流し見たもの
「お前、なんか怖い話集めてるんだって?」
先輩にそう話しかけられたのは、バイトの休憩中だった。
「はあ、まあそうです。なんで知ってるんすか?」
「いや、なんか噂で聞いてさ」
たしかに僕は怖い話を集めているし、仲良くなった人には必ず「なんか怖い話ない?」と聞いている。しかし、大して話したことのない先輩の耳に入るほど、僕の怖い話好きが広まっていたとは。
「俺、この前怖いことあったんだけどさあ、聞きたい?」
「え、聞きたいっす。ってかメモ取っていいすか」
「マジかよ、本格的だなあ」
周りには内緒だが、僕は怖い話を書くのも好きだった。ホラー作家になりたいというのがひそかな夢であり、大学の空きコマなどを使ってあくせく小説を執筆している。そのため、日常的にメモを取り、話の材料になりそうなことを集めていた。
先輩は、僕がメモ帳とボールペンを構えるのを待ち、ゆっくりと話し始めた
俺、よくYouTubeでASMR見るんだよ。なんかほら、硬いもの食う音とか雨の音とか流すヤツ。めちゃくちゃ好きってわけじゃないけど、作業中にちょうどいいからさ。
それで、一週間くらい前だったかな、その日も資格の勉強しながらASMRの動画見てたんだよ。女の人がお菓子を食べる動画で、長い生放送だったな。
でさ、そういう作業用BGMってまともに見ることないじゃん? 俺もそのとき勉強しながらだったから、画面なんて見てなかった。ただ、氷砂糖かなんか食ってガリガリいってるのが聞こえるだけ。で、集中し出したらその音声も聞こえなくなるよな。まあ、作業用BGMの使い方としては合ってると思うよ。
集中して勉強してて…、ふと気づいたら、咀嚼音じゃなくて、泣き声みたいなのが聞こえてたんだよ。
俺そのとき、違う動画を再生しちゃったのかなって思ってさ。ほら、生放送はもう終わってて、自動再生で他の動画になってたのに、集中してて気づかなかったのかなーって。
でも、画面見たら同じ人が映ってて、生放送もまだ続いてるっぽかった。で、女の人が、泣きながら綿を食べてたんだよ。
「…綿!?」
僕は驚き、メモ帳から顔を上げて先輩の方を見た。先輩は腕を組んで頷く。
「そう、人形とかに入ってるあの綿を、泣きながら無理やり飲み込んでた」
「な、なんすかその動画…」
「やばいよな、最初の方は普通だったんだよ。 でも気づいたらそうなってたって感じでさ」
「生放送なんすよね? 他の視聴者とか反応しなかったんすか」
「してなかったよ。 何人視聴中、みたいなのが画面に出てて、五十人くらいだったかな。 でも、コメントは最初の方で止まってて、五十人くらいが黙ってみてる感じで…それも気持ち悪かったな」
で、こっからも変な話なんだけど…、と先輩が続けたので、僕は改めて、メモを取る作業を再開した。
何この動画? って思ってさ、いつから何があって綿なんか食ってんのか見ようと思ったんだよ。動画の時間をちょっと戻そうとして、操作したら読み込み中になって…、次の瞬間、動画が消えてた。生放送が終わってさ、動画そのものも削除されたんだよ。
だから結局何だったのかは分からないんだけど、その動画が消えたタイミングも気味悪くてさ、なんていうか、俺が気付いたことに誰かが気付いて、慌てて動画を消したように感じたっていうか…。
「気付いたことに誰かが気付いた…ですか」
「うーん、分かりにくいよなあ…」
「いや、なんとなく分かりますよ。 先輩が動画がおかしいことに気付いちゃったから、誰かが焦って、調べさせないように消したってことっすよね」
「うん、まあそんな感じ。 まあ、そのときは一人だったから、誰にも見られてるわけないんだけどさ。 でも、そのことがあってから、なんかそういう…心霊現象? ってこういうことなんじゃないかなって思ったんだ」
「…と言うと?」
先輩は、額に手を当て悩んでいる。うまく伝わる言葉を探しているようだ。やがて、ぼそぼそと話し始めた。
人間ってさ、全部を集中して見れることないじゃん? 作業用に流し見てる動画もそうだし、駅で流れている放送とか、よく見ずに通り過ぎるポスターとかも、全部そうだよ。でもそういうのって、意識してないだけで全部見てるし聞いてるだろ。
心霊現象…っていうか、人間にとって良くないものって、そういうとこから入り込んでくるんじゃないかって思ったんだよ。流し見てるものの中には、意識してないけど体に入り込んでくる良くないものがたくさんあってさ、今回みたいに、なんかおかしくね? って気づけたやつだけが怖い体験として残るっていうか…。
その動画見てからさ、俺周りが気になってしょうがないんだよ。今変なものが見えなかったか? とか、今変なことが起きてなかったか? とかな。今こうしててもさ、実は気づいてないだけで訳わかんない状況になってんじゃないかって…。
先輩の話は、かなり面白かった。意識していないが受け取っているものの中に霊的現象が紛れている、というのは創作に役立ちそうだ。
僕は夢中になってメモを取った。先輩のどこかざらついた声を聞き、文字に起こしていく…。
ざらついた声?
僕がメモを止め、ふと顔を上げると、先輩は話していなかった。スマホを持ち、真顔で座っているだけだ。スマホからは先輩の声が相変わらず流れている。事前に録音していたものを流して聞かせていたようだ。
「せ、先輩、それは」
「気づかなかっただろ」
「なんすか、どういう…」
「こういうことなんだよ」
先輩はにやあ、と笑った。無理やり口の端を釣り上げたような、奇妙な笑顔だ。
何を言っていいのか分からなくて押し黙った。先輩も嫌な笑顔のまま動かない。空気が重い。ここにいてはいけない気がする。逃げなければ。でもどうやって…。
「おおい、いつまで休んでんだあ」
重い沈黙を砕く店長の怒鳴り声が聞こえ、僕ははじかれたように立ち上がった。
「今行きまあす! えっと、すんません先輩、じゃあまた…」
不自然に声が上ずったがしかたない。とにかく先輩から離れたかった。僕はぼんやりと座っている先輩から目を逸らし、走って店長のもとへ向かった。
ここからは、数日後に聞いた話である。先輩は僕と話した次の日から音信不通になり、バイトもやめたらしい。先輩と親しいバイト仲間に聞いたところ、家に引きこもっているそうだ。
「様子見に行ったときもさあ、外は音が多すぎる、見えるものが多すぎる、みたいなこと言って出ようとしなくてさ。 あいつどうしちゃったんだろうなあ。 なんか急に変な話もしてきたしさ」
「へ、変な話ってどんなのですか」
「あんま覚えてねえけど、深夜に電話かけてきてさ、ヤバい動画見たとか、心霊現象がどうこうみたいな話してた…。悪い、あんま真面目に聞かなかったから覚えてねえわ」
「…そうですか」
何人かに聞いてみたところ、先輩はバイトをやめる前に、僕に話したのと同じ怪談をバイト仲間全員に聞かせていたらしい。それも、長電話やバイトの作業中などの、聞き流しやすい状況で。
先輩は、誰かを自分と同じ目に合わせるために、呪いを広めるようにこの話をしていたのだろう。そして、僕はそれに気づいてしまった。
雑踏の中で聞こえる大勢の声。スーパーの店内放送。電車内に貼られる大量の広告。膨大な情報に紛れて、防ぎようもなく何かを見て、聞いてしまっていること。
多分、気付くべきじゃなかったのだ。
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