第22話
騎士団の特別顧問としての仕事が軌道に乗り始めた頃、俺は公爵閣下に再び執務室へと呼び出された。
また何か厄介事か、と少しだけ身構えて扉を開けると、閣下は意外にも穏やかな表情で俺を迎えてくれた。
「レオン君、よく来てくれた。君のおかげで、騎士団の実力は飛躍的に向上している。感謝しているよ」
「いえ、俺は当然のことをしたまでです。それも、皆が俺を信じてついてきてくれたおかげですから」
俺がそう答えると、閣下は満足そうに頷いた。
「謙虚なところも、君の美徳だな。さて、今日君を呼んだのは、他でもない。君とイザベラに、少しばかり休暇をやろうと思ってね」
「休暇、ですか?」
思いがけない提案に、俺は少し驚いた。
黒幕「X」の脅威がまだ残る中、のんびりと休暇を取っている場合ではないと思っていたからだ。
「そうだ。君は、ここ最近、根を詰めすぎだ。イザベラも、君のことを心配していたぞ。たまには、二人でゆっくりと羽を伸ばしてくるといい」
閣下のその言葉は、俺たちのことを気遣ってくれてのことなのだろう。その心遣いが、素直に嬉しかった。
「つきましては、ヴァインベルク領の南にある、湖畔の別荘を使うといい。あそこは、景色も良く、静かで過ごしやすい場所だ。誰にも邪魔されず、二人きりの時間を満喫できるだろう」
閣下のその提案は、もはや命令に近い響きを持っていた。
そして、その提案は、俺にとって、これ以上なく魅力的なものだった。
イザベラと、二人きりの旅行。
想像しただけで、顔がにやけてしまいそうになる。
「……ありがたく、お受けいたします、閣下」
俺は、こみ上げる喜びを隠しきれないまま、深く頭を下げた。
この話は、すぐにイザベラの耳にも入った。
彼女は、俺が話を聞きに行く前から、すでに荷造りを始めているほど、この旅行を楽しみにしていた。
「レオン! 聞いたわ、お父様から! 二人で、湖の別荘へ行けるんですってね!」
彼女は、まるで子供のようにはしゃぎ、目をきらきらと輝かせている。
「ああ。閣下のご厚意でな。最高の休暇になりそうだ」
「ええ! 楽しみだわ! どんな服を持っていこうかしら? 水着も必要かしら? あ、でも、あなたに私の水着姿を見せるのは、まだ少し……」
一人で盛り上がり、そして一人で恥ずかしがっているイザベラ。
その姿が愛おしくて、俺は思わず彼女を後ろからそっと抱きしめた。
「ひゃっ!?」
突然のことに、イザベラが可愛らしい悲鳴を上げる。
「どんな君も、俺は全部見たいよ。水着姿も、寝顔も、何もかも全部。俺だけのものにしたい」
俺が、耳元でそう囁くと、彼女の体はびくりと震え、首筋まで真っ赤に染まっていく。
「も、もう……! あなたって、本当に意地悪なんだから……!」
彼女は、そう言いながらも、俺の腕に自分の体を預けてくる。
その甘えるような仕草に、俺の理性はまたしても試されることになる。
この旅行、無事に乗り切ることができるだろうか。いや、色々な意味で、俺の身が持つかどうか、そちらの方が心配だ。
数日後、俺たちは二人きりで、湖畔の別荘へと向かう馬車の中にいた。
御者は、公爵家でも特に口が堅いと評判の者に任せてあり、俺たちの邪魔をする者は誰もいない。
まさに、二人きりの空間だ。
馬車が心地よく揺れる中、俺とイザベラは、寄り添うようにして座っていた。
彼女は、俺の肩に頭を預け、幸せそうに目を閉じている。
その穏やかな寝顔を見ているだけで、俺の心は温かいもので満たされていく。
「……ん」
しばらくして、イザベラが身じろぎし、ゆっくりと目を開けた。
「おはよう、イザベラ。よく眠れたか?」
俺がそう言って微笑むと、彼女は少しだけ寝ぼけたような顔で、こくりと頷いた。
「ええ……。あなたの隣だと、とても安心して眠れるの」
そう言って、彼女は俺の腕にさらに強くすり寄ってきた。
その無防備な姿に、俺はゴクリと息を呑む。
いかんいかん、まだ別荘にも着いていないというのに。冷静になれ、俺。
「そうだ、レオン。お弁当を作ってきたの。よかったら、食べない?」
イザベラは、そう言って足元に置いてあった大きなバスケットを取り出した。
蓋を開けると、中には色とりどりのサンドイッチや、綺麗に飾り付けられたフルーツ、そして、俺の好物である肉料理がぎっしりと詰められていた。
「すごいな……! これ、全部君が作ったのか?」
「ええ。昨日の夜、厨房を借りて、頑張って作ったのよ。あなたの喜ぶ顔が見たくて」
彼女は、少し照れくさそうにそう言った。
その健気な想いが、嬉しくて、そして愛おしくて、俺は胸がいっぱいになる。
