生徒会長!

あっという間に九月も末。文化祭当日を迎えてしまった。


文化祭の準備を通じてカップルが増えるという言い伝えは誠であるらしく、いちゃつく男女が明らかに増えた。フチュは「ノンケ風情が……」と大いに不満顔だ。


さて、千歳のクラスの出し物は、メイド喫茶(男)である。


フチュはすでに学校じゅうの有名人で、彼に会うために女子が大挙した。土曜日なので校外からも多くの人が集まり、評判を聞きつけた女性たちが黄色い歓声をあげていた。


一方で、男性のお客さんは最初芳しくなかった。チラホラ現れる男子は、皆一様に怖いもの見たさで冷やかしにくる連中だった。

でもそれは、最初だけの話だ。本当に男なのか疑わしいほどのクオリティに、誰もが舌を巻き、その評判がすぐさま学校の隅々まで伝播した。


まずなんといっても、千歳の存在だ。日常生活ですら女の子と見間違えられるのだから、化粧を施してメイド服なんて着た日にゃあ、もうカンスト状態だ。本当に同性だと知った途端に安心してお触りしてくるスケベ野郎どもが後を絶たず、執事(なぜか執事に扮したキャストもいる)に次々とつまみ出されていた。


フチュもまた「フチュくんって声も割と中性的だし、かなりイケるな!」「高身長メイドさんかわええ」「俺目覚めそう」などと、男子勢からの評判を積み上げていった。


慎一郎もメイドとして活躍していた。「意外とかわいいじゃん!」と他クラスの友達に茶化されて、「だろ?」と胸を張っていた。それから彼はわざわざ千歳のところに来て「褒められたぜ!」と誇らしそうに笑った。


「慎一郎は素材がいいから」


「でもお前が一番だよ」


「そ、そうかな」


素直に照れるしかなかった。

出し物がメイド喫茶と決まってから今日までずっと憂鬱だったけど、溜まった心労が慎一郎のひと言で吹き飛んでしまった。メイド服を着られてよかったと心から思った。


ハガコーは、後夜祭はないので、文化祭が終わるとすぐに撤収作業に入り、そして仮面夫婦のようにあっさり解散となった。


千歳、フチュ、慎一郎、忍足というイツメンに加え、伊集院や生徒会三人娘、そしてオオカミさんと五十嵐までもが、固まって帰路をたどった。


メイド喫茶を大盛況に導いたことによって生じた一体感が、イベント終了後も尾を引いていた。こうして友人同士の仲は深まっていくのだろうなと、千歳は友情のロードマップを手にしたように思えて気分がよかった。


駅までの道のりで、千歳はちらちらと五十嵐の様子をうかがった。彼はオオカミさんと並んで歩き、いつもの不愛想の中に時折笑顔をのぞかせていた。五十嵐の気持ちを知る千歳としてはニヤニヤしてしまうような光景だが、自分が彼にしていることを思うと素直に笑えない。


隊列が自然と入れ替わって、千歳は慎一郎と二人並んで歩くことになった。


「ねえ、慎一郎」


「うん?」


「慎一郎は、秘密ってある?」


「どうした急に?」


「僕にはあるんだ。後ろめたい秘密が」


「それは、聞いちゃってもいいのか?」


「言えない」


「そうか。俺にもあるよ」


「後ろめたい秘密が?」


「ああ」


「言えないこと?」


「言えないから秘密なんだ」


自宅に帰ると、千歳とフチュはリビングでゲームをした。


歩が仕事から帰ってくると、三人で夕飯の支度をして食べた。


食器を洗い終わって自室に引っ込んだのを見計らったように、千歳のスマホにLINEが着信した。見ると、小御門からだった。トーク画面に、ぽつんと白い吹き出しがひとつ浮かんでいる。


そういえば、小御門とはグループLINEでのやりとりこそあるものの、こうしてサシでLINEするのは初めてだ。


メッセージには「私たちの会長が早乙女くんに話したいことがあるそうなのだけど、よければLINE交換してあげてくれない? ちなみに断ると早乙女くんのためにならないと思う」と記されている。


