ボッチの魔王と麗しくないサブリナ
前書き
完璧な合理性と秩序を重んじる茅野舞桜。そして、常識を軽々と飛び越える「人と違う景色」を見る黒木万桜。
2人の「マオ」は、互いの「哲学」と「思考回路」の違いに戸惑いながらも、その独創性に惹かれ、知的な交わりを深めていく。彼らが共有する講義の時間は、互いの知性を刺激し、予想もしない化学反応を生み出す「学びの場」となった。
しかし、そんな二人の間に、予測不能な「特異点」が、また一つ現れる。それが、万桜の幼馴染である福元莉那だ。彼女の奔放で無邪気な「客寄せ」は、舞桜の合理性を揺さぶり、万桜の「鋼鉄の好天思考」を軽々と打ち砕く。
これは、天才たちの予測不能な日常と、その裏に隠された、それぞれの「哲学」が交錯する物語である。一見、恋人同士の他愛ない会話に見えて、その実、彼らの交流は、常に知的な探求へと繋がり、やがて来るべき未来を切り開く、強固な「相棒」関係へと進化していく。
★★★★★★
2025年初夏。
黒木
その縁側に、特定の人気アニメ主人公のような爽やかな黒髪を完璧にセットし、白の上質Tシャツにライトベージュのチノパン、白いブランドスニーカーという、完璧に計算された「嫁探し」の勝負服に身を包んだ黒木
やがて、その視線の先に、オフホワイトのワンピースにパナマハットを被り、涼やかに佇む
「悪いなボッチ。つか、おまえ、なんかキラキラしてない? や、やだ眩しい」
黒木
「なに言ってんのよ…ハイ、これおじいさまにお供えして…あ、お線香上げてかまわない?」
そう言って
線香をあげ終えた
「おっ、さすがボッチ。礼儀正しいじゃん。そんじゃ、さっそくだけど、蕎麦食うか? ちょうど取り立ての野菜もあるしよ」
「ええ、いただくわ」
二人はテーブルに着き、涼やかな蕎麦を箸で持ち上げた。彼らは勢いよく音を立てて啜るようなことはしない。静かに、しかし丁寧に、蕎麦を口へと運んだ。
蕎麦の風味は、清らかな水と、その土地の土が育んだ穀物の香りをそのままに伝える。
蕎麦を一口食べた
「ん~~~!」
「ん~ってやるヤツ初めて見た」
その様子を目の前で見ていた
「だって、美味しいんだもん…」
――蕎麦を勢いよく啜るのが「粋」だなんて、そんなのは幻想だと、
その時の
「ああ、地方から江戸にきた侍は方言が酷かったはずだし、言葉が伝わらないこともあったでしょうね? でも、ジェスチャーで伝えようとする町人たちにホッコリしてたかも?」
これに
「コミュニケーションを円滑にするための話芸か…いいね、面白い考察だ…」
こう答える。
些細な雑談が、二人にとっては常に考察へと変わり、深く掘り下げられていく。そんな過去の、知的な邂逅が、今の
ふと、過去の記憶から、現代の縁側へと意識が戻る。黒木
「これの制御を人工知能に?」
隣でその様子を見ていた
「ああ、出来ると思うよ…いまは滞空させるだけだが、推進させる
その途方もない発想の速さに、
「ボッチ、おまえ、なんか無理だとか思ってねーか?」
「ええ、少し。その発想は素晴らしいけれど、現状の技術でそれを全て実現するには、膨大な時間とコスト、そして何よりも倫理的な問題が山積しているわ。特に、生態系への影響や、住民への説明責任は、無視できない。不可能とは言わないけれど、極めて困難な道のりだと判断するわ」
「あー、やっぱりそう来るか、ボッチは」
「俺は、可能性の先に『無理』はないと思ってる。それに、倫理とか規制とか、そういうもんは、どうせ後からついてくるもんだろ? まずは、出来るかどうかの問題だ。出来るか、出来ないか。おまえの言う『極めて困難』ってのは、『出来ない』じゃねーんだよ」
彼の言葉は、常に前向きで、現状の制約に囚われない。それが彼の「鋼鉄の好天思考」の根幹であり、彼の「人と違う景色が見える」所以だった。彼は、
「……あなたのその思考回路は、理解に苦しむわね」
