Ⅰ 朝陽

6月1日 (告知)




 ああ、生きるのは本当にめんどくさい。


「お前、将来のことちゃんと考えてるのか?」


 放課後、逃げるように教室を出ようとしたら

担任に呼び止められた。


 考えてるわけがない。


 明日なんて来るかどうかもわからない。


 それに、来ても来なくてもどっちでもいい。


 来たら来たで、明日また考える。


 ようやく担任の小言から解放された矢先、スマホが震えた。


 "学校が終わったら話があるから"


 母からのメッセージだ。


 "わかった"


 少し迷ったけれど、返信を打つ。



 家に帰ってから話せばいいものを、わざわざメッセージまで寄越すなんて余程のことだろう。


 度重なる欠席のことで、学校から母にも何か連絡があったんだろうか。


 帰ったら、さっさと寝る支度をして、ゲームがしたかったのに。


 そんなことをぼんやり考えていると、空気の匂いが変わった。


 気づけば、外では雨が降り出していた。

 降り始めた雨の匂いに背を押されるように、足早に帰路を辿った。





 ▽▽




 自宅の庭に着いたところで、いつもとはまるで違う雰囲気を察した。


 そして、玄関を開けた瞬間、さらに強い違和感を憶えた。


 まず、靴がきちんと揃えられすぎている。


 キッチンからは、いつもの夕飯の匂いがしない。

 テレビの音もない。時計の針の音がやけに響いていた。


「……ただいま」


 声に出した瞬間、自分の声が異様に大きく感じられて、思わず黙り込む。


 リビングには母がひとり、ソファに座っていた。


 いつもなら手を動かしているか、何かしら口を動かしている母が、じっと窓の外を見つめたまま、動く様子も見受けられない。


 光の落ちた室内で、母の影はやけに薄く見えた。


 テーブルの上には、いつも置かれているはずのティーポットはなく、飲みかけの紅茶が冷めきっているのが分かる。


 声をかけるべきか迷っていると、母がようやくこちらを振り返った。


 表情が、どこか張りついているように見えた。


 不自然な笑みの奥に、なんとも言えぬ不気味さを感じて、逃げ出したい衝動に駆られた。


 その目の奥にだけ、隠しきれない“何か”が宿っていた。


 押し殺されたものが、音もなくこちらに向かってくるのを感じる。








「……今日、病院の先生に言われちゃった。葵……余命一年、だって」



 虚な目で、吐き捨てるようにも聞こえる言葉で、母さんは言った。




 え……?


 今なんて……?


 頭が真っ白になるというのは、こういうことか。


 何も言葉が出なかった。

 声も、涙も、何も出なかった。


 妹の葵は、出生時の事故で、身体が弱く病気がちだった。


 最近は入院中で、体調が良くないことも知っていたが、まさか命に関わるものだなんて知らなかった。


 そうか、葵も死ぬのか。

 家族をまた一人失うことが決まった。

 よりによって、葵が。


 目の前が真っ黒な闇に覆われる。


 生きることに一生懸命な妹は、毎朝、東の空にのぼる朝陽を喜び、まだ見ぬ未来への希望に満ち溢れているような、明るい子だった。


 気づけば、家を飛び出していた。







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