第3話

 一夜を過ごした六人の騎士、朝日と共に目が覚めたとき、耳に入って来たのは陽気な音楽でした。

 警戒した騎士たちが窓から外の様子を窺うと、集落の雰囲気は昨夜と一変していました。賑やかな音が聞こえ、とてもいい匂いが漂い、そして人々のざわめき…

「騎士さん!騎士さんたち!」

 とても興奮したように騎士たちが泊まった民家に駆け込んできたのは、一人の少年でした。

「騎士さんたちお暇かい!?もうどっか行っちまうのかい!?そりゃあもったいない!どうせだったらさ、今日一日ぐらいここにいなよ!」

 言いながら少年はあっけに取られる騎士たちをまくし立てて外に連れ出します。

 ベルたちが外で見たもの、それは…、お祭りの光景だったのです。

「ちょ、長老どの、これは?」

「驚かれましたか?いやあ、この集落に本当に久しぶりのお客様なので、こんなお祭りになってしまいました」

 長老のジョゼは穏やかに微笑みながらベルたちを村の広場に連れて行きます。

 子供たちが騎士たちにまとわりつき、剣や鎧をペタペタと触ります。

 男たちは既にお酒を飲みながら陽気に語りかけてきます。

 女たちがお酒や料理をふるまい、騎士たちは少しずつ警戒を解き、料理に舌鼓を打つのでした。

 その光景はベルにとって、いえ、騎士たちにとって少なからず驚きでした。

 前人未踏と言われた山脈に人が住み、文明を持ち人として生活している。人がいない、いたとしても文明を持たぬ蛮族のみが住む、それがアシュガルドの通説だったからです。

「長老殿、…この集落は一体何なのですか?」

「わしらの住む村ですじゃ」

「いやその…、そうではなく…。私はこの調査の旅が始まる前、ハイエンドのアカデミーでアシュガルドの文献を調べました。アシュガルドの様々な伝承、荒唐無稽な伝説も知識として得たが…、集落の存在はどの文献を見ても載っていない。ここにはいつから集落があって、それはどのような人が作り上げたのか、教えていただきたい」

 興奮した子供たちの声が広場に響きます。

 ブライが剣を抜き、高く掲げ、子供たちに見せています。

 その、堂々とした騎士の姿に子供たちは興奮を隠せないのでした。

「ベル殿」

 にこやかな顔で長老は言います、

「ベル殿、この集落は、見たまんまですじゃ。ベル殿の知りたがっておられること、いつからここにあったのか、誰が作った村なのか、わしらにはわかりません。ただ、ベル殿達に隠すようなことは何もありません。皆さまがご迷惑でなければ、何もない集落ですが、いつまでもいてもらって大丈夫ですよ。お好きなだけ調べていただいて構いません。子供たちも…」

 騎士たちの語る荒唐無稽な武勇伝に、子供たちは瞳を輝かせて聞き入っています。

 その表情はただひたすら無垢な好奇心に満ち溢れた、当たり前の子供の表情でした。

「子供たちも、喜んでおりますしなあ」

 そう言って長老は、顔をくしゃくしゃにして笑うのでした。


 夕方、かがり火の周りで若者は情熱的に踊り、子供たちがはやし立て、大人たちは大いに飲み食いするのでした。

 ブライたちはすっかり馴染んで楽しんでいます。

 だけどベルは冷静でした。自分たちの任務はアシュガルド山中に住む蛮族たちの調査、そして報告。正確な情報を持って帰り、戦略の礎にするのです。

「少し飲みすぎたか…」

 そうつぶやき、ベルは酔いを醒まそうと喧騒を抜け出し、集落の外れに向かって歩きます。

 集落の外にはひときわ大きな風車、その下、月光に照らされてベルのほうをじっと見ている人影。

「君は…」

 それは昨夜、ベルたちをウィンドミルバレーに導いた不思議な少女だったのです。

「君は…、昨夜の…。ここの住人だったんだね」

 好奇心いっぱいの目線でベルを見つめる少女。

「君は、その…、案内してくれたんだね?」

「おじさん!おじさん!おじさんたちは何なの!?悪い人?」

「え?」

 一瞬、心臓が跳ね上がるような気がしました。

「悪い人!」

 少女はまっすぐベルの腰にさされた剣を指差したのでした。

「これはただの剣だよ。俺たちは騎士だから。君たちを傷つけるつもりは…」

「この村を焼いちゃうの?」

「…え?何て…」


 …いつもどこからか聞こえてくる燃えさかる炎の音、そしてけして忘れえぬ人々の悲鳴。

 少女の声に、思い出したくもない、だけどけして忘れることのできない記憶を掘りおこされ、ベルは呆然と立ちすくみます。

 六人の騎士の来訪、そしてそれに続く一万を超える鎧の群れ。

 その記憶は常に紅蓮の炎に彩られ、無数の鮮血に装飾され、まるで墨で描いたかのような白黒の人々、彼らは皆苦悶の表情で記憶の画面を埋め尽くすのです。


「ねえ君…」

 馬のいななきが聞こえ、我に返ったベルが再び少女に語りかけようとした時、すでに少女の姿はありませんでした。

 不思議な気持ちとなぜか感じる罪悪感を胸に、ベルは皆の元に戻ります。

 翌日から一週間、ベルたちはウィンドミルバレーに滞在し、様々なことを調べます。住民たちは一人の例外なく人当たりが良く、村長の言う通り聞けば何でも答えてくれるのでした。

