高校2年
第11話 悲惨
1989年(平成元年)4月。以前からポスターなどで告知されていた”消費税”という意味が分からないお金の計算方法が導入された。
3%という区切りが悪い税率が店頭での暗算を難しくし、それまで使われることがほとんどなかった1円玉が活躍の場を得た。
税制の変更によって今までより支払いが高くなったものもあれば、その逆もあった。それは以前からさまざまな所で紹介されており、それを知っていた明人はこのタイミングで以前から興味があった流行りの異形カメラを、今夏にある就学旅行用として購入した。
及川明人のバスの通学コースの一部は1990年夏に開催される『長崎旅博覧会』の
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高校2年生となった明人は、世の中のの様々な変化と相まって新たな高校生活に胸を膨らませていた。
昨年の半年近くにわたった親衛隊騒動で悪目立ちしてしまい、校内にその名が広まった明人。からかいはゼロにはならないだろうが、在校生にはその存在が一通り知れ渡ったことであろうから、今年は少し落ち着き女子の過剰な反応減るはず。――そう期待していた。
だが、その予想はあっさり裏切られた。
ノートに記録するからかいの人数を示す「正」の字は、昨年度を上回るペースで増えていった。原因の一つは、明人の噂が他校、特に女子高にまで広がったことだった。
特に土曜日の昼の帰りは他校の生徒と遭遇する可能性が高い。からかいは明人が動けないバス停でよく起きる。平日の夕方と比べ元気で開放的な気分の女子たちの『カモ』になりやすい。
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市街地での乗り換え後からは他校生徒と混在することになる帰りのバスの中で、明人を振り返らせその顔を一目見ようと背後から「ラックン♪ ラックン♪ 焼きそば ラックン♪」と、小声の合唱が起きたこともあった。
このからかいには、「ここで振り返ってはダメだ」と明人は歯を食いしばって耐えた。
自宅近くでバスを降りると、過ぎ去るバスの左側の窓には他校の女子たちの集団がガラスに張り付いて明人を見下ろしており、心なしかバスが左方に重そうに傾いて見えた。
「まるで上野のパンダだな」と、明人は顔を隠すためにうつむいて自身の境遇をつぶやいた。
別の日には、バスの乗り換えで下りの
気づいた明人が細い街路樹の陰に隠れても、彼女たちはそれを避けるようにぞろぞろと移動し、両者はその街路樹を軸にまるで時計の針のように弧を描くように動いた。
他校の生徒ゆえ明人との遭遇する確率は非常に低い。だからこそ、噂の人と偶然出くわした彼女たちの興奮は異様に高まり、そこから出る大げさなリアクションが明人の心をじわじわと削っていった。
ひとつひとつのからかいは耐えきれる。でも、あまりに数が多すぎる。蓄積したダメージは学業にまで影響を及ぼし始め、両親から比較対象となりやすい明人の弟が長崎県で最高位の進学校に入学したことも、その焦りを助長させた。
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クラスメートの男子たちは明人の悲惨な状況を気遣い、「俺が一緒に帰ろうか?」とボディガード役を買って出てくれる者すら出てきた。
面談時に担任教諭にこの一連の問題を持ちかけると、すでに認識している様子で、「その女のような髪型がいかん!髪を切れ!髪を!」と髪型を変える半ば強制的な提案を出してきた。
嫌々ながらそれ従いその日の帰りの途中の浜の町でいつもの床屋に寄って行った。顔見知りでもない店員から「何かあったの?」と心配されるほど今までの人生の中で一番髪を短くした。
しかし、傍から見ると懲罰を受けたかのような短くした髪はかえって女子たちの興味を促し、見物客がさらに増える結果となった。
明人は少しでも他校生徒と接触を避けるようにバスの乗り換え場所を変更した。
15分ほど歩くことになるが、人通りが多い市街地には行かないようにした。
そんな中、朝の通学中に目の前を歩いていた見知らぬ自校の女子が振り向きざまに「げ、気持ち悪い」と放った一言が、何とか持ちこたえていた明人の心を粉々に打ち砕いた。
その瞬間を明人自身も”あ、壊れた”と限界を越したことを悟った。世の中の女子の総意がその一言に集約されていると思った。
もともとおとなしい性格の明人ではあったが、この日から感情が乏しくなった。
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とある天気予報が外れた雨の下校時間。明人は常に折り畳み傘を持ち歩いていて対応できていたが、バス停に向かう途中、傘を持っていないのだろう見知らぬ女子が体育館の軒先で雨宿りをしていた。
そこを通りかかった時、その女子が「バス停まで入れていって!」と明人に勢いよく話しかけてきた。
”え?なんで俺?”
明人はちょとびっくりしたが、目が合ったのにも関わらず 表情も変えずに無視して通り過ごした。
”知らない女子と
恥ずかしさもあったが、やはり女子とは関われないという意識のほうが強かった。
しかし、
”困っている人を助けることができないなんて、正義の味方も落ちぶれたものだ…”
かつてアニメゆずりの正義感が強い明人は強い自己嫌悪に陥った。
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【第11話補足】
・異型フィルムカメラ:当時は『カメラ』はフィルムカメラのみを指していた。
一眼レフカメラもコンパクトカメラも両手を同じ高さでカメラを支えるが、明人が購入した『京セラSAMURAI』は上下から支えるものであった。これを筆頭に、各社それまでにない形状のカメラを発売していた。
この時期の一般家庭でのカメラの主流はコンパクトカメラで、1986年に発売されたフジフィルムのレンズ付きフィルム(当時は使い捨てカメラと呼ばれていた)『写ルンです』とその類似品もいたるところで販売されていた。
・『カメラのドイ』:明人がカメラを購入した店。長崎バスの上り線の『浜の町』バス停の目の前にあった巨大で派手なイルミネーションの看板の店舗。当時の段階でもかなり古い雑居ビルの中の1階に位置し、隣にはミスタードーナツ、2階には明人も利用していた1000円床屋があった。
・土曜日の昼:当時は土曜日も午前中の授業が毎週あった。俗に『半ドン』と呼ばれる。廃止は1992年以降。明人が大学在籍中に制度の変更があった。
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・バスの乗り換え場所:明人は高校から帰る際に目的に応じて乗り換えのバス停を変更した。
通常はほとんど歩かずに済む『本社前』(現:新地中華街)。土曜日はここで60円の紙コップのコーラを自動販売機で良く買った。
CDや本など買い物があるときは『浜の町』。
からかいがひどく人と会いたくない時は『石橋』から『グラバー園入り口』(現:松ヶ枝国際ターミナル)まで15分ほど歩いた。ただこの途中で冬場でも『午後の紅茶』がアイスで買うことができる自動販売機があり、そのためだけに通ることもあった。
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