第35話 なかったことに

 さらに月日は流れ、及川明人の年齢は50を越した。

区切り的な年齢ではあるが、日常面で何かが大きく変わるわけでもなかった。

しかし、昭和時代の延長線上だと思っていた世の中が、さまざまな面・細かな面で違いが表れており、もはや昭和ではなかった。

また、何よりも同世代の知人やテレビ界を牽引していた著名人といった『よく知っている人』がこの世を去って行くことも起きるようになってきた。


 日本の気温は上昇、毎年『異常気象』が当たり前。9月まで実質夏となり、それに合わせて教育施設ではクーラー完備となった。


 高校時代に『高齢化社会』と呼ばれていた日本も、早々に『高齢社会』を通り過ぎ、さらに状況が悪化した『超高齢社会』となっていた。

それもその状態になってからもうすでに15年近くが経とうとしている。


 それに呼応して日本の国力は落ちていき、それに関連したネガティブなニュースが毎日を埋め尽くしている。

高齢者によるありえない交通事故や老朽化した昭和時代の設備が原因の事故がよく目につく。


 振り返ってみると、高校時代のころが日本経済のピークだったことがわかる。

もう35年も前の話だ。

ちょうどそれは『ツミクアキ騒動』の時とも一致する。


「…あれから35年か~」

一世代どころか二世代前の話となった。

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 明人は福岡市にある今の職場になってから20年近く、淡々と同じ生活を繰り返していた。それは時間が止まったようであったが、毎日歩く通勤路に落ちているたばこの吸い殻はほぼゼロとなり、電気自動車とはまだ1日に1台程度しか遭遇しないが、行き交う車のエンジン音は小さく少なくなった。

かつては騒音が絶えることがなかった交差点も、信号が切り替わるタイミングでは町が静寂に包まれることすらある。


 薄く巨大なテレビは地上波と衛星放送だけのものではなくなり、インターネット経由での動画配信などが観られるようになった。

かつて遭遇すらできなかったツミクアキの出演作も検索して簡単に観ることができる。

その副作用として、大きな町ですら かつて情報発信減だったビデオレンタル・CD販売そして書店がほぼ消失した。


 肩身が狭くなった地上波テレビをつければ、昭和・平成・令和の三世代をそれぞれテーマにした世代別歌番組やクイズ番組が頻繁に流れている。

昭和と言っても、取り上げられるのはせいぜい1980年代以降、古くても1970年代がほとんどだ。

違う視点の切り口になっただけで、たいがい『松田聖子まつだせいこ』『中森明菜なかもりあきな』『サザンオールスターズ』ばかりが繰り返し映し出される。


 それ以前の年代は該当する視聴者が極端に少ないのだろう、昭和としてすらカウントされなくなった。もっぱらそのジャンルはNHKとBSが担っている。


 あのころと比べ今の流行はやりの歌は、たいがい歌詞を早口言葉のように詰め込んだアニメの主題歌ばかりで、『夢冒険』『夢を信じて』『夢をあきらめないで』といった昔よく見られた『夢』がテーマの曲や、昨今の未婚率の上昇を反映してかラブソングなんて皆無だ。

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『1989年に消費税が導入されましたが、当時の税率は何%だったでしょう?』

自分にとっては常識中の常識である、『ついこの前のこと』が歴史扱いされクイズになっていた。


 次いでショックだったのが、大谷麻衣にプレゼントを買った 当時開館したばかりの『長崎西洋館』の閉館・解体のNHKの番組だった。

路面電車が館内を通るという特殊な構造の建物であったため難解な解体工事作業が番組に取り上げられたのだ。


 番組内で開館したばかりの古い映像が紹介され、明人が訪れたプレゼント屋も映った。そして 今の長崎市の発展の基盤となった『ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001構想の概要』という本が登場した。


 あの1度しか行っていない思い出の場所の訃報が、明人の青春時代が歴史として扱われ、そして消えていくことの証明のようで、明人は寂しさを止められなかった。

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 明人の高校のホームページを訪れると、当時の校舎の多くがすでに取り壊され、新しく入れ替わっていた。はじめ気づかなかったが、古いほうの体育館もほとんど同じデザインのものに建て替えられていた。


また、制服が30年以上経って、今度は男子の学ランも含めてモデルチェンジするらしい。

あの紺色の女子のブレザーの制服が今までずっと使われ続けていたというのも驚きではあったが、ここでも明人の青春が歴史となったことを痛感させられた。


 Facebook内で活動している同級生もほぼいなくなり、10年前の騒がしかった場は嘘のように静かになり、明人の寂しさを共有することもできなかった。

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 周囲から半ば強制的に時の流れを自覚させられるだけでなく、明人自身の視力や体力の低下を実際に感じ始めている。

髪はほとんど白髪となってしまい、痩せているのが売りだった体型も知らず知らずのうちに標準体型となっていた。


 さらに驚いたのが、かつて鮮烈な記憶として残っていた高校時代の出来事が、いつの間にかぼんやりと霞んできていることだった。

極端に言えば、『かつて高校生であった』という事実すら、意識しないと忘れてしまいそうな感覚に陥っていた。

高校時代と比べ印象が薄い大学での生活においては、明人のはじめての恋人の事も含めてほぼ覚えていない。


 一生忘れないと思っていた江藤さおりの泣く姿や「やった!それなら及川君は私のもの!」という親衛隊長の叫び声も消えつつあった。


自分の青春が『昔のこと』を通り越し、『なかったこと』になりつつあった。

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【第35話補足】

・『夢』の歌:酒井法子『夢冒険』、徳永英明『夢を信じて』、岡村孝子『夢をあきらめないで』と、題名や歌詞に『夢』や『未来』という言葉が多く使われていた。


・NHKの番組:路面電車が貫通するビルを解体せよ(2024年)

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