第14話 理由のパズル

「渡会、どうしてる?」

 お昼が過ぎた頃、平岡から電話がきた。

「昨日はごめんなさい。」

 凪が言った。

「少し落ち着いたか?」

「うん。」

「これからどうするんだ?」

「まだ考えてない。」

「茶髪の渡会は、なんか言ってたか?」

「別になんにも。ねえ、平岡さん。」

「ん?」

「北川さん、休んだ事、怒ってた?」

「さあ、どうかな。」

「さっき、課長から電話がきて、いろいろ聞かれた。」

「いろいろって?」

「体調はどうだとか、病院へ行ったのかとか。」

「ああ、それは俺が風邪って言ったからだな。無難な理由だろう。なんでお前が代わりに伝えに来たんだって疑われたけどさ。適当に言っておいたから、安心しろ。とにかく少し休め。」

「そうだね。」

 凪と続く会話を、途切れさせたくはない。

「渡会、」

「何?」

「いや、なんでもない。」

「平岡さん、迷惑ばっかり掛けてごめんなさい。」

「謝るなって。渡会は何も悪い事してないだろう。」 

「お昼、終わっちゃうね。じゃあ。」

「そうだな、じゃあ。」


 渡会のいない部屋の中。ソファの上で何度も寝返りを打っていた。

 少し眠ると、男性が自分の身体をなぞる指の感触を思い出し、皮膚を掻きむしった。

「ちゃんと病院へ行こうか。」

 仕事から帰ってきた渡会が凪の手を止めた。

「帰ってきたの、気が付かなかった。」

 凪が言った。

「なぁ、渡会を苦しめてる原因って、話しづらい事なのか?」

 渡会は掻きむしった凪の腕を見た。

「ごめんね、やっぱりうちに帰ろうかな。ここにいたら渡会くんの邪魔になる。」

 凪は腕を隠した。

「邪魔なんかじゃないよ。ずっとここにいたっていい。」

 渡会が凪を抱きしめようとした時、凪は怖がって身体を避けた。

「ごめん。」  

 申し訳なさそうに下をむいた凪。

「渡会、鳴ってるぞ。」

 渡会は凪のスマホを指さした。北川という文字が浮かぶ。凪は渡会から少し離れて、その電話に出た。

「渡会さん、どういうつもり?」

 ヒステリックになっている北川の顔が目に浮かぶ。いつもは冷静なのに、電話のむこうの声は、すごく苛立っているのがわかる。

「北川さん、私、」

「あなたの都合なんてどうでもいいのよ。むこうは怒って、うちとの取引をやめるって言い出したのよ。」 

「そんな、」

「渡会さん、私達の仕事は、簡単に割り切れる事じゃないの。上の男達は自分の力で会社が回ってると思っているけれど、その下で、どれだけ私達が努力をしているか、まったくわかってない。いいから、今からいうホテルにすぐに行ってちょうだい。あっ、ちょっと何!」

