第六十六話:少女の事情


――リネアの視線が一瞬だけ、周囲を探るように動いた。それを汲み取り、俺はこう聞いてみる。


「それは、ここで話して平気な話か?」


一拍置いて、リネアは首を横に振った。


「えっと……ここでは、ちょっと」

「分かった」


俺は軽く顎を引いて頷き、宿の脇道を抜けて裏手へ回る。夕暮れは終え、夜気は少し冷たく、砂利の踏み音が妙に大きく響いた。


誰の足音も追ってこないことを確かめてから、リネアに向き直る。彼女は何やら口をもごもごと動かしていたが、決意を込めるかのように口を開いた。


「その……今朝、薬草採取の依頼で“翠霞の草原”に行ったんです。それで、その……帰り道、急に見たこともない魔物みたいなのが、現れたんです」

「見たことのない魔物、か」


この時点で、いくつか思い当たる節はあるが、まだ確定ではない。俺は静かにリネアを待つ。


「その魔物は、狼みたいな見た目をしていました。でも……襲ってくるような感じはなくて。むしろ、私をじっと見てきて」


(狼みたいな見た目。これはもしかしなくても……)


リネアの声がわずかに震える。彼女は視線を落とし、記憶を慎重に手繰るように言葉を選んだ。


「……はっきりとした声じゃなかったんです。でも、頭に直接響くように、こう言われたんです――“お前を知っている”、って」

「君を、か?」

「私、なんだと思います。その時、瞳がほんの少しだけ細められて……それから、何もせずどこかへ消えていきました」


リネアは、そこでようやく顔を上げた。


「……私、あの魔物に見られたとき……胸の奥が、変にざわついて」


そこで言葉を切り、リネアは迷うように視線を落とした。


「でも、上手く……説明できないんです」


(……なるほど)


単に魔物と遭遇しただけなら、ギルドに報告すれば済む。だが“自分を知っている”と言われたとなれば話は別だ。


リネアにとって、それは氷の魔物と自分の間に何らかの“繋がり”があるという可能性を突きつけられたも同然――そう簡易にギルドに報告していいのか迷うのは無理もないだろう、一人で抱えるには重すぎる。


ただ、ここまで聞いて疑問に感じたことがあったため、それを聞く。


「話は分かった。ただ、何故この話を俺に?」

「あっ……その、本当は、ミランダおばさんに相談しようと思ったんです。でも……あの人は宿のこととかもあるから、心配させたくなかったんです」


ミランダ――リネアが言うには、そういった理由で女将には伝えていないらしい。彼女は、言葉を選びながらも、その瞳は迷いを孕んでいる。


「だから、冒険者で……魔物のことも知っているアルフォンスさんなら、と思って」

「魔物、か」

「はい。あの――……」


リネアの言葉が、ふと途切れた。その瞬間、耳の奥ではなく、脳髄の芯を直接なぞられるような冷たさが走る。まるで氷刃の先端で意識を抉られたかのような、鋭く、凍てつく感覚。


『……あの場所で待つ』


音ではない。息でも吐息でもない。それは、脳内へと侵入してくるような“声”のようだった。


間違いない、これは以前奴と対面した時に味わった“念話”スキルだ。


「い、今の……聞こえました、よね?」


リネアと視線が交わった瞬間、互いの瞳が答えを語っていた。俺たちは同時に、同じ“念話”を受け取ったのだ。


夜の空気が一段と冷え込む。外灯に照らされた路地裏の砂利が、風に撫でられるたびに微かに鳴った。その音さえ、どこか遠くから響くように感じられる。


(……何を考えている?)


脳裏に浮かぶのは、氷の毛並みを纏い、鋭い視線を放っていた魔物。ただの偶然ではない。明確に意図を持ち、こちらを“招いて”いる。


それも、リネアは“氷の魔力”を持っていると分かっているからこそ猶更だ。


「……“あの場所”とは、どこを指しているか分かるか?」

「あっ、た、多分、薬草採取で行った“翠霞の草原”の南の外れだと思います。声が響いた瞬間、その景色が頭に浮かんで……」


リネアの話によると、これはあくまで偶発的な遭遇ではなく、完全に場所を定めた呼び出し。これだけでも、魔物の行動としては常軌を逸している。


(リネアへの接触。さらに、俺にまで届く念話……)


俺は短く息を吐き、考えを整理する。


罠の可能性は捨てきれない。だが、奴の正体や目的は未知であり、この機会を逃かせば、次はないかもしれない。何より、リネアに接触し彼女が無事であることが、その可能性を薄めていた。


「今すぐ行くのは、危険だ」

「……でも」

「今は夜だ。視界も悪いし、何より、相手の出方が分からない。行くなら視界が確保できる、朝方がマシだろう」


リネアは短く息を呑み、唇を噛む。迷いを胸に抱えながらも、ほんの数秒後には頷いていた。その動作は、恐怖よりも、自分の意思で事態を見届けたいという覚悟を含んでいるように見えた。


「……分かりました。じゃあ、明日の朝に」

「ああ」


一拍置いて、夜気が再び頬を撫でた。冷たいのに、背筋を走る感覚はそれ以上に鋭い。脳裏の奥底では、先ほどの声の残響が今も凍りついたまま、消えずに張り付いていたのだった。







――――――――


ここまで読んでくださり感謝です!!


次回もまた楽しんでくれたら嬉しいです!!

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