第2話 先輩

「君たちが遅れてくるなんて、珍しいな」


 生徒会長の出海いずみとおる先輩が怪訝けげんそうに俊を見上げた。

 流行の髪型にした黒髪が、ふわっと揺れる。

 制服のボタンをきっちりしめているのに、どこかこなれた感じがする。

 印象が、固くないのだ。


「すみません」


 自分は真面目一辺倒だな、と思いながら、俊は深く頭を下げた。

 

「いいよ」


 にこりと笑った出海先輩は、辺りの明度を一度上げるくらい、明るかった。

 こうはなれない、と俊はいよいよ劣等感にさいなまれた。


「沢内副会長。昨日の会議で決めた校舎修繕の話については、校長先生に伝えておいたよ」

「ありがとうございます」

「まあ、大がかりな改修ではないから、受け入れやすいだろう。ただし、まだ返事はない」


 返事がないのに、出海会長の声は明るい。


 ――この人には暗くなる、ということがないのかもしれない。


 反対に自分は、と思いかけて、俊はやめる。

 出海会長の出自には謎が多い。

 ほんとうは、はっきりしているのだろうが、本人も話さないし、おそらく、唯一会長に詳しいであろう会計の村瀬むらせ須久すっく先輩も明かさない。

 学内では、石油王の隠し子だの、有名な政治家の血筋だの、さまざまな噂が立っている。なかには、ある国の王の子孫だとかいう、めちゃくちゃな話まである。


「返事がないので、今日の会議でできることはないな。だから、座って。お菓子でも食べようか」


 出海先輩が手近な椅子に腰掛け、足を組んだ。

 俊はお菓子、という言葉にギョッとする。どう考えても校則違反だ。


「須久、昨日焼いていたクッキー、持ってこなかったのか」


 出海先輩は椅子の背に手を掛け、振り返る。

 黒板の前にいた村瀬会計が顔をしかめた。


「やめろ、透。校則違反だぞ」

「生徒会室の中だろ。どうせ、ぼくたち四人しか来ない部屋だし」

「たまに三年生の先輩が来るだろ」

「いいじゃないか。あんなおいしいクッキー、一枚あげたら賄賂として十分だ」


 こら、と言って、村瀬会計が苦笑する。


「あれは、おまえが甘いものを食べたいっていうから、シェフに言って食材をもらったんじゃないか」

「それにしても、オーブンを使いこなせる高校二年生なんてあんまりいないぞ。なあ、持ってきていないのか」

「校則違反だと言っているだろ」


 二人の光の会話を聞きながら、ふと、俊は晴を見遣る。

 自分たちの代は、こうはいくまい。じっとりと暗い生徒会長と会計になるだろう。

 闇とまでは行かなくても、灰色の曇天の会話をする自分たちを、後輩はどんな目で見るだろうか。


「ほら。沢内副会長も、葭森書記も戸惑っているじゃないか。いい加減にしとけ、透」

「はーい」


 悪戯っぽく言って、出海会長は俊たちに向き直る。


「まあ、クッキーは寮で御馳走するとして。今日はすることもないし、質問でもあれば、聞くよ」


 まるで、映画で見る大統領のような格好で指を組むと、上目遣うわめづかいにこちらを見た。

 俊は、気圧されたように出海会長の向かいに座る。俊の隣に、晴が腰掛けた。

 

「あの」

 

 森のことを聞きたかったが、言いづらかった。

 言葉が続けられず沈黙していると、出海会長は首を傾げた。

 

「どうした? いつもの君らしく、はっきり言ったらどうだ」


 俊は晴と顔を見合わせた。

 晴が励ますように小さくうなずいた。俊もうなずき返し、出海会長に向き直ると、一気に言葉を投げかける。

 