 北川の電話は突然切れた。

 北川の声が大きかったせいか、近くにいた渡会にもそのやり取りが聞こえていた。それでも、聞こえていないふりをして、凪が電話を切るのを待った。

「あっ、渡会くん。」

 凪は真っ青な顔をしていた。

「渡会、大丈夫か?」

「うん。もしかして、聞こえてた?」

「なにが?」

 渡会は知らないふりをして、ソファに座った。

「明日、着替え取りに行こうか。」

「そうだね。」

 心がここにない返事をした凪は、黙って渡会の隣りに座った。

 渡会の飲んでいたペットボトルの水に手を伸ばすと、

「渡会のはこっちだろう。」

 凪が手にしたものと、隣りのものを取り替えた。

「そうだったっけ。」

 凪が言った。

「たくさん、間違ってきたよな。わざとに間違えた事もあったし。」

 渡会がそう言うと、凪は少し笑った。

「渡会くん、あのね、」

「ん?」

 凪は何かを言い掛けた。

「やっぱり、なんでもない。」


 北川の電話を切ったのは、広川だった。隣りには白井もいる。

「北川が出世したのは、こういう事か。」

 白井が言った。

「人の電話を盗み聞きするなんて、最低よ。」

 北川がそう言って、その場を去ろうとした。

「そんな事、もうやめろよ。北川だって辛かったんだろう。あんなに明るかったのに、今は笑いもしない。」

 白井がそう言うと、

「なんの価値もない男に言われたくないわよ。」

 北川は白井を見下す様に言った。

「ちょっと、そんな事言わなくってもいいじゃない。」

 広川が北川の腕を掴んだ。北川の言葉を聞いた白井は、大袈裟に苦笑いしてみせた。

「私は勝ち組よ。結婚に失敗して、惨めなあんたとは違う。いくら仕事ができたって、年を取った女なんか中途半端で扱いにくくなるだけだし、上からも下からも煙たがれるのに、今の会社にしがみつくしかない人生なんて、本当に情けないわね。」

 北川は広川が掴んでいる腕を勢いよく解いた。

「いい暮らしの価値観なんて、人それぞれよ。私が北川に言いたいのは、これ以上若い子をおかしくしないでもらいたいって事。」

 冷静な広川は北川の挑発には乗らかった。

「ふ~ん。まぁ、羽田って子は、残念だったわね。もう少し使えるかと思ったのに、平岡ってやつにバレちゃって。渡会さんの事も平岡が絡んでいるのよね。本当、迷惑なやつ。」

 広川と白井は2人で顔を見合わせた後、北川に向けてため息をついた。

 北川の電話がなった。

 急に女の顔になった北川は、カツカツとヒールを鳴らして玄関にむかっていった。


 平岡が残業を終えて会社を出ようとした時。

「平岡さん。」

 羽田が外で待っていた。

「元気だったのか?」

 平岡が羽田に言った。

「あの、渡会先輩ってまだ会社にいますか?」

「渡会なら、今日は休みだ。」

 羽田は会社にいた頃とは別人の様に派手さがなくなり、髪の毛も後ろで束ねただけで、チノパンにスニーカーをはいていた。

「あの、この前、渡会先輩を町で見掛けて…。もしかしたら、平岡さんが誤解するといけないと思って。」

「羽田、何にも知らないで、ひどい事言って悪かったな。」

「渡会先輩は、あの…、その…、」

「渡会も、羽田と同じだよ。まったくひどい会社だな。」

 平岡が言った。

「知ってたんですか。」

 羽田は少し俯いた。

「聞いた事はあるけどさ、自分の周りでこんな事があるとは思ってもみなかったよ。羽田の事も、疑って悪かったな。お前だって、仕方なかったんだろう。」

「ちゃんと断れば良かったんです。だけど…。」

「それ、渡会も言ってたよ。まっ、あと少しで、この会社は合併するって話しだし、その時は上の連中も入れ替わるだろう。」

「平岡さん、それ、本当ですか?」

「ああ、取引先から聞いた。こんな事がバレたら、あいつらはどうするだろうな。」

「バレたって、これまでの事は消されるわけじゃないんだし、利用された方が泣くだけです。」

「そっか、そうだよな。」

「渡会先輩を責めないでください。それじゃあ。」

 羽田はそのまま振り返って歩き出した。

「おい、飯でも食いにいかないか?」

 平岡が羽田を呼び止めた。

「いいんですか?」

 羽田は嬉しそうに平岡の近くに戻ってきた。

「ずいぶん変わったな。」

「はい。今、この近くの保育園に勤めてるんです。保育の資格とったら、正式に雇ってもらうつもりです。」

「おしゃべりな羽田なら、子供達も一緒にいて楽しいだろうな。」

「それ、よく言われます。」

 羽田の屈託のない笑顔は、凪が渡会と話している顔と重なった。

 女って、こんな風に笑うんだな。

「平岡さんの奢りですよ。」

 羽田が言った。

「何が食べたいんだ?」

「そうだなぁ、寒いからおでんとか。」

「なぁ、羽田。お前は2番目でもいいのかよ。俺は渡会が好きなんだぞ。」

「2番目は嫌です。平岡さんこそ、2番目でもいいんですか?渡会先輩は、ずっと好きな人がいると思いますよ。」

「渡会の好きなやつって、中学の同級生か?」

「そうです。前に聞いた事があるんです。一文字違いの男子が、転校してきたって話し。」

「へぇ~、あいつ転校生だったのか。」

「平岡さん、その人の事、知ってるんですか?」

「まぁな。」

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