第九十四話:拳と鍛錬


剣を腰に差したまま、合間に俺は一度、深く息を吐いた。


(あえて“剣を抜かない”という選択をするのは、理に適っている)


紅鎖スキルの反応を確かめる。技との組み合わせで制御できる感覚を掴み始めたとはいえ、未だ扱いは粗い。


剣を介してばかりでは、体の芯から技を練り込むことはできない。ならば剣を外し、拳と足と胴を軸にして、紅鎖スキルがどう応答するのかを確かめる価値がある。


構えを取る。踏み込み、衝撃波を意識しながら拳を突き出す。風を裂く音と共に衝撃波が飛んだ。だが、それは剣を介しての衝撃波とは程遠かった。


(……やはり出るか。剣に限定されない分、制御が難しい)


こうした鍛錬を重ねるたびに、掌の皮膚が焼けるような感覚が走る。剣で放ったときの鋭さとは違い、衝撃が自分の骨格に返ってくる。だがそれでいい。負荷こそが鍛錬の証。


拳に力を込める。空気が震え、草の葉が舞い散る。だが、決定的な“何か”には至らない。


(烈撃は本来、武器を前提としたスキル。素手で放とうとすれば当然のようにロスが生じる。だが、ここで制御を学べば、剣に持ち替えたときの精度は一段階上がるはずだ)


俺は土を踏みしめ、回し蹴りを放った。赤い鎖が一瞬、軌跡を描き、風を切り裂く。空気が弾け、枝葉が揺れる。


(まだ散漫だ。衝撃が外へ逃げている)


地面に着地し、再び拳を握る。“繰り返す”。ただそれだけを積み重ねる。


呼吸を合わせ、突き、蹴り、払い、体を回転させる。


その動きに応じて力の流れが徐々に筋肉へ馴染み、余計な揺れが少し消えていた。


(これが“体術”という領域か……剣を振るうだけでは見えなかった筋の連なりが、今は鮮明に意識できる)


かすかに、視界の端で光が揺れた。一瞬、拳の先に“鋭さ”が宿ったかのように。


(……今のは)


すぐに掴めるものではない。だが、間違いなくあった。クリティカル――“偶然の会心”と呼ばれていた一撃の予兆。


ゲームでは二万分の一という途方もない確率でしか出せなかったもの。


だが、現実のこの体なら、必然へと引きずり込むことができるはずだ。


それに、この世界における“確率”や“数字”については検証が必要だ。


怪力スキルによって得られている補正以上の力を感じる現状だからこそ尚更。


……掌を見下ろす。紅鎖スキルの発動はもう消えていた。だが確かに、痕跡は残っている。


(剣を介さずに放つ烈撃。そこに体術を重ねることで、見えなかった扉が開きつつある。俺が選んだこの遠回りは、決して無駄ではない)


木漏れ日が赤みを帯び、影が伸びていく。俺は再び、拳を握った。


(限界はまだ遠い。だが、その遠さこそが俺の糧になる――)


拳を握る。ただそれだけの動作のはずなのに、内部に生じる圧は剣を握った時とはまるで違う。指先に走る緊張は鋼よりも脆いが、だからこそ繊細に“力の流れ”を掴める。


(剣を媒介とせず、肉体そのものを武器とする――技を素手で扱う。それが今の目的だ)


武器を手放して殴るなど、効率だけ見れば愚策だろう。だが、“技”が武器に依存しているものである以上、それを素手にまで広げられれば、戦いの幅は一気に広がる。


剣を失った瞬間に力を削がれる、そんな弱点を抱えたままでは、本当の意味での強さには届かない。


俺は地を蹴り、乾いた岩を相手に拳を叩き込む。衝撃波は確かに走った。だが岩は割れない。ただ手の甲に鈍痛が走るだけだ。


(……まだ足りない。衝撃が収束していない)


呼吸を整え、再び拳を握る。衝撃波を出すのときに必要な“衝撃を束ねる感覚”を、肉体の内部で模索する。剣の刃を通して外部へ解き放つのではなく、拳の関節、骨格の線、筋肉の収縮を通して一点に叩き込む。


「……!」


岩肌が震え、細かい砂がぱらりと崩れ落ちた。まだ表面が削れただけ。だが、わずかに“響き”が混じった手応えを確かに感じた。


(……今のは)


今の感触。明らかに“技”を通す感覚とは別物。


(クリティカル、か?)


