第六十七話:邂逅
朝――淡い光が窓の格子から差し込み、部屋の中に冷たい白の筋を作っていた。外はまだ人影もまばらで、遠くから市場を開く音と、馬車の軋む音が微かに届く。
目を開けた瞬間から、昨日の出来事が脳裏をよぎる。リネアの言葉。狼に似た氷の魔物。そしてリネアに向けた“お前を知っている”とそう言った事。
(あれが偶然であるはずがない)
氷魔物は恐らく“念話”スキルを通して、人間の言葉を話せる。以前、自分が接触したときもそうだった。だが、昨日リネアが語ったそれは、ただの会話ではない。“お前を知っている”という断言だ。
偶然通りすがった人間に向ける台詞じゃない。
枕元に置いた装備袋を手繰り寄せる。剣の柄を握ると、冷えた金属の感触が指に馴染んだ。
戦うか、退くか――それを判断するには、まず目的を知らなければならない。もし奴が敵なら、何らかの意図を持ってリネアに近づいたことになる。
(……利もあれば、罠もある)
氷魔物は戦力としては未知数だ。だが、自分の知る限り、あれは無秩序な暴れ方をするタイプではない。以前も、互いに剣を交えながら言葉を交わした。そして今度はリネアに接触。
考えはそこで切り上げる。様々なスキルが働いているからか、頭の中の温度がすっと下がる。状況を冷静に分析する。それが今の自分のやり方だ。
立ち上がり、窓の外を見る。街路の端に積もった夜露が、朝日に照らされて淡く光っている。今日の予定は決まっている――リネアとともに翠霞の草原へ向かい、奴と接触する。それだけだ。
階下に降りると、もう宿の食堂には温かな匂いが広がっていた。香ばしいパンの香りと、野菜を煮込んだスープの匂いが空腹を刺激する。
「おはよう。よく眠れたかい?」
カウンターに立つミランダ、もとい女将が、いつもの調子で声をかけてきた。だが、その目はわずかに探るような色を帯びている。
(……やはり、気づいているか)
昨夜、裏手でリネアと話していたのだ。宿を営む身としても、彼女の親族でもある以上何らか勘づくのは不思議ではない。
「ええ、ぐっすりと」
平静に返す。だが、それだけでは終わらなかった。
「そうかい……リネア、少し顔色が悪かったように見えたよ。あんた、何か聞いたんじゃないかい?」
柔らかな声に隠しきれない親族のような鋭さがそこにはあった。
――嘘をつくのは簡単だ。だが、無用に不安を煽るのも得策ではない。
俺は短く息を吐き、言葉を選ぶ。
「心配は不要です。ただ、少し妙な魔物に関する話を。……彼女から、冒険者として意見を求められたので」
それ以上の詳細は伏せる。女将もそれを察したのか、じっと見つめたのち、肩をすくめた。
「まったく……あの子は心配性のくせに、人に心配かけまいとするんだから」
その言葉には叱責よりも、愛情の滲んだ溜め息が混じっていた。
それじゃ、あの子を頼んだよ。とそう言い残して女将は奥の方へと去っていった。俺に対しても一定の信用は築けている、と考えていいのだろうか。
――席につき、食事を取る。焼きたてのパンをかじりながら、静かに思考を巡らせる。
今日、草原で奴と再び接触する可能性が非常に高い。だがその前に、リネアをどう守るかも重要だ。
俺の目から見ても、リネアは恐らく戦い慣れていない。氷の魔力という希少性のあるものは持っているが、かといって戦うのはまた別の話だ。
女将にも頼まれた上、リネアをどう安全圏に下がらせるか。それを考えつつ食事を済ませ、一言お礼を言ってから支度をする。
支度を終え、宿の入り口付近で待つ。
やがて足音が近づく。振り返ると、リネアが小走りでやってきた。まだ眠気の残る顔に、昨夜の緊張を引きずった影がある。
「おはようございます、アルフォンスさん」
「おはよう。……準備はできてるか?」