「なんだこれは、脅しではないか」


画面をのぞき込んでいたフチュが、おかしそうに言った。


「なんだろう、僕何かやっちゃったかな?」


小御門は生徒会だ。彼女の言う「私たちの会長」とは、つまり生徒会長だ。


「生徒会長って、どんな奴だ?」


「ほら、つい今朝、文化祭の開祭式で挨拶してたでしょ」


「あー」

フチュは何度かうなずく。

「あの糸目くんか」


三年の二木にき怜侍れいじ。見た目は爽やかな好青年なのだが、その評判はさんざんだ。とくに色恋沙汰の噂がひどい。好みの女子に次々と手を出し、二股三股は当たり前。マックスで七股までいったそうだ。


なぜこのような人物が生徒会長の座にけたのか、誰もが首をかしげる。生徒会選挙で不正が行われたとまことしやかに噂されているのも当然だと、彼をよく知らない千歳ですらうなずけた。


「糸目キャラは腹黒でやり手だが、けっきょくはやられる傾向にある。心配するな」


「なにそのアテにならないプロファイリングは……」


「まあ、生徒会長という肩書きは魅力的だ。とりあえず繋がっておけ」


「え」


「エロい意味ではないぞ」


「分かってるよ」


「いや絶対一瞬ふしだらな想像しただろ?」


「してないよ! いやしたけど、それはいつもフチュがなんでもかんでもそっち系にもっていくからだよ!」


「あー、やっぱ想像してたんだ~?」


フチュは口元を手で押さえて目を三日月にする。


「したよ!」


千歳はフチュの二の腕をどすどす殴った。フチュはニコニコと喜んで拳を受け続ける。


「それで、二木先輩と繋がれって、LINE交換しておけってことだよね? どうして?」


「生徒会長と繋がっておけば後々いろいろ有利だろ。夢も希望もないこのご時世、確実なものは権力と金と当て馬キャラのスピンオフ作品だけだ」


「生徒会に政治家みたいな権力が与えられてるっていうのはマンガの中だけだよ」


「分かっている。べつに裏金づくりをしようってわけではない。ただ、いざってときに手を差し伸べてもらえるかもしれないだろう? 仲良くしておいて損はない」


「分かったよ、とりあえず生徒会長と繋がっておくよ」


「できたら体でも繋がってほしいものだ」


千歳はフチュの二の腕を引っ叩いてから、「分かった。ID送るから、二木先輩に送ってあげて」とLINEに打ち込み、IDをコピペする。そしてこのごく短い文章を念入りに推敲する。


「にしても、お前のID、恐ろしくダサいな」

画面をのぞき込んでいたフチュが半笑いで言った。

「サオトメデラックスハイパー……」


「うるさい。ていうか人のスマホ勝手に見ないでよ」


千歳はさっとスマホを傾けて画面を隠し、最後にもう一度推敲してから送信した。


ちょうどトーク画面を開いていたことを示唆するスピードで既読がつき、間を置かずに「ありがと」と素っ気ない返信が届いた。


「なんか緊張してきた」


千歳はスマホを胸に押し当てて深呼吸した。


「とりあえずお風呂入ってくる」


「私も入る~」


最初はフチュと裸を晒し合うのは抵抗があったが、もうすっかり慣れてしまい、日常になっていた。

シャンプーをしていると、いつものように湯船の中からフチュがちょっかいをかけてきた。でもシャワーで応戦すると「悪かった!」と即座に降伏したので千歳は気分がよかった。


