第3話 予期せぬ試練と、スキルの進化

リリアとの出会いから数週間が過ぎた。

カイトは相変わらず城の雑用をこなしながら、空いた時間を見つけては【付着】スキルの訓練に明け暮れていた。リリアは宣言通り、時折カイトの訓練場に顔を出し、ぶっきらぼうな言葉をかけながらも、彼の奇妙な練習を黙って見守っていた。


「おい、カイト。そんな小石ばかりくっつけていても、実践では役に立たんぞ。もっと『動き』のあるものに対しても試してみたらどうだ?」

ある日、リリアが投げかけた言葉は、カイトにとって新たな課題となった。

これまでカイトは、静止した的や、ゆっくり動くものにしかスキルを試していなかった。高速で動く対象に、正確に【付着】させるのは至難の業だ。


「動きのあるもの…か」

カイトは考え込んだ。城内で手軽に試せる「動きのあるもの」といえば…ネズミか、あるいは飛んでいる虫くらいだろうか。

そんな時、ふとリリアが訓練で使っている木剣が目に入った。

「なあ、リリア。またちょっとだけ、手伝ってもらえないか?」

「…またか。今度は何を企んでいる?」

リリアは呆れたような顔をしながらも、カイトの頼みを無下にはしなかった。


カイトは、リリアに様々な速さで木剣を振ってもらい、その剣先に小さな布切れを【付着】させる練習を始めた。

最初は全くタイミングが合わず、布切れは虚しく宙を舞うばかり。

「おいおい、そんなことでは話にならんぞ。魔物の動きはもっと速く、不規則だ」

リリアの容赦ない指摘が飛ぶ。

しかし、カイトは食らいついた。何度も失敗を繰り返すうちに、リリアの剣の軌道、速度、そしてスキルを発動するべき僅かな「瞬間」が、少しずつ見えるようになってきた。


集中力は極限まで高められ、額には玉のような汗が浮かぶ。

そして、数十回目の試みの末。

シュッ、と風を切って振り下ろされた木剣の先端に、カイトが放った布切れが、ピタリと吸い付いた。

「…やった!」

思わず声が出た。3秒後、布切れははらりと落ちたが、確かに成功した。

リリアも、わずかに目を見開いている。

「…ほう。今のタイミングは悪くなかった。まぐれかもしれんがな」

憎まれ口を叩きながらも、その声にはどこか感心したような響きがあった。


そんな地道な訓練を続けていたある日、城内に緊張が走った。

「ゴブリンの群れが、近くの村を襲っているらしい!」

「騎士団は既に出動準備中だ! 勇者様方にも、初陣としてご助力願いたいとのことだ!」

伝令兵の慌ただしい声が響き渡る。

他の勇者候補たちは、緊張と高揚が入り混じった表情で武器を手に取る。彼らにとっては、初めて自分たちの力を示す機会だ。


カイトは、その輪から外れていた。

「おい、カイト。お前は城で待機だ。足手まといになるだけだからな」

騎士の一人が、吐き捨てるように言った。

他の勇者候補たちも、同情するどころか、まるで当然というような顔で見ている。

悔しさが込み上げるが、カイトは何も言い返せない。今の自分に、ゴブリンと戦える力があるとは思えなかった。


リリアも騎士見習いとして出陣の準備をしていた。彼女はカイトを一瞥したが、何も言わずに足早に去っていく。その背中が、いつもより少しだけ小さく見えた。


城に残り、一人で薪を割るカイト。

「結局、俺は何もできないのか…? みんなが戦っているのに…」

無力感が再び彼を襲う。どれだけ訓練を積んでも、この【付着】スキルでは、直接的な戦闘力にはならないのではないか。そんな疑念が頭をもたげる。


その時だった。

「きゃあああ!」

城の中から、悲鳴が上がった。続いて、ガシャン!と何かが割れる音。

「何だ!?」

カイトが薪割りを中断して音のした方へ駆けつけると、そこには信じられない光景が広がっていた。


数匹のゴブリンが、城の裏口から侵入し、厨房で働いていたメイドたちを襲っていたのだ。

「まさか…ゴブリンが城内にまで!?」

騎士団の主力が村の救援に向かっている隙を突かれたのか。

メイドたちは怯え、隅で震えている。ゴブリンたちは下卑た笑い声を上げながら、彼女たちにじりじりと近づいていた。

近くに騎士の姿はない。他の勇者たちも出払っている。


カイトの頭が真っ白になる。

