ご自由にお取りください
桃太郎
雨の図書館
大学前でバスを降りると同時に雨が降り始めた。しまった、傘を持ってくればよかったな。まあ、このくらいの小雨なら大丈夫かと歩いていたが、どんどん強くなる。ノートや参考書が入ったカバンを守りながら、小走りで大学の門を通る。授業を行う建物は、坂の上だ。一回どこかで雨宿りをしたいと思った。
大学は広い。どこに何があるのか、一年生の私はまだ分かっていない。とりあえず一番手前にあった建物に入り、ロビーのような場所で一息つく。そこは大学図書館だった。
大学生活も三か月になろうとしているが、大学図書館に来るのは初めてだった。ハンカチで髪の毛を拭きながら、そばにある掲示物を眺める。一階は雑誌と新聞、二階は小説、三階は参考書と辞典。授業まではまだ時間がある。とりあえず雨が弱まるまでここにいようと決め、中扉を開けた。
一階はかなりにぎわっていた。私のように雨宿りに来た人も多いのかもしれない。大声を出す人はいないが、部屋全体が小さくざわついているようだった。自習や調べ物用にいくつか席があるが、ほとんど埋まっている。奥の階段を使って、二階に上がることにした。
階段を上がり、二階へ入ろうとすると、その道をふさぐように立札が置かれていた。
【雨漏りしています 別の階をご使用ください】
「えー、入れないの、ここ?」
少し覗いてみるが、どこが雨漏りしているかは分からない。ちゃんと電気もついてるし、何より一階と違って静かだった。特に問題はなさそうなので、奥へ進んでみた。
端の入り口から入り、ゆっくりと奥へ進む。背の高い本棚から見え隠れする通路には誰もいない。貸し切り状態のようだ。
窓際まで進むと、自習用の机が横向きに八つ並んでいる。そのうち三つの机の上に、プラスチックのバケツが置かれていた。覗いてみると、少しだけ水が入っている。なるほど、ここが雨漏りしているのか。
しかし、見ていても天上から水が落ちてくる様子はない。見張るのに飽きた私は、バケツの置かれていない席に座った。
ノート、参考書を机の上に並べてみる。少し湿っているが濡れてはない。机に肘をついて座り、ぼんやりとSNSを眺める。窓ガラスに打ち付ける雨の音以外には何も聞こえない。
雨音はどんどん強くなっている気がする。梅雨時期だからしょうがないけど、毎日こうも雨だとやだなあ。っていうか雨弱くならないし、授業さぼっちゃおうかなあ。なんか適当に、雨で電車止まったとか言ってさ…。
ぐしゅ、ぎゅう
不意に、雨音以外の音がすることに気が付いた。足音だ。図書館の硬い絨毯を、水に濡れた靴で歩く音。二階に誰かが入ってきたようだ。
ぎゅ…、ぎゅ…、ぎゅう…
足音は規則的に、ゆっくりと移動する。スマホを見るのにも飽きた私は、机に突っ伏す格好で、本棚の間の通路をぼんやり見ていた。
ぎゅ…、ぐしゅ…、ぎゅ…
なんか変だ。今私が見ているのは部屋の中心の通路だ。こんなに歩いているのだから、一度くらい横切る姿が見えても良いはずなのに、なんで足音しか聞こえないんだろう。
ぐしゅ…、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ…
足音が大きくなった気がする。明らかに近づいてきている。絶対に中心の通路から音がするのに、なぜか姿が見えない。じわじわと恐怖心が膨らむのを感じる。ここは静かすぎるのだ。他にも人がいる一階に行こう。
なんとなく急に動くのは怖い気がして、通路を気にしていないふりをしつつ、ゆっくりと床に置いたカバンを持ち上げ、スマホを入れる。机の端に置いていたノートを取ろうとして、手が止まった。
「な、なにこれ…」
表紙の一部がぐっしょりと濡れている。まさか、雨漏りだろうか。でも何か、何かおかしい。
そういえば、この建物は三階建てだ。なんで二階が雨漏りしてるんだろう。
そう思ったとき、頭のてっぺんにピチャ、と水が落ちる感触があった。同時に真上から、
「まだ、止みませんよお」
と声がした。若い女が、無理やり低く出しているような声だった。その瞬間、私の頭に突然浮かんだイメージは、ずぶ濡れの女が、髪から水を滴らせながら、私を見下ろしている、というものだった。
転がるように席から離れ、絶対ふり返らずに階段を駆け下りる。一階は相変わらずにぎわっており、何人かの学生が、息を切らしている私を不思議そうに見た。目の前を、司書の男が、本を入れたカートを押しながら通る。私は慌てて呼び止めた。
「あ、あの、さっき二階にいたんですけど、足音みたいなのがして、それで水が…」
司書の男は、しどろもどろに説明する私と、私が持っている濡れたノートを交互に見る。そして、にっこりと笑った。
「あー、了解です」
「え、了解って…」
「あれはねえ、毎日来るんですよ。普段はどうってことないんですけど、雨の日は濡れてるから困りますよねえ」
「どういうことですか…、毎日って…?」
立ち尽くす私を気にせず、司書の男は階段のそばにある掃除用具入れから何かを出す。水色のそれは、雨漏り用のプラスチックバケツだった。
「雨の日は二階、上がんないでくださいねえ。雨漏りが増えちゃうので」
司書の男は笑顔のまま、バケツを持って階段を上がっていった。
私はその日以来、学校図書館の二階には入らないようにしている。
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