第10話

連行される途中、俺は必死に頭を回転させていた。どうすれば、この状況を打開できる? どうすれば、イザベラ様を救える?


フレイア姫の目的は、おそらくイザベラ様の失脚だろう。そして、その罪を俺に着せることで、一石二鳥を狙ったのかもしれない。だが、なぜそこまでする必要がある? 彼女は、ゲームのヒロインのはずだ。こんな悪辣な手段を使うキャラクターではなかったはずなのに……。


(何かがおかしい……。ゲームのシナリオと、何かが決定的に違ってきている……)


俺は、強い違和感を覚えていた。この世界は、俺が知っている『クリラビ』の世界とは、少しずつズレが生じているのかもしれない。


連れてこられたのは、王宮の地下にある牢獄だった。薄暗く、湿った空気の漂う、陰鬱な場所だ。俺は、乱暴に独房の中へと突き飛ばされた。


「ここで大人しくしていろ。すぐに、尋問が始まるだろうからな」


衛兵はそう言い残し、鉄格子の扉を閉め、鍵をかけた。


俺は、独房の冷たい床に座り込み、頭を抱えた。一体どうすればいいんだ……。このままでは、俺はイザベラ様殺害未遂の犯人にされてしまう。それだけは、絶対に避けなければならない。


(そうだ……アルフレッド王子だ!)


俺は、ふと先程のアルフレッド王子との会話を思い出した。彼は、俺の忠誠心を試すようなことを言っていた。もしかしたら、彼なら俺の無実を信じてくれるかもしれない。いや、信じてもらうしかない。


だが、どうやって彼に連絡を取る? この独房からは、一歩も出られない。


俺が途方に暮れていると、不意に、独房の鉄格子の向こうに人影が現れた。


「……レオン・バーンズだな?」


その声は、低く、そしてどこか聞き覚えのある声だった。俺が顔を上げると、そこに立っていたのは……。


「アンナ……!?」


なんと、そこに立っていたのは、騎士団の同僚であるアンナだった。彼女は、衛兵の制服を身にまとっている。


「どうして、お前がここに……? しかも、その格好……」


俺は、驚きと混乱で言葉が出ない。


「話は後だ。今すぐ、ここからお前を出す」


アンナは、そう言って懐から鍵束を取り出し、手際よく独房の錠を開け始めた。


「お前、正気か!? そんなことをしたら、お前まで……!」


「うるさい! イザベラ様が、お前を信じろって言ってたんだよ!」


アンナの言葉に、俺はハッとした。イザベラ様が……俺を……?


「イザベラ様は、無事なのか!?」


「ああ、命に別状はない。傷も、見た目ほど深くはなかったそうだ。今は、医務室で手当てを受けている」


その言葉に、俺は心の底から安堵した。よかった……。イザベラ様が無事なら、まだ希望はある。


「だが、フレイア姫のやつ、お前を完全に犯人に仕立て上げるつもりだ。証拠も、証言も、全てお前に不利なように捏造されている」


アンナは、苦々しげにそう言った。


「だから、ここにいたらおしまいだ。今すぐ逃げて、お前の無実を証明する証拠を見つけるんだよ!」


「しかし……俺が逃げたら、余計に疑われるだけじゃ……」


「馬鹿野郎! 捕まって処刑されるよりマシだろうが!」


アンナは、そう言って俺の腕を掴み、独房から強引に引きずり出した。


「いいか、レオン。これは、お前だけの問題じゃない。イザベラ様の名誉もかかってるんだ。あの方を、あんな卑怯な奴らの好きにさせていいのか!?」


アンナの言葉が、俺の胸に突き刺さる。そうだ……。俺は、イザベラ様のために戦わなければならない。彼女の笑顔を、もう一度取り戻すために。


「……分かった。逃げるよ、アンナ。そして、必ず俺の無実を証明し、フレイア姫の悪事を暴いてみせる」


俺は、強い決意を目に込めてそう言った。


「よし、その意気だ! 地下通路の秘密の出口まで案内する。そこから先は、お前一人で何とかしろ」


アンナは、そう言って俺の手を引いて走り出した。俺たちは、薄暗い地下通路を、息を切らしながら駆け抜ける。途中、何度か衛兵に見つかりそうになったが、アンナの機転と、俺の咄嗟の判断で何とか切り抜けることができた。


やがて、俺たちは古びた木の扉の前にたどり着いた。


「ここだ。この扉の先は、王宮の外に繋がっている。ただし、あまり人気のない森の中だから、気をつけるんだぞ」


アンナは、そう言って扉の閂を外した。


「アンナ……。本当に、ありがとう。このご恩は、一生忘れない」


俺は、心からの感謝を彼女に伝えた。


「いいってことよ。イザベラ様を頼んだぞ、レオン」


アンナは、そう言って俺の肩をポンと叩いた。その瞳には、俺に対する絶対的な信頼が宿っている。


「ああ、任せろ」


俺は、力強く頷き、扉を開けて外へと飛び出した。ひんやりとした夜の空気が、火照った体を包み込む。振り返ると、アンナが心配そうにこちらを見ているのが見えた。俺は、彼女に一度だけ頷き、そして森の中へと駆け出した。