「なあ千歳」


体を横にして膝をかかえ、湯船にすっぽり二人で収まって温まっているとき、フチュがやおら口を開いた。


「なに?」


「私って、爆イケメンだろう?」


「そうだね」


「お前、私には興奮しないのか?」


「それがさ、自分でもびっくりするくらいしないんだよね」


「不服申し立てを発動。さらに知る権利を行使する」


「人間さ――フチュは宇宙人だけど――大切なのは中身なんだよ。フチュはそれを、身をもって教えてくれた」


「おいさすがに失礼だぞ。風呂でくらい欲情したらどうだ。浴場だけに」


「……? あ、そうだね、うん」


「一拍遅れて気づいたうえに気をつかって愛想笑いするのやめろ。さすがにずい」


風呂から出て、パジャマを着て、髪を乾かしてから自室に戻った。


スマホにLINEが着信していた。相手は二木だった。友達追加されたうえで、複数のメッセージが届いていた。ひとまず友達追加を返し、トーク画面を開いた。


「フチュも一緒に見て。こわい」


「見るなと言ったり見てと言ったり、ツンデレ受けかお前は」


四つの目が、スマホをのぞき込む。


千歳とフチュは、二木のメッセージを黙読する。


――早乙女千歳殿。突然のメッセージをどうかお許しください。私は鋼野高等学校の生徒会長を務める、三年の二木怜侍と申します。


――少々冗長なお喋りになりますが、どうか最後までお目通しいただきますようお願い申し上げます。


――本日の文化祭は誠に素晴らしいものでありました。生徒諸氏の弛まぬ努力の賜物であります。


――私は、特に、一年二組の催しに心を打たれた次第であります。そう、あなたのクラスの出し物です。メイド喫茶(男)。決して目新しいアイデアではありませんが、そのクオリティの高さは筆舌に尽くしがたいものがあり、私は女装男子というものの概念を一瞬で書き換えらえることになりました。


――メイド喫茶(男)であなたをひと目見たとき、今までの価値観がガラガラと崩れ落ちる音を、私はしかと耳にしました。生まれ変わった気分でした。これがパラダイムシフトというものかと、魂が震えました。


――なぜこんなことをいちいち話すのか、あなたはきっと疑問に思われることでしょう。しかし必要なことなのです。来たるべきファーストコンタクトに向け、あらかじめ、目を曇らせるバイアスを排除しておく必要があるのです。


――私に関する噂を、あなたも一度は耳にしたことがあるかと存じます。しかしそれらは、根も葉もない虚構なのであります。私は人々が噂するような浮気男では断じてありません。要するに、いわゆる女好きでは決してないのです。


――それを念頭に置いたうえで、私の次の言葉を受け取っていただきたいのです。


――早乙女千歳殿。私はあなたに心を奪われました。あなたと二人で、日常をより一層実りあるものにしていきたいのです。


――つきましては、休み明けの放課後、生徒会室にまで足をお運びいただけますようお願い申し上げます。


――生徒会長。三年。二木怜侍


――追記。言い忘れておりましたが、もし会いに来ていただけないようでしたら、我が生徒会が誇る情報機関「生徒会官房調査室」が総力をあげてあなたの秘密を暴き、白日の下に晒すことを約束いたします。それでは、おやすみなさい。


「一行にまとめて」


千歳は言った。


「俺と付き合ってください。断れば社会的に殺す」


フチュは答えた。


やっぱり、そういうことだよね、これ……。


「この、メッセージをいくつにも分割して送ってくる感じに、そこはかとないメンヘラ臭が漂っていていいな。千歳ガチ恋勢、そりゃあ存在するわな」


「のんきなこと言わないでよ。僕、完全にピンチじゃん」


「でもべつにお前、人様に言えない秘密なんてないだろう? そりゃあ人間誰しも秘密はあるけど、社会的に抹殺されるようなスキャンダルはそうそうないだろう」


「クラスメイトの弱みを握っていたぶって首輪つけるのは立派なスキャンダルでは?」


「それな」


「それな、じゃないよ! そんなことバラされたら一巻の終わりだよ……」


千歳の脳裏に最初に浮かんだのは、クラスメイト大勢の軽蔑のまなざしではなく、慎一郎ただ一人の失望の目だった。お前がそんなひどい奴だとは思わなかったよ、千歳。もうお前とは友達ではいられない。さようなら。


「あー!」


千歳は頭をかかえて叫んだ。


「とにかく、会いに行かなければなるまいな、二木とやらに」


「怖いよ……」


「いざとなったら私がハンドパワーでどうにかしてやるから、そう気負うな」


言われて、千歳はにわかに安堵した。そうだ、僕にはフチュという味方(一応味方だろう)がいる。


ふっと、視界の端でスマホが点灯するのを捉えた。千歳は手をのばして取ってチェックした。二木から新たなメッセージが届いていた。


――追記。あなたの保護者であるフチュ・ウジン氏の同行は認めません。おやすみなさい。


「終わった」


千歳は床に手をついて項垂れた。


「先手を打たれたな」


フチュは別段困った様子も見せず欠伸をした。完全に他人事だ。


「とりあえず合気道の基礎を学んでおけ。いざというとき、最後に頼れるのは己の拳だけだ。私の全てをお前に授ける。さあさっそく稽古だ!」


フチュは一人でアチョーアチョーとやり始めた。


合気道ってそんなんだったっけ?

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