
場所はいきなりとんでハイエンド北方に広がる大平原、早馬を飛ばす二人の旅人、軍師ベルと髭の中年騎士、ブライの話に移ります!
「ベル殿、軍師どの!」
「何だよ?何が聞きたいのさ!?」
「このような大事な時期に城を抜け出して北を目指す、その真意やいかに!?」
「衝動だ!」
「衝動!それはまた若い動機でござるなあ!って、こらーっ!そんなあいまいな理由ではこのブライごまかされませんぞ!」
「うるさいなあおっさん、ついてこなくていいよもう!戻って家族と団らんでもしてろ!」
「そうはいかぬ!軍師殿が行方をくらますようなことがあっては我が銀輪騎士団の重大な損失!ささ、ベル殿、今ならまだ皇帝陛下も許してくれましょう!大丈夫!我輩が陛下に口添えしてあげまする!それから我輩、まだまだおっさんと言われる歳ではござらん!四十に差し掛かったばかりでござる!気分はまだまだ十代!そして妻には先立たれ優雅な独り身でござる!とことんまで付き合いますぞ!」
岩場を越え、二人は馬で走り続けました。何日も、何日も。
さて、場面は変わって、二人が姿を消して三日目の晩に時間は戻ります。ハイエンドの宮殿では、大騒ぎになりつつあるのでした。
質疑の間で、大臣が興奮した口調で皇帝に報告しています。
「申し上げます皇帝陛下。軍師ベルと千人隊長ブライの姿を見たものが現れました。城下の村の農民でございます。さ、入れ。皇帝陛下にお前が見たことを伝えるのだ」
「ははあ、皇帝陛下、オラ、見ただよ。あれはそう、三日前の晩さね。オラの嫁っこが村長の家までハチミツを届けに行ったきり戻ってこないのさ。こんな時間までなんばしよっとかーって思ってオラ村長の家まで見に行っただよ。そしたらさ、あんた、オラ見ちまっただ!川にかかってる橋の上で、嫁っこがぼーっとしとるんだ!オラあんな顔見たことなかったからはあこりゃあよぐねえことがおこったに違いねえって思って聞いてみたんださ。ほったらよ、顔まっかっかにして、『二人の騎士様が馬にのって北上するのを見た、片方の騎士様はそりゃあもう男前で、あたしゃあんな男前見たことがねえ』って、オラもうくやしゅうてくやしゅうて。陛下、聞いてらっしゃるだか?」
「え?ああ、もちろん聞いている」
「以上がこの者の見たことでございます」
「大臣。…こいつの嫁のほうを連れてはこれなかったのか」
「まったくでございますなあ。さ、お前はもう下がってよいぞ。…陛下、いかがいたしましょう?」
「…千人隊長ライアーを呼べ。追跡隊を作って二人の後を追わせるのだ。早馬を飛ばす二人の騎士、目立つ姿を隠そうともしておらぬ。先々で聞き込めばおのずと行き先も知れよう。まずは北へ向かわせろ。二人を連れ戻すのだ。死体でもかまわん」
「殺してしまうのは早計かと。まだ裏切りと決まったわけでは…」
「部隊編成の責務を全うせずに、何も告げず姿を消したのだ。これが裏切りでなくてなんであると卿は申し立てるか!?」
皇帝の怒りに射すくめられ、大臣はただただ頭を垂れるのみでした。
ベルとブライがハイエンドを離れた三日目の朝、銀輪騎士団千人隊長、ライアーによって組織された二十人の追っ手は、各宿場町でことごとく馬を乗り換え、夜通しの強行軍で北を目指します。
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