第34話 初対面

 福岡市で及川明人にツミクアキの話をする者は、1人もいなかった。

強いて言うなら、初対面の相手に「以前どこかでお会いしたことはありませんか?」と尋ねられ、「よく言われます」と苦笑いで返したことがあったくらいだ。


 大学受験失敗の罰として『テレビ断ち』中の明人は新聞とラジオとCDの生活を続け、その間のツミクアキだけに限らずテレビからのみ入る情報はすべて絶たれた。

これにより、高校卒業後の明人とツミクアキとのつながりは完全に断裂し、彼女の存在は自然と明人の中から消えていった。


 消えたと言えども、比較的女性寄りの明人の顔貌は健在で、大学の文化祭の女装大会で入賞したほどだった。

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 順調に思えた明人のはじめての恋愛は2年程度で破局を迎えた。その時の経験から、高校時代の明人の恋愛観はそのままに『男にちやほやされることに慣れていない女性』『時間を守る女性』という2項目が追加された。


ちょど「アッシー君」「メッシ―君」「ミツグ君」といった言葉が流行した時代で、年頃の女性が過度にもてはやされ、女性側もそれが当たり前と思い傲慢な傾向になっている風潮に明人はあきれ疲れていた。


 かと言って、大学内で散見される女性を軽視する『男尊女卑』の風潮、それと権限のない外野の恋愛への介入には大いに疑問を持っていた。

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 結局のところ、大学卒業後 半年も経たずに、社会人になりたての化粧の必要がないほど肌が白い女性との結婚にこぎ着けた。

 明人と体重を合計しても100kgにもならないことを心配した明人の父親は合計100kg以上を結婚の条件としたが、無視して話を進めた。

 2人とも平均結婚年齢より若くしての結婚に反対的な意見も周囲からあったが、何かといろいろな面で不確定要素が多い独身時代に早く終止符を打ちたかった。


 交際中は横に並んで歩いていたが、徐々に明人が妻の後ろについていくようになり、買い物の際のその姿はロールプレイングゲームのパーティーの様子に似ていた。

 周囲を見渡してみても、明人ら夫婦と同様の立ち位置のカップルは10組に1組以下ではあったが、明人は特には気にしなかった。

ただ、過去に明人のことを好きになってくれた女性たちが、後ろを歩く明人の姿をどう思うかは興味があった。

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 心臓病に関しては、どの個人クリニックでも一般的な定期健診の胸のレントゲン写真から肺に『心臓の音』の原因であった『肺気胸』の跡を指摘された。

時々再発したが、放っておけば自然と落ち着いた。

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 月日は流れ 明人は実家と同じように川と海が近く、そして大きな空が見えるマンションに住んでいる。

高校卒業から20年以上が経ち 明人が40代になったころ、インターネット上にFacebookが誕生し社会現象となった。

世間では”友達”の数を競い合う風潮が蔓延し、自慢話やグルメレポートといった無意味な投稿で溢れかえった。


 そんな中、明人も高校時代の同級生と繋がりを持つようになる。友だち候補の中には”江藤さおり”の名前があったので、思い切って友達申請を出したところ了承され、チャットのやり取りも全くない形式だけの”友達”になれた。

謝罪をするかどうか再び悩んだが、事件から30年以上が経過しており、そのままにしておくことにした。


 ”友達”には当時まったく話したことのない面識もない同級生も含まれていたが、彼らも決まって『ツミクアキ』の話題を一番最初に持ち出してきた。


 やはり、モテていたという誤認識も多少あったが、ネガティブなエピソードを使って否定し、また、当時助けてくれたクラスメートらには感謝の意を伝えた。


 そんな中、「追っかけ対応に困ってたよね」、「及川君の女子への『話しかけるなオーラ』がすごかったよ」とクラスメートの女子からのコメントがあった。

ちゃんと周囲にも自分の気持ちが伝わっていたのがわかって、少しうれしかった。


”みんなが持つ俺のイメージってやっぱり『ツミクアキ』のままだよな”


 明人は歳を取った自分の外見に不安を覚えた。当時とあまり変わらずやせた体型であるが、禿げてない代わりにだいぶ白髪となってしまった。

かつて女子だった人たちも、中性的な明人がオヤジになっていたら失望するし、オネエになってたら笑えない…。


”多少、身なりは小ぎれいにしておかないといけないな”

と、誰か同級生に会うわけでもないのに、ずさんになりつつあった服装に多少注意を払うように心がけた。

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ある日、明人は

「あ!『ラックン』!」

と、思い立ったかのように明人はデスクトップパソコンのキーボードを叩き検索した。


早々に気づけば良かったのだが、それまでその発想がまったくなかった。

YouTubeに個人から投稿されていた昭和時代のCMの動画の中に、少年のような少女が笑顔でコミカルなダンスを踊りながら商品の紹介をしていたものがあった。


「ラックン♪ ラックン♪ 焼きそば ラックン♪」


「これが『ラックン』ね…。ツミクアキ…。全然似てないよ…」

小声でつぶやいて、笑顔で涙を流した。


これが四半世紀経ってはじめてのツミクアキとの対面であった。

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【第34話補足】

・テレビ断ちの生活:テレビがないことは日常生活で特に差支えはなかったものの、当時流行りのトレンディドラマやそれに登場する俳優に関しての知識が全く得れなかった。そのため、長崎市出身の福山雅治の存在はかなり後からになって知った。

また、西日本新聞は取っていたものの1995年の阪神淡路大震災をテレビで見ておらず、その重大性に気づかなかった。

 情報不足を補うため、頻繁に書店に通い、映画館では大学在学中に200本試写会を中心に鑑賞した。最終的にはテレビが観れないならとテレビ局に直接行って観覧できる番組観た(RKB『OK!』MC:コンバットまん)。

 その時と出会ったプロデューサーが偶然にも明人の高校のOBで「テレビがないのにテレビ局に来るなんて、君、変わっているね」と盛り上がった。


 結局、再びテレビを持つようになったのは結婚の時だった。その時には、テレビの縦横比が4:3ではなく16:9への移行時期であり、始まったばかりのCS放送(スカイパーフェクトTV:1998年~)にも加入した。その時の目玉番組も小室哲哉によるものだった。


・肺気胸:肺がしぼむ病気で、明人は特に若く背の高い痩せた男性に多い原発性自然気胸であった。治療は軽度なら安静にして自然治癒を待つ。

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