ここからが、本当の戦いだ。俺は、必ず無実を証明し、イザベラ様を救い出す。そして、あのフレイア姫の化けの皮を剥がしてやる。そう固く誓いながら、俺は暗い森の中を、ただひたすらに走り続けた。月明かりだけが、俺の進むべき道を、ぼんやりと照らし出していた。

俺は、どれくらいの間、森の中を走り続けていただろうか。息は切れ、足は棒のようになっている。しかし、立ち止まるわけにはいかない。追っ手が、いつどこから現れるか分からないのだ。


(まずは、安全な場所を確保しないと……)


王都の近くにいては、すぐに捕まってしまうだろう。少し離れた村か町まで行って、そこで身を隠しながら情報を集める必要がある。


幸い、俺は騎士団にいた頃、このあたりの地理を叩き込まれていた。この森を抜ければ、小さな街道に出るはずだ。そこから数時間も歩けば、小さな宿場町がある。そこを最初の拠点にしよう。


夜が明け始め、空が白み始めた頃、俺はようやく森を抜け、街道に出ることができた。周囲には人影もなく、静まり返っている。


(よし、今のうちに少しでも距離を稼いでおこう)


俺は、再び走り出した。目指すは、宿場町だ。


しかし、俺の体力は、すでに限界に近づいていた。昨夜から何も食べていないし、まともに睡眠も取れていない。このままでは、町にたどり着く前に倒れてしまうかもしれない。


そんな時、ふと、道の脇に小さな小屋があるのが目に入った。古びた狩猟小屋のようだが、雨風は凌げそうだ。


(少しだけ……少しだけ休ませてもらおう……)


俺は、小屋の扉をそっと開け、中へと入った。そこは、埃っぽく、かび臭い匂いがしたが、外よりはずっとマシだった。俺は、壁に寄りかかり、そのままズルズルと床に座り込んだ。


途端に、強烈な睡魔が襲ってきた。駄目だ、ここで寝てしまったら……。しかし、俺の意識は、急速に遠のいていく。


(イザベラ様……。必ず……助けに……)


それが、俺の最後に考えたことだった。


どれくらいの時間が経ったのだろうか。ふと、誰かの話し声で俺は目を覚ました。


「おい、本当にこんなところに誰かいるのか?」


「ああ、確かだ。昨夜、このあたりで怪しい人影を見たっていう情報があったんだ」


まずい! 追っ手か!?


俺は慌てて身を起こし、小屋の中を見回す。逃げられそうな場所は……ない。扉は一つだけ。窓もない。完全に袋のネズミだ。


ガチャリ、と小屋の扉が開く音がした。俺は、とっさに身構える。こうなったら、力づくで突破するしかない。


しかし、小屋に入ってきたのは、意外な人物だった。


「……お前は……」


そこに立っていたのは、先日、王立魔法学園の視察で案内役を務めていた、魔術史担当のクラーク教員だった。彼が、なぜこんなところに? しかも、その手には、一振りの剣が握られている。


「やはり、ここにいたか、レオン・バーンズ」


クラーク教員は、静かな口調でそう言った。その目には、敵意とも好意ともつかない、複雑な色が浮かんでいる。


「あなたは……どうして、俺がここにいると……?」


俺は、警戒しながら尋ねる。彼は、俺の味方なのか、それとも敵なのか。


「少し、気になることがあってね。君が、あのような事件の犯人だとは、どうしても思えなかったのだよ」


クラーク教員は、そう言ってゆっくりと小屋の中に入ってきた。


「だから、独自に調べてみた。そうしたら、色々と面白いことが分かってね」


「面白いこと……?」


「ああ。例えば……フレイア姫が、君を陥れるために用意周到な準備をしていたこと。そして、その背後には、さらに大きな陰謀が隠されているかもしれないということだ」


クラーク教員の言葉に、俺は息を呑んだ。彼もまた、フレイア姫の企みに気づいていたというのか。


「あなたは……俺の味方、なんですか……?」


俺が尋ねると、クラーク教員はふっと微笑んだ。


「味方、というわけではないかもしれない。だが、少なくとも、君の敵ではないつもりだよ」


そう言うと、彼は俺に向かって手を差し伸べてきた。


「さあ、行こう、レオン・バーンズ。君の無実を証明するために。そして、イザベラ様を救い出すために」


その言葉は、力強く、そして頼もしい響きを持っていた。俺は、一瞬ためらったが、すぐに彼のその手を取った。今は、信じられる仲間が一人でも多く必要なのだから。


「ありがとうございます、クラーク教員。あなたのような方がいてくれて、心強いです」


「礼には及ばないよ。私も、真実を明らかにしたいだけだ。それに……イザベラ様には、個人的な恩もあるからね」


クラーク教員は、そう言って意味深に微笑んだ。彼とイザベラ様の間に、何か過去があったのだろうか。気になるが、今はそれを聞いている場合ではない。


「まずは、ここから離れよう。追っ手は、もうすぐそこまで来ているかもしれない」


クラーク教員に促され、俺たちは小屋を後にした。彼には、何か考えがあるようだ。俺は、黙って彼についていくことにした。


「これから、どこへ向かうのですか?」


俺が尋ねると、クラーク教員はにやりと笑った。


「もちろん、反撃の準備をするために、安全なアジトへだよ」

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