「学園の森には何があるんですか」


 俊のとなりで、晴が小さくガッツポーズをするのが見えた。


「えっ」


 出海会長は鼻に輪ゴムでも当たったように体を引き、組んでいた指をほどいた。


「森って……あの森か」


 何か言いかけて、ちらりと村瀬会計を見遣る。村瀬会計が出海会長の横に立ち、肩に手を置いた。


「まさか、君たちは入ってみたのか? 場合によっては一発で退学だぞ」


 そう言う村瀬会計の表情は硬かった。出海会長は思案するようにうつむいて、口元を手で覆っている。

 俊はひるんで、上体を引いた。とたん、晴が背中をポンと叩く。勇気を得て、俊は続けた。


「でも、好奇心の強い生徒なら、立ち入ることもあると思うんです。会長なら、そういった生徒のうわさを聞いているかと思って」


 会長が溜息をついた。


「いいだろう。ここだけの話にしておいてくれるね?」

「はい。もちろんです」


 俊が言うと、隣で晴も勢いよくうなずいた。

 二人を交互に眺め、最後に俊に視線を当てると、出海会長が告げた。


「じゃあ、言おう。ぼくたちは森に入ったことがある」

「は?」


 俊はまじまじと会長を眺めた。

 遅れて、晴が、「えっ」と言った。


「君らも、そうじゃないのか?」


 出海会長が珍しく不安そうな顔をする。

 違う、と答えようとした途端、晴が遮るように身を乗り出した。


奇遇きぐうですねえ。僕らもです」


 ――嘘をつけ。


 立ち上がろうとして、制服のすそに引っかかりを覚えた。見ると、晴が左手でしっかりとつかんでいる。


「晴!」

「いいじゃないか、俊。こっちだって、ここだけの話にしていただけますよね、会長」


 晴が珍しく笑顔を向けると、会長もほっとしたような顔でうなずく。


「ぼくらは好奇心の強い年頃だからね。あそこに入りたがらない学年トップなんて、勉強が出来るだけの嫌味な奴だよ」


 ――その嫌味な奴が俺なんだ。


 俊はよほどそう言いたかったが、羞恥心と自尊心が言葉を喉元から胃へと押し戻し、顔をうつむかせた。


「君らも見ただろうけど、あそこには彫像がある」


 晴が、彫像、とつぶやく。


「去年もあったんですか」

「もちろん。だって、古い彫像だっただろ。昔の生徒と、若い頃の校長と」


 晴が制服の袖を引いた。俊もようやく、顔を上げる。

 丸山の話では、内藤の像だったはずだ。


「ほかに、何かあったか?」

 怪訝けげんそうな出海会長の顔に、二人は同時に顔の前で手を振る。


「俊も僕も、同じですよ。それで、昔の生徒って、どうしてわかったんですか」

「どうしてって、制服を着てたじゃないか。昔の制服だったけど……学ランのボタンに校章があった」

「それはそうですけど、会長がそうおっしゃる以上、もっとはっきりした情報を得ているのかと思って。まさか、名前まではわからないですよね?」


 かわすように言うと、晴はさも真剣に答えを求めるかのように、机に肘を乗せた。


「わかるよ」


 ――わかる?


 思わず、俊は背をそらした。

 晴も机から肘を浮かせて、立ち上がりかけている。


「何だよ」


 不審そうに、出海会長が目をすがめた。

 俊は、何も言えず、膝の上で両方の拳を握る。


「いえ、さすが会長だと思って。僕らではとても。ずいぶん調べたんですが」


 さらっと晴が言い返した。


 ――いつ調べたんだ、いつ。


 第一、晴はこんなに嘘をつく人だっただろうか、と俊は不思議に思った。

 ふと、制服にわずかなさざめきを感じて袖を見る。

 俊の制服をつかんだ晴の手が、小さく震えていた。


「どうやって調べたんだ」

「卒業アルバムです。学校図書館の」


 晴はよどみなく嘘をつく。だが、内心は平気ではないのが、晴の指先の震えから伝わってきていた。

 俊は黙って、晴の言うに任せることにした。


「簡単には無理だろうな。そもそも、卒業アルバムではわからない」

「どうしてですか」

「あの像のモデルは学園を卒業していないからだ」


 出海会長が真剣な顔で言い、しい、というように人差し指を唇に当てた。

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