第2話 有頂天

「あの……」


 八雲は緊張した面持ちでとある人物に声を掛ける。その視線の先にいるのは、茶髪のチャラいクラスメイトくんだ。


 先日、八雲は彼に連絡先を聞かれたがスマホを家に忘れてきてしまい、連絡先を交換することは出来なかった。友達が欲しいと常々思っていたこともあり、そのことで随分と落ち込んでいた八雲。

 しかし今日は違う。

 八雲のその手には、自分のスマホが握られているからだ。


(前に話していた件なんですが…、いや用件ははっきりさせていた方がいいんじゃ……。なら連絡先交換しませんか?とか。いやいや、それはあまりにも直接的なんじゃないかしら。特定個人と交換したいんじゃないんだからもっとこう……)


「神嵜さん?」


(前、誘ってくれたクラスのグループの連絡先のことなんですけど、今からでも入れますか?…とか)


「あ、あの……?」


(――うん、いいかも。よし、これでいこう)


 考えている間もなお、八雲は目の前の少年から目を離さない。しかしその瞳は彼を捉えておらず、己の思考に耽って何も見えていない。もちろん、彼がこちらを覗いて声を掛けていることにも気付かない。


 少年は困ったように腕を挙げ、ひらりと動かした。


「大丈夫……?」

「ぅえ?」


 八雲は目をぱりくりさせる。さすがに気が付いたようだ。


「!?」


 八雲はビクリと肩を跳ねさせた。

 手を振った本人は、驚かしてしまったことに対してだろうか。ごめんなさい、と言うようにとても申し訳なさそうだ。


「いや…、さっき僕のこと呼んでるみたいだったから、どうかしたのかと思って」

「ぁ」


 八雲は頭が真っ白になった。先程の驚きと共に、話そうとしていた言葉もさっぱりと。そしてこの状況になった理由すらもわからなくなってしまった。


「ぁ……ぇっと…、………」

「あ、あれ。もしかして――」


 ここで少年の視線は八雲の手元へと向いた。その手はスマホを握り締め、震える程に強く結ばれている。


 スマホ――それから連想されることと言えば、やはり先日の出来事で。


「もしかして、連絡先……?」


(――れんらく、さき…?)


 八雲はなかなかピンと来なかった。問われた事どころか、その言葉の意味でさえも。


(れ、れんらくさき? れんらくさきって何だっけ)


 頭の中は大混乱だ。それが余計に八雲を焦らせる。


(れんらくさき……連絡先? 電話とかメールの? ……なんで連絡先?)


 そこで八雲は手に持っていたスマホが視界に入り、目を向けた。

 そして思い出す。


(スマホ………、―――っ!!)


「そ、そう! 昨日はスマホ忘れちゃってたから…」


 そうだ、自分はクラスのグループに入りたかったのだと、そう八雲はやっと思い出した。


※※※

(そう、そうよ!私はクラスのグループの連絡先が欲しくて話し掛けたんだった! どうかこのままこの人と連絡先を交換してクラスのグループに入れてもらってあわよくばクラスの誰かと軽く話せるくらいの関係を作れたら大満足。友達なんて高望みはしないからせめて誰かと会話を紡げたら。そして現実でも話し掛けられたなら尚良し。だけど誰かに話し掛ける勇気なんて持ち合わせていない意気地無しの私から話し掛けるなんて無理難題は現実に起こせるとは到底思えないから受け身にしかなれないなんて


 ※※※このセリフは読まなくていいです※※※


情けない。いやそこは頑張れよって感じだけど。無理なものは無理。今回が特別なだけ。私は知ってるの。この機会を逃したらまた去年みたいになる。私だけが知らない世界を皆が知り語っているときのあの孤独感。私だけ違う世界に取り残されているかのようなあの寂しさ。だから私は自分からはいけないからこそせめて話し掛けられても普通に応えられるようにならないと去年みたいにもう話し掛けられなくなるかもしれない。いや別に避けられてたとかじゃないし。崇められてただけだし。いやそれもどうなの)

※※※


「あ、じゃあQRコード見せてくれる? 僕が読み取るね」

「あっ、はい。わかりました」


 八雲は思考の海から抜け出しスマホを操作する。電源を入れ、アプリを開き、後はQRコードを映すだけの簡単な操作だ。

 しかし八雲の手はそこで動きを止めた。


(ヤバイ……)


「どうかした?」


(……ちょ、ちょっと待って??)


 少年は不思議そうにこちらを覗いてくる。

 八雲は冷や汗が止まらない。


(――QRコードの出し方がわからない!!)


 何故確認しなかったのかと、八雲は過去の自分を恨んだ。

 八雲は連絡先を交換することしか頭に入っておらず、その方法なんぞ全くもって考えていなかった。思いもよらぬ痛恨のミス。八雲は頭を抱えた。


(このバカ…っ! なんでそんなことも調べてないのよ!)


 八雲が自責の念に駆られるなか、一人の人物によって救いの手が向けられた。


「あっ、もしかしてQRコードの出し方わかんない?」


 声の主は目の前の茶髪くんだった。何か納得したようにこちらを見ている。何故そんな目を…?? しかしこれは好都合。

 空気の読める少年に、八雲は羨望の眼差しを向ける。


「ごめんなさい、実は恥ずかしいことにそうなの……私にやり方を教えてくれないかしら?」


 ここは素直に教えを乞うべきだ。変に意地を張っていては、最悪連絡先を交換出来ないかもしれない。八雲はそう感じ頼み込んだ。


「それくらい、いくらでも。まず右上の――」


 少年は柔らかく微笑み、八雲のスマホを覗き込みながら教えてくれる。


(近……こんなに他人と近づいたのっていつ以来?)