 毎晩のように宴が催され、騎士たちも少しずつ心を開いて行きます。

 ブライに至っては住人達に混じって集落の仕事を手伝い、子供たちに冒険を語り、そして若い男たちに乞われて剣を教え、すっかり集落に馴染んで行ったのでした。

 心の奥底に拭いきれない罪悪感を抱え、ベルは調査を続けます。

 ウィンドミルバレーの住人は、男が238人。

 15歳までの子供が42人、16歳から50歳までの大人の男が140人、そしてその上が56人。

 女が160人。

 同じように15歳までの子供は26人、16歳から50歳までが98人、その上が36人。

 人口は合計398人。最初の印象通りとても小さな集団です。

 ざっと見たところ、戦える人材は200人強。

 日々の糧のすべてを集落内の牧畜、農業で賄い、飢饉時の糧食は集落中央の倉庫に豊富に備蓄され、それらは住民から選出された村長の補佐、ミッカという壮年の男が管理しています。

 緊急時にはそこから食材が供給され、減った分はまた全員で蓄えるというどこまでも平等が徹底された仕組みなのでした。

 村の南側は開けた平地になっており、東西は緩やかな川が流れ高い崖が聳えます。

 村の北方にはなだらかな丘が広がり、少し遠出をするとすぐに峻険な山、その裾野に森が広がり、色んな種類の果実や動物たちが集落に恵みを与えます。

 谷底という立地から常に谷風が強く吹き、集落内にはところどころ風よけが作られ、快適さを保つ工夫がなされています。

 そしてその強い風もまた集落に恵みを与えます。

 風車の谷、その名に恥じず集落の中に存在する風車はその数20を超え、その全てが強い谷風を受け力強く回り、脱穀、粉ひきなどに使われています。

 何も秘密を持たず、好奇心旺盛に外のことを知りたがる人懐こい住人達、自分の調べ上げたウィンドミルバレーの調書が帝国にとってどのように使われるのか、考えれば考えるほどベルは自分のやっていることが嫌になるのでした。

 一週間後、ウィンドミルバレーを後にし、ハイエンドへの旅立ちの朝、住人達は総出で六人の騎士を見送ります。


 帰路の一月はあっという間に過ぎ、ベルたちが中央、ハイエンドに到着したのは熱砂の月14日、夕方。帰投の報告を済ませ、三日後の質疑に出席を命じられ、視察隊は解散します。

 翌日、ベルは一人、アカデミーの書庫にいました。

 アシュガルド、ウィンドミルバレーに関する情報を少しでも調べておくためです。

 帝国の学術の中心と言われるアカデミー内には、賢者のサロン、錬金術大学、戦術省などが併設され、貴族の平均的な屋敷一軒分の敷地を持つ書庫には十万冊を超える書物が置かれています。

 北方に関する地学書、歴史書だけでも五十冊は超え、ベルは一日籠って読み漁るのでした。

 帝国が今までに知りえたアシュガルドの地質、地形、そして伝説を調べ上げ、自分が実際に体験した新たな情報を加え、頭の中でベルはおぼろげな計画を建てます。

 それは、帝国騎士団がアシュガルドを、ウィンドミルバレーをどのように攻略するのか、武装は、補給は、陣容は、誰を指揮官にし、いつ、どのように行軍するのか。そういったことを書き留めるでもなく想像し、いつものように自分の考えをまとめるのです。

 この時彼は意識をしていませんでした。いえ、意識しないようにしていたのかもしれません。

 帝国騎士団のウィンドミルバレー攻略を考えること、それは裏を返せば、ウィンドミルバレーをどのように守るのかを考えることなのだということを。

 ハイエンドに戻ってから二日間、書庫から一歩も出ずに調べた結果わかったこと、それは、やはりどの書物にもウィンドミルバレーの名前は記されていないということでした。

 国を挙げての北方開拓は確かに行われておらず、アシュガルド山脈自体が魔の山として半ば封印されているような状態であることは確かです。

 しかし、文明的な生活を営む人々が暮らす集落が、いかに隔絶された場所にあるとはいえ、一切文献に名前を現さないということにベルは驚きを隠せませんでした。

 まるで、意図的に隠され続けたかのように存在を認識されなかった集落。

 好奇心旺盛で人懐こい、善良な民が暮らす風車の谷。

 …ただ一つ、大量の書物の中でベルは気になる記述を見つけていたのです。

 その記述は、隣の大国リストリアの言葉で記された古い古い文献の中にありました。

 それは…、アシュガルドの、先住民に関する短い物語だったのです。




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