第七十七話:火山帯


――火の匂いが、まだ鼻の奥に残っている。


火山帯への道は、王国とは土の感触が違う。黒ずんだ砂が敷かれているのか、衝撃の返りがわずかに弱く、歩幅を一定に保ちやすいぐらいに脚の筋には優しい。


道の隅にある木は低く剪定され、枝振りが風に持っていかれないよう縄で結わえられている。人の生活が“熱”と暮らす前提で整っている土地のようだ。


先へ進むほど、空気は乾き、遠い向こうに白い蒸気が上がっているのが見える。あれがルステア公国付近にある火山帯。


硫黄のにおいが風に乗って薄く運ばれてきた。喉は渇くが、不快ではない。戦いの後、身体が欲するのは水分ではなく、整った刺激だ。正しい負荷。正しい手順。正しい読み。


俺は深呼吸をし、揃える。心拍が二拍落ちる。視界の周辺が静かになる。考えるべき順序が立つ。


まず、補給。王国で既に、ポーション類などの購入は終えている。念を押して、持ち物を確認する。


そして、鍛錬。火山帯に着いたらまずはスキルの下地が揃えているかの確認。特に重要なのは、“熾躯の結晶”だ。そして、そこまでに行く際に疾走スキルの発動を怠らないようにする。


「まだ足りない」


独り言が風に紛れる。足りないのは力含め、密度だ。そこに至るまでの”過程”を、身体の底で喜べるようにもう少し自分を絞りたい。


分岐の手前に、石造りの低い見張り台があった。脇に立つ標柱には、ルステア公国の刻印が刻まれている。


簡素だが、王国のものより彫りが鋭い。依頼を示すと、兵士であろう男は一礼して視線を切る。


「火山帯は東側のルートが開いてます。南は風が悪い日でしてね」


助言に礼を返し、歩を進める。


風を感じる。確かに、さっきから地表近くの空気が押されるように流れている。


地形風か、それとも熱による上昇がどこかで崩れ、落ちてくる逆流か。どちらにせよ、通常であれば長居は向かない。


俺は歩みを止め、疾走スキルを解放する。身体が地面と親しむ。足裏の皮膚が、地面を正確に拾い、膝がそれを先に予知して角度を微修正する。


疾走スキルのレベルが上がれば上がるほど、この感覚を掴みづらくなる代わりに移動速度の上昇を約束されているのだろう。


視界の端で、道標が三つ過ぎる。風切り音が耳元で発生する。


そうして走っていると、遠くで乾いた爆ぜる音がした。


(岩が割れたのか、地中の水蒸気が吐いたのか……)


音の抜けが良い。山は近い。視線を上げると、向こうで植生が切れている。


風向きが変わり、地面が火山帯のそれに変化しているのだ。


魔物の異常分布。その言葉が、頭に浮かぶ。


それも好都合だ、と笑う。異常は、戦いの呼び声だ。手頃に整えられた模擬戦も学べる事はあるが、歪んだ現場もまた、学べることがある。


予定通りに動く相手より、予測をずらしてくる相手の方が、読みは鋭くなる。


ただし、準備は怠らない。火山帯に近づけば近づくほど、熱が空気に混じって身体に伝わってくる。火炎耐性を事前に得ているため、影響はない。


やがて、道が緩やかに左へ折れ、視界が広がる。先ほどの男が言っていた東側のルートがこれだろう。


このルートを越え、火山帯へと変化しつつある地面を確かめる。異常の芯を見つけるのは、その先だ。


喉の奥で、笑いが小さく鳴った。喜んでいる。身体が、次の負荷を待っている。俺は歩き出す。


燃料と舵。どちらが欠けても、遠くへは行けない。足下の砂が、きめ細かく鳴る。風が、午後に向けて、少しずつ流れを変え始めていたのだった。





――火山帯付近を回っていると、土を踏み締める感覚が、ふいに変わった。


黒ずんだ地面の下で、かすかにうごめいた気配。僅かな沈み込みと共に、鈍い亀裂音が響く。


直後、地表を割って盛り上がったのは――岩の塊にしか見えない魔物だった。


「“岩甲虫”か」


本来なら、もっと奥の火山帯の斜面に潜むはずの魔物。まだ外縁に近いこの場所で出るのは、通常からすればありえない。


だが、目の前にある現実は否応なく異常を告げていた。甲殻は黒曜石めいた光沢を帯び、節ごとに赤熱した筋が走っている。内部に篭った熱が亀裂から洩れ、白い蒸気が口吻の隙間から漏れ出した。


甲虫は低く唸るような振動を放ち、地面を六本の脚で叩いた。音が伝わり、砂礫が細かく震える。


硬さと重さ。試し斬りには、これ以上ない。


「良いな」


呟きと共に俺は右足を半歩ずらし、岩甲虫の突進を待った。


――来る。


前肢が跳ね上がり、岩塊めいた体が突進してくる。速さはない。だが、その質量は物理耐性がなければひとたまりもないだろう。


俺は、むしろ踏み込みを合わせる。


(もう一歩、読めるか)


突進の揺らぎを拾い、肩の落ち方で角度を確定する。左に寄る――いや、ほんのわずか、右だ。


脛をかすめる風を感じながら、俺は剣を低く構えた。


甲殻と刃が噛み合う。耳障りな火花が散り、腕に衝撃が走る。硬い。だが、通らないほどではない。力を押し込むのではなく、角度を滑らせて筋に刃を這わせる。


岩の裂け目に沿って力を分ければ、甲殻の内部に伝わる。


甲虫の体がよろめる。そこに、わざと一瞬の遅れを挟む。脚が振り下ろされ、脇腹に鈍い衝撃がめり込んだ。



《HP:98%》



「……なるほど」


骨が微かに軋むが、スキルの前では、それもまた判断材料の一つでしかない。


吐息を整え、後退する。甲虫はなおも脚を振り下ろし、地面を打ち砕く。石片が弾け飛び、煙が舞う。視界が狭まる中で、俺は再び踏み込む。


疾走スキルを短距離に解放する。身体が風に乗り、甲殻の隙間、赤熱した筋が呼吸に合わせて脈打つのが見える。


「そこだ!」


一閃。


刃は甲殻を断ち割り、内部から爆ぜるような蒸気が吹き出し、身体をのけぞらせた。


だが、致命傷までは行っていない……次の突進は直線だ。


予備動作が大きい。俺の刃は既にそこにある。横薙ぎに払えば、甲虫が倒れ込み、地面を叩く。


静寂。熱の蒸気だけが漂う。


剣を振って蒸気を払い、鞘に戻す。


周囲は静かだ。だが、地面の下では同じようなうごめきが微かに続いている。この一匹だけではない。異常は広がっている。


依頼の文言が、現実味を増して胸に重く落ちる。


「……やはり、食い甲斐があるな」


呟きと共に歩みを進める。次を、もっと深く読める。

 

それだけで十分だった。







――――――――


ここまでお読みいただき、感謝です……!!


続きも楽しみにしてもらえたら嬉しいです!!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る