「……はい。覚悟は、決めました」
彼女の小さな声に、静かだが確かな決意が混じっているのを感じ取る。
(――行くか)
視線だけで合図を送り、歩を進める。宿を出ると、朝靄に包まれた街路が待っていた。リネアはすぐ横に並び、その瞳は不安に駆られながらも、まっすぐ前を向いていた。
◆
街を出て、草原へと続く道を歩く。朝の霧は徐々に晴れ、黄金色の光が一帯を包み込んでいく。
石畳が土の道へと変わる頃には、鳥の声も増え、旅路のざわめきが耳を満たしていた。
だが、隣を歩くリネアは口数少なく、何度も胸元を押さえていた。
昨夜からずっと気を張っているのだろう。小さな肩が、緊張で固くなっているのが分かる。
「……無理をしていないか?」
「っ……だ、大丈夫です」
即座に返す声は、強がりの色が濃い。俺は足を止め、振り返る。朝日に照らされたリネアの顔は、やはり少し青ざめていた。
(……俺が落ち着かせねばならないか)
不安や強ばり自体はまだいい。本来、危機が迫ってきた時の防衛本能だ。
何も考えていないよりは、多少の緊張感を持った方がいざと言う時にすぐ動ける。
ただ、緊張感を持ちすぎるのもなにかと考えものだ。だが、それをまだ年もいかない、しかも恐らく戦闘経験も浅いであろう少女にそれを求めるのは酷だろう。
短く息を整えて、穏やかに言う。
「恐れるのは自然なことだ。だが、恐怖を隠す必要はない。隠したところで消えるものでもないからな」
リネアははっとしたように顔を上げ、唇を噛んだ。そして、少しだけ力を抜くように目を伏せた。
「……はい。ありがとうございます」
その小さな声には、ようやく素直な響きがあった。俺は歩みを再開する。
(恐怖に呑まれるか、恐怖を抱えながら進むか……結局のところ、それを決めるのは本人だ。俺にできるのは、隣で歩くことだけだ)
やがて、風景が一変する。広々とした平原に、白く霞むような霧の帯。草は風に揺れ、薄緑の海のように波打っている。
その奥に――妙な冷気が漂っていた。空気が一段階、肌に刺さるように変わる。夏の日差しの中であるにも関わらず、吐息が微かに白む。
「……ここです。昨日、会ったのは」
リネアの声は、囁きのように細い。だが、その指先は確かに一点を示していた。
翠霞の草原の一角。見た目は他と変わらない――ただそこだけ、風が凍りつくように澱んでいる。
(間違いないな。この近くに“奴”がいる)
剣の柄に自然と手が伸びる。まだ姿を現さぬ存在を意識しながら、俺は静かに息を整えたのだった。
――その瞬間。
冷気が、風と共に一気に濃くなった。翠霞の草原に、白い靄が広がる。霧ではない。確かな冷気が、視界を鈍らせ、肌を刺した。
次いで、草をかき分ける音。そこに現れたのは、――狼に似た、明らかに異質な氷の気配を纏う“奴”だった。
透き通るような白銀の毛並みに、淡い蒼の光を宿した瞳。ただ立っているだけで、周囲の空気ごと凍り付くような圧を放っていた。
「……っ!」
リネアの体が、びくりと震える。
俺は一歩、すっと後ろに下がった。彼女を背に庇う形を取りながら、腰の剣に手を添える。
余計な威圧を与えぬよう、だが一瞬で動けるよう、重心を落とした。
奴の視線は――真っ直ぐに俺達へ。静謐な緊張が、草原一帯を支配していたのだった。
――――――
いつも読んでくださり、フォローや応援などをいただき、ありがとうございます!!
そういえばの話になるのですが、近況ノートで久しぶりにSSを投稿しました!
本編とは関係ない“日常”を書いていますので、気分転換に覗いていただけたら嬉しいです!!☺️
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