第3話 三十五年前の事件

「卒業していない? じゃあ、退学になったんですか」


 会長は自慢げに人差し指を顔の前で振って見せた。大昔の芝居で見たような仕草だった。

 それから立ち上がり、黒板にチョークの先を当てる。


「違う」


 黒板に、佐竹幸司、という四文字が書かれた。


「彼の名前は、さたけこうじ。三十五年前の生徒で、当時有名だった彫刻大会にも出品したことがある人だ。なかなかな大会だよ。学内で選考があって、一人しか選ばれなかったそうだ」


 出海会長の言葉が終わると、ノートパソコンを触っていた村瀬会計がこちらに画面を向けた。

 俊が覗き込むと、過去の大会の案内が表示されていた。


「さる彫刻家の遺産で行われていたものらしい。第二十回で終了しているな」


 村瀬会計がつけ加える。


「そう。佐竹が選ばれたのは一年生のときだ。だが、大会直後、失踪した。彫刻が見つけられたのは、新聞部が森に立ち入ったためだ。当時、教師になったばかりの現校長の高木先生と佐竹が、よく森で彫刻していると知らせた生徒がいたらしい。当時、森は立ち入り禁止じゃなかったんだ。二人は秘密にしていたんだが、見られていたんだな。さて、新聞部が森に踏み込むと――佐竹と、高木先生の像があった、というわけだ」


 俊は晴と顔を見合わせる。

 先生と生徒が二人きりで秘密を持つというのは、学校運営上、あるいは教育上、あまりよくないように思えた。

 それでも、秘密で行ったというのなら、二人の仲を疑ってしまう。


「一年生と新任か。十六歳と二十二歳なら、立場が違っても、あるのかな」


 晴がつぶやいた。年の差が六歳。小学校に入ったとき、すでに相手は中学生になっていたような年齢差だということになる。


「でもそういうのは、人によって感覚が違うから、それだけでアリとかナシとか言えないだろう」

「まあ、俊のいう通りだけど」


 晴が頬に手をやった。


「ちょっと違和感がある。なんだろう。校長先生の雰囲気のせいかな」

「人は、変わるじゃないか」


 俊は度会の顔を思い浮かべる。

 一年前の度会と、今の度会は別人のようだ。


「たしかに、そうか。不確定だね、何もかも」

「そうだよ」

 

 俊は肩をすくめる。

 視線を感じて横を向くと、晴が困ったように眉を下げていた。

 何もわからず、宙ぶらりんだから、もやもやしているのだろう。


「何がアリだって?」


 出海会長の明るい声が前方から飛んできた。

 黒板の前に立ったまま、きょとんとして、首を傾げている。

 俊は再び晴と顔を見合わせた。


「いえ。あの、校長先生と佐竹先輩の関係が」


 ごぼん、と咳払いが聞こえた。村瀬会計が口元に拳を当て、こちらを睨んでいる。


「……すみません。お話、続けてください」


 俊は頭を下げ、ごくんと唾を飲み下した。


「何だろう? まあいいや」


 出海先輩は、チョークで宙を指す。


「それで、新聞部は高木先生に像の意味を問いつめた。先生は、自分が佐竹をモデルに彫り、佐竹が先生をモデルに彫ったものだと答えた。森の中で、二人で密かに作っていたものだってね」


 俊は、はあ、と曖昧あいまいな声を出す。

 互いをモデルに、向き合って、授業でもなく像を彫る。

 授業で彫っている小さなものだって、かなり時間がかかりそうなのに、実物大、いや、実物より少し大きいくらいの彫像を彫るのに、いったいどのくらいかかったのだろう。

 その間、二人きりで。


 ――いよいよ勘ぐってしまう。


 一年生では聞いたことがないが、先輩たちの学年では、男子同士で他の誰にもかえがたい関係になった生徒たちがいるという噂がある。

 校長と佐竹も、同じような関係だったのではないだろうか。

 

「でも会長。もし、佐竹先輩の失踪に今の校長先生が関わっているとすれば、高木先生にも責任があるんじゃないですか」

「当時の新聞部もそう考えたんだよ、沢内副会長。でも、証拠はなかった」


 新聞部の部員の気持ちが想像できた。

 教師が生徒の失踪に関係しているかもしれない。問い詰めれば、佐竹がどうなったかわかる可能性がある。だが、しつこく問う権限がない。もどかしい話だ。


「あまり調べすぎると、相手が相手だから退学に追い込まれることだって考えられますよね」


 晴が指摘する。相手、というのは高木校長のことだろう。当時は創始者も健在だったに違いない。そんな中で、高木先生によからぬ噂が立ったら。


「でも、学校は生徒ものだろ。生徒会は何をしていたんですか」


 俊は拳を握る。


「生徒会だって手を出したかっただろうな。でもできなかったんだよ。別の事件があったんだ」

「そちらも高木先生がらみですか」

「うん」


 出海会長がまた、黒板に向かった。

 今度は、多々津剛、という文字だ。


「佐竹と同じ美術部だった、ただつつよし、という生徒が、高木先生と釣りに出かけた際、入水じゅすい自殺をした。最初、遊泳に出て行方不明になったのだと思われていたんだが、教室の机から遺書が出てきたんだ。学園でやっていく自信がない、って。学校では大問題になった。生徒会では生徒の悩みの調査をせざるを得なくなった。もちろん、高木先生もそちらの対応で一生懸命で、佐竹のことにまで応じていられなかった」


 出海会長が二人の生徒の名を書いた横に、高木久、と書き、括弧をつけて、現校長、とつけ加えた。

 現校長、という文字の下から二股に分かれた線が描かれ、佐竹と、多々津の名前の頭の部分につけられる。


 余計な空想を裏付けるような線の描き方だった。

 俊はいよいよ、もやもやした気分になり、黙り込む。

 晴は口元を手で覆い、しばらく難しい顔をしていたが、不意に顔を上げた。


「その後、学園でそういった話は」

「高木先生がらみということ? ないよ。じきに先生は結婚して、お子さんが出来た」


 いなくなった二人の生徒。

 幸せを築く一人の先生。


 どうも、納得がいかない、と俊は顔をしかめた。

 不意に、晴が力強くうなずいた。


「出海会長」


 晴が勢いよく手を挙げる。

 俊はぎょっとして、少し避ける。

 出海会長が何でもないという顔で、チョークの先を晴に向けた。


「はい。どうぞ」

「僕らの方からも、お話しなければいけないことがあるようです。実は今、森に変化が起こっていて」


 そのときだった。

 生徒会室の扉が乱暴に開けられ、小川敬一が駆け込んできた。


「真吾がやられた!」

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