「でも、あなたのアイデアは、常に常識の向こうから生まれてくる。そして、それが時に、現状を打破する『きっかけ』となることも、否定できない事実だわ。だから、私はあなたのその『無理』を、『不可能』とは断じない。しかし、無謀な計画に合理性を見出すことは、私の哲学に反するわ」
彼女の言葉は、まるで
「ボッチは素直じゃねぇな。でもよ、俺は知ってるぜ? おまえが『極めて困難』って言う時、本当は『面白い』って思ってるんだろ」
「それに、俺は、別に突拍子もないこと言ってんじゃねーんだ。みんなが『無理だ』って諦める前に、別の視点から見たら、意外と簡単な道が見えたりするもんだ。ま、そういうもんだろ?」
彼の言葉は、自らの天才性をひけらかすものではなく、むしろ自然体だ。まるで、「当たり前のこと」を語るかのように、その「人と違う景色」について説明する。それは、彼の「鋼鉄の好天思考」が、ただの楽観主義ではなく、確固たる信念と洞察に基づいていることを示していた。
(やべ、コイツ、致命的なことに気づいてない)
冷や汗が、背筋をヒンヤリ撫で付ける。獣を無効化出来ると言うことは、人間も無効化出来ると言うことだ。霧のドームで包む。それが可能になれば、都市があっさり死滅する。
縁側の向こうに広がる夏の庭園は、相変わらずの静けさに包まれている。しかし、
「いいか、ボッチ。人工濃霧通信端末は、空に特定のエリアでスチームミストを包むようなもんだ。最初は手探りかもしれねぇが、一度コツを掴めば、そのミストは狙った場所に、狙った濃さで、確実に展開できるようになる。データは、そのミストを最適化するための燃料だ。おまえの言う『極めて困難』ってのは、まさにその『燃料』が足りねぇって話だろ? だがな、俺は知ってる。データは、そこら中に転がってるんだよ。百万台の玩具の車を人工知能に運転させてビッグデータを収集し、整合性を詰める。それが俺のやり方だ」
「……あなたの比喩は、相変わらず独特ね、黒木
「特定のエリアでスチームミストを包む制御は、単に『燃料』の問題ではないわ。ミストの粒子一つ一つの動き、風の流れ、気温、湿度、周囲の地形…あらゆる要因が複雑に絡み合い、刻一刻と変化する環境下で、狙った濃さ、狙った場所に維持し続けることの難しさを、あなたは理解しているのかしら? それは、人工知能制御の難しさと同義よ。一つのパラメータが狂えば、ミストはたちまち拡散し、意図しない場所へと流れてしまう。それが現実世界での通信インフラであれば、甚大な被害を招く可能性があるわ」
彼女は、腕を組み、冷徹な目で
「ほう? 被害か。被害が出るような設計にはしねぇよ、当たり前だろ? つか、ボッチ、おまえはさ、ミストを『制御し続ける』って発想に囚われてるだけなんじゃねぇの? 俺が言ってるのは、もっと根本的なことだ。特定のエリアでスチームミストを包むのは、発生させたらそれで終わりじゃねぇ。常に形を変え、必要に応じて『再生成』されるべきなんだよ。そして、その『再生成』のサイクルを人工知能に学習させれば、環境の変化に対応できる。何もかもを完璧に『制御』する必要はねぇんだ。大雑把に、でも確実に、目的を達成する。それが俺のやり方だ」
「大雑把? それが、通信インフラにおいて許されるとでも? 例えば、特定のエリアで通信が途絶した場合、それは単なる『大雑把』では済まされないわ。人命に関わる可能性すらある。それに、その『再生成』のサイクルとやらも、結局は人工知能の処理能力とデータの質に依存する。百万台の玩具の車を人工知能に運転させてビッグデータを収集し、整合性を詰める、とあなたは言うけれど、それを『通信端末』として活用できる形に『解析』し、『意味のある情報』として『学習』させるには、膨大な演算リソースと高度なアルゴリズムが必要となるわ。まるで、無限の砂漠の中から、特定の砂粒を見つけ出すようなものよ。それが『極めて困難』である所以なの」