あれは狙って再現できる“間”があった。ほんの刹那、意識と肉体の動きが一致し、衝撃が迷わず直進したのだ。


(もし、あれが予兆であるならば……単なる確率でクリティカルが出るものだと、ずっと思っていた。ゲームでは二万分の一なんていう数字で割り切られていた。だが――現実の戦闘では違う。偶然ではなく、狙って叩き込める“間”があるやもしれない)


拳を開閉し、掌に残る余韻を確かめる。


(素手で技を練る試みは、まだ粗削りだ。だが、その過程で掴んだ“収束の感覚”は、確率の壁を超える鍵になる)


俺は何度も拳を振るった。疲労を常活が飲み込み、体はなお動く。痛みだけが、唯一現実として積み重なっていく。


(いい……この負荷こそが鍛錬になる。確率を引くために装備やスキルを積み上げるのではなく、意図的に身体を削り、研ぎ澄ますことで届く領域がある)


剣に頼らず、己の肉体で技を操る。その延長線上に、クリティカルを意図的に生む“間”が存在するかもしれないと考えると、確かめなくてどうするというもの。


「もう一度だ」


俺は静かに呟き、再び拳を握り直した。打ち込むたびに岩肌は削れ、わずかに裂け目を広げていく。


今のところはまだ“偶然に近い一撃”だ。だが、それを必然に変えるために――この鍛錬を重ねる価値があるとそう確信していた。


――拳を振るい続けた岩肌に、亀裂が刻まれている。衝撃はまだ荒い。だが確かに、素手でも“烈撃”が響いている感覚がある。


(……悪くない。だが、まだ粗い)


呼吸を整え、常活スキルが全身を巡り、肉体の疲労は解消されている。


だが――解消されている、に過ぎない。削れた皮膚は赤く熱を帯び、拳を握るたびに小さな痛みが走った。


このまま続ければ、感覚は曖昧になる。確かに疲れないのだろう。だが、それでは本当に必要な“繊細な手応え”を見失う。


(鍛錬とは、ただ叩き続けることじゃない。今の感覚を研ぎ澄ませ、確実に掴むことだ)


素手でも技を通す感覚は徐々に掴み始めている。それに先ほど、確かに一瞬、鋭い手応えを感じた。


クリティカル……ゲームでは二万分の一の確率でしか起きなかった現象。それが“確率”だけではなく“条件”や“タイミング”に左右するものではないかと、今の動きで理解しかけている。


その薄氷のような感覚を、今さらに振り回せばどうなるか。崩れ、濁り、二度と戻らなくなるだろう。


(追い込めばいいわけじゃない。むしろここで切ることが、次に繋がる)


理屈を裏返せば、そこに道は見える。攻め続ければ成果が出る、というわけではない。


攻め続けることでこそ見える景色もあるが、それを掴んだなら、一度立ち止まることもまた、攻めの一手だ。


俺は深く息を吐き、岩壁に背を預けた。陽は傾き、影が伸びている。もうすぐ夜が来る。ギルドも宿も、灯がともる頃だろう。


(宿に戻るか……)


常活があるから眠らなくても活動はできる。だが、それと休まなくてもいいは同義ではない。


むしろ、疲労を鈍らせる常活があるからこそ、意識的に休息を取る必要がある。誤魔化し続ければ、やがて肉体も精神も取り返しがつかない綻びを見せるだろう。


火山帯では一日、寝ずとも鍛錬をやれた。だが、あれは極限環境が常に肉体と精神を張り詰めさせてくれたからだ。


ここは街外れ。負荷は自ら課すしかない。ならば、区切りを見誤れば“研ぎ澄まし”ではなく“摩耗”にしかならない。


(焦りは禁物。俺が求めているのは“継続”だ)


拳を開く。赤く腫れた皮膚の下で、技の感触がまだ微かに響いていた。


それを感じ取れただけでも、今日の鍛錬に意味はある。


俺は立ち上がり、荷をまとめた。夜気が火照った体を冷ます。冷静さが、再び戻ってくる。


(次は……もっと研ぎ澄ませる。偶然ではなく、必然として)


足を街の方へ向ける。常活が身体を押し出すように巡り、歩みは軽い。


だがその一歩ごとに、今掴みかけた感覚を心の奥に刻みつける。


――ただ闇雲に鍛えるのではない。確実に、効率的に、一歩ずつ積み重ねる。


街の灯が近づいてきた。いつもの宿が、そこにある。拠点、そして休息の場。


(今夜は休む。だが――休むことすら、戦いの一部だ)


口端がわずかに上がった。戦場の外でも、俺は前に進めるとそう確信したのだった。









――――――――


ここまで読んでいただきありがとうございます!!


次もまたよろしくお願いできれば幸いです……!!😊




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