女装から始まった、ウソつきだらけの青春群像《パラレイド》

大幻想❺

1章 アイドルバレ編

Masquerade

1話 回口ロロの脱げない仮面



 ボクは、仮面を被ったまま生きている。


 演劇の小道具みたいな話じゃない。

 誰の前でも“笑顔の女の子”でいるって、そういう意味。


 舞台の上ではギャルっぽくて、明るくて、人懐っこくて、でも誰にでも優しい“ロロちゃん”がいる。

 ファンに好きって言われれば「ありがとー♡」って返すし、ライブでは誰より元気いっぱいに手を振る。


 でもそれは、ボクの“素顔”じゃない。


 心理学で、人が社会で演じる“顔”のことを「ペルソナ」という。語源はラテン語で「仮面」──演劇で役を演じるときに被る、あれだ。


 つまり、誰かに見せる“自分”は、ほんとうの自分じゃない。みんな、みんなそうなんだ。そう考えれば、ちょっとは気が楽になる。


 ──けど。


 ボクは普通の人とはその度合いが違う。


 その仮面が、いつか剥がれてしまうとしたら。

 そのとき、笑っていられるのか、ボクには自信がない。


 だからこそ、もう一つの仮面をしっかり被って教室の扉を開ける。新学期、新しい授業。今日からは“アイドルの仮面”に加えて“目立たない女子大生の仮面”を被るだけ。


 ……だった、はずなのに。


「──はーい、それじゃあ席についてください。今日からよろしくお願いしますね」


 その声が耳に届いた瞬間、ボクの心臓が──一拍、強く跳ねた。


 ……まさか、って思った。


 でも鼓膜も、心臓も、背中をつたう汗も、全部が一斉に答えてた。


 ──あの人の声だって。


 動揺をごまかすように、ボクはカバンのファスナーをいじりながら、こっそり前を見る。


 講義台のところに立っていたのは、間違いなく、あの人だった。入学式の時には見かけなかったけど、それは非常勤講師だったからで。まさか、この大学にいたなんて。


「この授業を担当します、生半果乃子なまなかかのこです。ちょっと変わってるけど“なまなか”って読みます。“はんなま先生”と呼んでもらっても大丈夫です」


 軽やかに笑って自己紹介をするその姿が、ボクの中に波紋を広げた。


(……なまなか、かのこ……)


 口の中で、そっと反芻する。


 知らなかった名前。けれど、やっと手に入った名前。

 ボクが変わってまで追いかけてきた、あの人の、本当の名前。


 胸が詰まりそうになるのをごまかすように、うつむいてペンを握った。


 ──生半先生。


 黒髪はなめらかにまとめられ、うなじにかかるようにゆるく束ねられている。透けるような白い肌。つり目がちな切れ長の瞳は涼しげで、まっすぐ見つめられるだけで心臓が止まりそうになる。

 どこか近寄りがたい気高さを感じさせるのに、声や所作には不思議と柔らかさが滲んでいた。


 白いブラウスに、ベージュのロングスカート。服装は控えめなのに、ただそこに立っているだけで視線を引く──そんな存在感。


 この人だけは、他の大人とは違う。


 目が合った気がして、思わず胸がぎゅっと縮こまった。

 心臓が、苦しいくらい鳴ってる。


「この科目は、言葉の意味とその受け取り方を扱います。コミュニケーション、メディア、表現……いろんな角度から“伝える”を考えていきます」


 その声は、変わらず穏やかだった。


 でもボクには、ひとことひとことが刃物みたいに突き刺さってくる。

 だって今のボクには、“伝えたいこと”なんて……仮面の下の本音なんて、言えるわけがない。


(……夢みたい)


 思わず、唇を噛んだ。


 いや、これは夢じゃない。


 ──あのとき。


 二年ほど前の高校時代、偶然通りかかった商店街の裏通りで、ボクは生半先生を見かけた。


 チャラそうな人にナンパされていた彼女は、すました顔で言い返していた。


「私、女の子の方が好きなんで」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に焼けつくような衝撃が走った。

 まぶしかった。信じられないほど、まぶしかった。


(じゃあ、女の子になればいいんだ)


 その発想は今思えば突飛で、でもあのときは真剣だった。


 ボクは鏡の前で何度も練習して、メイクの手順を覚えて、服もいろいろ試して……少しずつ、“それっぽく”見える自分を作り上げていった。


 髪を伸ばし、声を柔らかくし、動きにも気を配って──

 そうして数ヶ月かけて作り上げた“女の子としてのボク”が、高校二年の冬、“ロロちゃん”として動き出した。


 そうしたら──


「アナタ、アイドルとか興味ない?」


 偶然のスカウトだった。冗談のつもりで聞いていたはずが、話はとんとん拍子に進んで、気づけば地下アイドルとしてライブのステージに立っていた。


 “ロロちゃん”は、予想以上に受け入れられた。


 フォロワーは増え、ライブは満員。

 配信には何千ものコメントが並ぶ。


 ──誰も、ボクの正体には気づいていない。


 いや、気づかせないように、ボクが作り込んできたんだ。


 この嘘まみれの生活のすべてが、今ここに繋げてくれた。そう、信じてみたくなった。


(……再会できたんだ。ちゃんと、女の子として……!)


 身体の奥から痺れるような歓喜が湧いてくる。

 でも同時に、冷たい棘が喉元に引っかかっていた。


 この人に、見抜かれるわけにはいかない。

 でも、この人にだけは──見てほしいと思ってしまう。


「それじゃあ、ペアワークしてみましょうか。前後の人と、自己紹介から」


 ボクは一気に現実に引き戻された。


 うわ、やばい。全然、集中してなかった……ていうか、隣も前も知らない子だ。


 とっさに視線をあちこちに巡らせていたら──前の席の子が、くるっとこっちを振り返った。


「よろしく……えっと、ロロちゃん?」


「あ、は、はいっ! よ、よろしくお願いしまっす……!」


 変な声が出た。顔が引きつる。


 前に座っていた子は、目立つピンクのカーディガンに、毛先を派手に巻いたツインテール。

 少し派手な見た目だな……くらいの印象しかなかった。けれどこのときのボクは、生半先生との再会ショックで、それ以上の印象を残す余裕がなかった。


 その直後、目を逸らした先に、生半先生の姿が見えた。


(……落ち着け。ライブでは何百人も前にしてパフォーマンスしてるでしょ……!)


 でも、“観客に見られる”のと、“あの人に見られる”のは、まるで違う。 


 ペアワークの内容なんて、ほとんど頭に入らなかった。

 ただ──そのとき。


 生半先生が、席の間を歩きながら、ボクのすぐ近くでふと立ち止まって言った。


「“名前”って、不思議ですよね。何を言うかより、誰が言うか。“誰として言うか”って、とっても大事なんです」


 その言葉に、ボクの心臓が一瞬、止まりかけた。


(ボクが、ボクとして喋ることって……あるのかな。もうずっと、“ロロちゃん”としてしか喋れていないのに)


 その差を埋める日は──いつか、来るんだろうか。


 それとも。


 このまま、仮面のまま……笑い続けるのだろうか。






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