「だからこそ、人工知能なんだろ? ボッチ、おまえは、人工知能の可能性を舐めすぎだ。百万台の玩具の車を運転させてビッグデータを収集し、整合性を詰めるのは、人間には無理でも、人工知能には可能だ。それも、俺らが思っている以上に、早く、正確に、効率的にな。それに、初期のシステムは、何も完璧である必要はねぇんだ。まずは、『特定のエリアで特定のデータ』をやり取りすることから始める。例えば、夏場のショッピングモールでミストを散布するとか、それらを広範囲で行いデータを収集すればいい。その『限定された範囲』ならリスクはねえ。それで得られたデータで、人工知能を鍛え、徐々に範囲を広げていけばいいんだ。小さい成功を積み重ねて、大きな成功につなげる」
「……ッ!」
そのビジョンは、彼女の合理性を激しく揺さぶった。
しかし、彼女の知性は、それが「確かに出来る」と告げていた。そして、「見たい」。
冷徹な理性と、未来への狂おしいほどの渇望。二つの感情が、
(サブリナぁ~、助けて…)
庭に蝉の声が響き渡る中、二人の論戦は、新たなステージへと突入していくのだった。
「うちのオーナー泣かすなよ!」
その声は、庭の静寂を切り裂くように響き渡った。振り向くと、そこに立っていたのは、いつの間にか現れた福元莉那だった。彼女の顔には、普段の快活な笑顔ではなく、どこか本気の怒りが浮かんでいた。そして、彼女は迷うことなく、右腕を大きく振りかぶる。
――どんッ!
乾いた、しかし重い打撃音が、縁側に響き渡る。
「サブリナぁ~!」
普段のクールな表情はどこへやら、彼女は幼子のように莉那の腕にすがりつき、顔を埋めて震えた。万桜の強烈なビジョンと、兵器転用の可能性という重圧に晒され、理性だけでは抑えきれない感情が溢れ出たのだ。
「よしよし。ごめんね、オーナー。あたしが遅かった」
福元莉那は、舞桜の背を優しく撫で、小さな頭を抱きしめた。その目は、温かく、そして慈しみに満ちていた。しかし、その視線が、地面に伏せる
「魔王、おまえ、ビアンカとフローラどっち選んだ?」
その声には、怒りとは異なる、しかし確実に彼を追い詰めるような、独特の圧があった。某国民的RPGの、あまりにも有名で、そして多くのプレイヤーを悩ませた究極の選択。莉那は、万桜の人間性を試すかのように、その問いを投げかけた。デボラはネタ枠らしい。
地面に倒れたままの
「え、ビアンカだけど?」
その言葉を聞いた途端、福元莉那の眉根が不服げに寄せられた。彼女の顔に、明確な不満の色が浮かび上がる。そして、彼女は再び、容赦なく右足を振り上げた。
「オラァッ!」
甲高い気合の声と共に、万桜の腹部に、福元莉那の回し蹴りが炸裂した。グッ、と万桜の体がくの字に折れ曲がり、庭の土埃が再び舞い上がった。うん。理不尽。それ以外は言葉が見つからねえ。
★ ◇ ★ ◇ ★ ◇ ★
時は遡り、2018年初夏。
甲斐の国大学のキャンパス内にあるカフェテリアは、昼時を過ぎても学生たちの活気に満ちていた。窓から差し込む午後の光が、談笑する学生たちの顔を照らす。その一角で、
黒木
「…以上が、『人工知能倫理における公平性と透明性の確保』の講義概要よ。データのバイアスが人工知能の判断に与える影響と、それをいかに最小限に抑えるかについて深く掘り下げられていたわ」
彼女の言葉は淀みなく、その表情は常に冷静だ。しかし、時折、彼女の目が隣に座る
(あらやだ。この
視界に入った彼女の姿に、
その清潔感のある肌には、控えめなベージュのアイシャドウと、薄く引かれたアイラインが引かれている。口元には僅かに血色を添える程度のリップが塗られており、彼女自身の合理性をそのまま具現化したかのような、品格を保ったメイクだった。