 八雲は少年を見つめたまま、昔のことを思い出そうと考え始めた。


(保育園に通っていたときに、同じクラスの子と手を繋いでいた記憶はあるけど、こんな頭がぶつかりそうな距離ではなかった気がする)


 ならばやはりこんなに近いのは初めてかもしれないと八雲が思っていたとき、すぐ隣から声を掛けられた。


「えっと…、神嵜さん? どうかした? もしかして僕の顔に何かついてる?」

「え? あっ、ごめんなさい。違うの」


 気にしないで、と八雲は彼を見つめていたことを誤魔化しながらスマホの画面へ視線を戻す。それに続いて隣の彼も、それならいいやとスマホの画面へ視線を戻した。


「はい。これで大丈夫だと思うよ」

「! ありがとうございます」


 気がつけば操作は既に終わっていて、画面にはQRコードが映っていた。

 操作方法はわからないままだが、そんなものは後で検索すれば問題ない。


「それじゃあ、読み取るね」


 八雲はスマホを水平にするように彼へ向けてやる。そしてそこに彼もスマホを翳した。


「うん、出来た! スタンプ送るから、追加してほしい」

「わかりました」


 ポコンという音と一緒にスタンプが送られてきた。アヒルみたいなオバケ?が腕を振っている。ジト目の真っ黒な瞳が印象的だ。


(何というか……独特?)


 そんなことを思いながらも、送られてきたスタンプの主を"追加"する。


「たぶん、出来ました」

「ほんと? よかった。 じゃあクラスの方にも招待するね」


 八雲はアプリの友だちの欄を見る。


「 "sakura.K" ……」

「? ああ、僕の名前が佐倉さくらかおるだから、名字と名前の頭文字を取ったんだ」


 なるほど。と八雲は一つ頷いた。ちなみに八雲のユーザー名は "八雲" である。なんの捻りもない。


「グループに招待したよ。出来てるかな?」


 八雲は画面を切り替えてグループの欄を開く。そこには "神嵜家" の他に "2-2"の文字。


「えっと、このグループで合ってますか?」


 スマホにグループのプロフィール画面を映して彼――佐倉くんに確認する。

 グループ名は "2-2" で、アイコンは教室の入り口に掲げられた教室プレートのようだ。


「そう、それ! よかった。ちゃんと出来てるね」

「ありがとうございます。えっと――佐倉、くん…」


 八雲は緊張しつつも名前を呼んだ。

 彼から返事はない。そもそも返事をする程のことを言った訳でもないかもしれないが。


(も、もしかして名前を呼ばれたくなかった……!?)


 名前なんて呼ばない方がよかったかと後悔の念が押し寄せ始めた頃、目の前の彼は止まった時間が動き出すように微笑みを浮かべた。


「こちらこそありがとう、神嵜さん。これからよろしくね」


(………、よかった。怒っていないみたい)


 八雲はホッと息を吐いて笑みを浮かべた。


「――はい。よろしくお願いします」




◇◇◇




 その日、八雲はご機嫌な様子で帰り道を歩いていた。人にぶつかっても、水溜まりに突っ込んでもそれは崩れない。


「コノハ聞いて聞いて! 私ついにクラスグループに入れたのよ!」


 今にも踊り出してしまいそう!と八雲はくるくると回りながらコノハのもとへやってきた。そして木の根に足を引っ掛け盛大に転ぶ。


『だ、大丈夫か……!?』

「えへへ…」


 八雲はコノハに手を差し伸べられ、むくりと起き上がる。


「そんなことより一大ニュースよ!」


 八雲は土の付いた顔を明るくして話し掛ける。


『は? …ああ、さっき話してたやつか? クラスグループに入れたとか』

「そうなの! 私頑張ったわ!」


 コノハは八雲についた土を払いながら答える。

 まあ…私は始めに話し掛けたくらいでほぼ向こうのおかげなんだけど…と八雲はモジモジし始めた。

 コノハはそんな彼女の頭に触れ、話し掛けたなんて凄いじゃないか、と褒める。それに八雲はふにゃりと気の緩んだ笑顔を浮かべた。


「これで夢に一歩近づけたわ…! 明日には友達も出来るかも…。目指せ、友達100人!!」


 八雲は目を輝かせながらそう言い、木霊たちのもとへと近寄っていった。今日の出来事を話しにいくのだろう。

 それを優しく見つめながら、コノハは独り呟いた。


『友達など100人とは言わずに、特別仲の良い一人でもいれば十分だろうに。だがまあ…、あの子がそれを目指すならば応援するだけか』


 コノハは友達は広く浅くよりも狭く深くが良いと思っている。しかし八雲はきっと誰かを疎かにするような人物ではないだろうし、そもそも相手がいないのだから、と少し失礼なことを考えながらもコノハは八雲を応援する。

 八雲には友達を作る意欲はあるのだから、一人くらい気の合う友達が出来るだろう。そしてその相手が善い人ならば文句はない。


 コノハは嬉しそうな表情で木霊たちに話し掛ける八雲を見守りながら、風に葉を揺らす木へ身を預けた。

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