「ありがとう、イザベラ。最高の贈り物だよ。さっそく、いただこうかな」
俺は、サンドイッチを一つ手に取り、大きく口を開けた。
その瞬間、イザベラが「待って!」と声を上げた。
「え?」
「せっかくだから……私が、食べさせてあげるわ」
彼女は、そう言ってサンドイッチを俺の手から取り、そして、俺の口元へと運んできた。
またしても、「あーん」である。
彼女は、どうやらこれがいたくお気に入りのようだ。
「イザベラ……。君は、本当に……」
俺は、呆れたように、それでいて幸せを噛みしめながら、彼女が差し出すサンドイッチを頬張った。
手作りのサンドイッチは、少しだけ形が不揃いだったが、愛情という最高のスパイスが効いていて、世界中のどんな高級料理よりも美味しく感じられた。
もちろん、俺も彼女に「あーん」をしてやり、馬車の中は、甘い雰囲気に満たされる。
御者が、時折、気まずそうに咳払いをしていたような気もするが、俺たちの耳には届かなかった。
やがて、馬車は美しい湖のほとりに佇む、壮麗な別荘へと到着した。
白壁に赤い屋根が映える、お洒落な建物だ。周囲は豊かな自然に囲まれており、鳥のさえずりが心地よく響いている。
「わあ……! なんて素敵な場所なのかしら……!」
イザベラは、馬車を降りるなり、感嘆の声を上げた。
「だろう? ここで、しばらくの間、二人きりで過ごせるんだ」
俺たちは、荷物を運び込むと、早速別荘の中を探検し始めた。
広々としたリビング、暖炉のある温かな寝室、そして、大きな窓から湖を一望できるバルコニー。
どこもかしこも、俺たちのための特別な空間だと思うと、自然と胸が高鳴る。
その日の午後は、二人で湖畔を散策した。
透き通った湖面が、きらきらと太陽の光を反射している。
俺たちは、ボートに乗って湖に漕ぎ出したり、岸辺で水遊びをしたりして、子供のようにはしゃいだ。
イザベラが、きゃっきゃと楽しそうに笑う声が、湖畔に響き渡る。
その笑顔を見ているだけで、俺も幸せな気持ちになれた。
これまでの激動の日々が、嘘のように感じられる。
今、この瞬間だけは、俺たちはただの恋人同士だった。
日が暮れ始め、空がオレンジ色と紫色に染まっていく。
俺たちは、別荘のバルコニーから、その幻想的な景色を眺めていた。
「綺麗……。こんなに美しい夕焼け、初めて見たわ」
イザベラが、うっとりとした表情で呟いた。
「ああ。でも、俺は、毎日君という、もっと美しいものを見ているけどな」
俺がそう言うと、彼女は「もう、またそれなのね」と言いながらも、嬉しそうに俺の肩に寄り添ってきた。
夕食は、俺が腕を振るった。
と言っても、騎士団の野営で覚えた、簡単なグリル料理だが。
それでも、イザベラは「美味しい、美味しい」と言って、綺麗に平らげてくれた。
愛する人のために作る料理が、こんなにも楽しく、そして幸せなものだとは知らなかった。
夜が更け、俺たちは暖炉の前に座り、静かな時間を過ごしていた。
パチパチと燃える炎が、俺たちの顔を温かく照らし出す。
「レオン……」
イザベラが、ふと俺の名前を呼んだ。
その声は、いつもよりも少しだけ甘く、そして熱を帯びているように感じられた。
「どうした、イザベラ?」
「ありがとう……。こんなに幸せな日を、私にくれて……」
彼女は、そう言って俺の目を見つめてくる。
その潤んだ瞳は、暖炉の炎を反射して、きらきらと輝いている。
その瞳に吸い込まれるように、俺はゆっくりと彼女に顔を近づけていった。
そして、どちらからともなく、俺たちは唇を重ねた。
最初は、優しく触れるだけのキス。
だが、それは次第に熱を帯び、お互いを求め合うような、深いキスへと変わっていく。
暖炉の炎が、俺たちの情熱をさらに燃え上がらせるようだった。
長い、長いキスの後、俺たちは息を切らしながら、互いの額をこつんと合わせた。
「イザベラ……。愛している」
「私もよ、レオン……。心の底から、あなたを愛しているわ」
俺たちは、そう言って微笑み合った。
もう、言葉は必要なかった。
ただ、お互いの存在を、その温もりを、確かめ合うだけで十分だった。
その夜、俺たちは同じベッドで、手を取り合って眠りについた。
隣で眠る彼女の、穏やかな寝息と、温かな体温を感じながら、俺は改めて誓う。
この幸せを、何があっても守り抜くと。
そして、この腕の中にある宝物を、生涯、離しはしないと。
湖の静かな夜は、そんな俺たちの愛を、優しく包み込んでくれるようだった。
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