このふた月、彼が講義で得た知識、特に経済学や産業論で語られるデータは、日本の未来に暗い影を落としているように感じられた。緩やかに、しかし確実に訪れるであろう経済の停滞、国際競争力の低下。古い産業構造にしがみつく日本社会の姿が、彼の脳裏をよぎる。
「なるほどねぇ。やっぱ、ボッチのノートはまとまってて助かるわ。俺の方の『認知科学と人間の行動』の講義は、人間の意思決定のプロセスで、いかに無意識が影響するか、って話だったんだよな。特に、脳の認知負荷を減らすためのショートカット、いわゆるヒューリスティックの話が面白かったぜ」
彼はそう言って、自分のノートを
「ヒューリスティック…認知バイアスとの関連ね。確かに、人工知能倫理のバイアス問題と繋がるわね」
二人の会話は、常に知的な探求へと繋がっていく。それは、周囲の学生から見れば、まるで恋人同士の他愛ない会話のようにも見えるが、その実、互いの知性を刺激し合う、彼らなりの「学びの場」だった。
また、彼女の横顔が視界に入る。よく見れば、耳元にはごく小ぶりなパールのピアスが揺れ、首筋には細いプラチナのチェーンが光る。それらは、彼女の持つ完璧な合理性の中に、ごくわずかに「女性らしさ」という彩りを添えているかのようだった。それは、まだ舞桜自身も気づかない、万桜という「特異点」の存在が、無意識に彼女の琴線に触れ始めた、ごく微かな兆候なのかもしれない。
やがて、講義内容の共有を終え、
その背後から、不意に声が飛んできた。
「
講義の共有を後ろの席で聴いていた
彼女は、頭に
「サブリナ? てか、ビアンカ一筋だよ俺は?」
その時、アイスティーのトレーを手に、
席に着こうとした瞬間、彼女の視線は、
(……随分と、主張の強い服装ね。しかも、この場にはあまりにも不適切。カフェテリアという公共の場での服装としては、TPOを完全に逸脱しているわ。周囲の男子学生の視線が集まっているのも当然ね。その視線の種類も、知的興味というよりは、むしろ……。くっ、動揺するな、
農作業を終えたという彼女の肌は、土の汚れなどまるで無縁であるかのように滑らかで、むしろその軽快な装いは、計算し尽くされたファッション性すら感じさせた。しかし、この大学のカフェテリアという場において、その姿はあまりにも異質であり、
彼女の脳内では、「この服装がこの場に与える影響」「周囲の反応の予測」「個性の主張と常識の乖離」といった項目が高速で処理されていく。結論は一つ。「不適切」。
そんな
「初めまして
確かに、露出の多い
「ボッチ、
「あたしは
(なぜ、私はこの「
「失礼。私は
「講義の共有――いいなぁ、いいなぁ、あたしも聴きたいなぁ?」
「講義の共有――いいなぁ、いいなぁ、あたしも聴きたいなぁ?」
その声は、甘やかに、そしてどこか小悪魔的に響き、続けて紡がれる「いいなぁ、いいなぁ、いいなぁ」という繰り返しの言葉は、まるで蠱惑的な呪文のようだった。そのおねだりの標的は、いつの間にか、カフェの店長に向けられていた。
「ねえ、ここのランチ持つからさ、あたしにも聴かせてよ? 魔王、いいよな?」
そんな
「
箱の中には、上品に輝く、サテンとパールの虫除けチョーカーが収まっていた。しっとりとした光沢を放つサテンをベースに、一粒のパールが控えめに輝く、エレガントなデザインだ。虫除けの
「…虫除け、ですって?」
(この
「あぁ、実質タダみてーな
(虫除け? まさか、男除け? つまり、私を他の男から遠ざけ『おまえは俺のものだ』ってこと? そのために、これほどまでに洗練されたデザインを選んだと? 私の知性を試しているのか、それともこれは……
彼女の脳内では、
「おい、これゼッテー勘違いしてんぜ?」
「なんだとう? ちゃんとに
「ちっげえよバカ魔王!」
「おまえの分は作ってやんねぇッ!」
「要るかサイコパス! でも作り方は教えてください。お願いします」
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