怖い。逃げ出したい。だが、目の前で怯えるメイドたちの姿が、カイトの足を縫い止めた。

「俺が…俺がやるしかないのか…?」

腰には、護身用にと渡された粗末な短剣が一振り。だが、こんなものでゴブリンに勝てるとは思えない。

頼れるのは、あの【付着】スキルだけ。


ゴブリンの一匹が、一番近くにいた若いメイドに手を伸ばした。

「やめろおおおっ!」

カイトは咄嗟に叫び、近くにあった手頃な大きさの石を拾い上げると、ゴブリンに向かって投げつけた。

石はゴブリンの肩に当たり、鈍い音を立てる。ゴブリンは驚いてカイトの方を振り返った。

「グギャ!?」

その醜悪な顔が、怒りに歪む。


「まずい…!」

カイトは直感した。ゴブリンの注意を自分に向けてしまった。

ゴブリンが、棍棒を振りかざしてカイトに襲いかかってくる。

(どうする…どうすれば…!?)

パニックになりそうな頭を必死に回転させる。

練習してきたことを思い出すんだ。タイミング、精度、そして何を付着させるか。


ゴブリンが棍棒を振り下ろす瞬間。

カイトは地面に転がっていた汚れた布切れに意識を集中。

(頼む、決まってくれ…!)

【付着】スキル発動!

布切れがふわりと舞い上がり、ゴブリンの顔面に、ペタッ!と張り付いた。


「グギッ!?」

視界を奪われたゴブリンは、バランスを崩してよろめく。棍棒の軌道も大きく逸れた。

「今だ!」

カイトはその隙を逃さず、ゴブリンの足元に転がっていた小さな木片に【付着】を発動。

ゴブリンが踏み出した足の裏に、木片がピタリと付着した。

「グギャアア!?」

不自然な感触に驚いたゴブリンは、さらに体勢を崩し、派手に転倒した。


その瞬間、カイトの脳内に、不思議な感覚が流れ込んできた。

まるで、パズルのピースがカチリと嵌まるような、そんな感覚。

そして、目の前に半透明のウィンドウが浮かび上がった。


【スキル:付着 が Lv.2 に上昇しました】

【効果時間:3秒 → 5秒】

【接着力:微弱 → 弱】

【クールタイム:5秒 → 4秒】

【新機能:付着対象の簡易操作(引き剥がす、僅かに動かす等)が可能になりました】


「レベルアップ…!?」

驚きと興奮がカイトの全身を駆け巡る。

実戦での使用、そしておそらくは「誰かを守る」という強い意志が、スキルの成長を促したのかもしれない。

効果時間と接着力が上がり、クールタイムは短縮。そして何より、「簡易操作」という新たな可能性!


転倒したゴブリンが起き上がろうともがいている。

カイトは迷わなかった。

新たな力で、今度はゴブリンが持っていた棍棒のグリップ部分に、近くに落ちていた粘土質の泥を【付着】させた。

「グギギ…?」

ゴブリンが棍棒を握ろうとするが、泥のぬめりで手が滑り、力が入らない。

さらにカイトは、スキルがLv.2になったことで可能になった「簡易操作」を試みる。

泥を付着させた棍棒のグリップに意識を集中し、「引き剥がす」イメージを強く描く。

すると、ゴブリンの手から棍棒がスルリと抜け落ち、床に転がった。


「な…!武器が…!」

他のゴブリンたちが、その信じられない光景に唖然としている。

カイトは、このチャンスを逃さなかった。

連続してスキルを発動。別のゴブリンの足元に小石を付着させて転倒させ、もう一匹のゴブリンの目に泥を付着させて視界を奪う。

直接的なダメージは与えられない。だが、確実にゴブリンたちの動きを封じ、無力化していく。

それは、まるでトリッキーな手品師のような戦い方だった。


メイドたちは、最初は怯えていたが、カイトの予想外の奮闘を見て、次第に驚きの表情へと変わっていく。

「すごい…あの人…」

「あんなスキルで、ゴブリンを…」


そして、全てのゴブリンの動きを封じ込めた時、城の騎士たちが騒ぎを聞きつけて駆け込んできた。

彼らは、床に転がり、あるいは顔に泥を塗られて呻いているゴブリンたちと、息を切らせて立つカイトを見て、何が起こったのか理解できずに立ち尽くす。

「こ、これは一体…?」


カイトは、荒い息を整えながら、小さく拳を握った。

ゴミスキルと馬鹿にされてきた【付着】。だが、それは確かに進化し、今、目の前の脅威を退けた。

それは、カイトにとって初めての「勝利」であり、彼のスキルが持つ無限の可能性を、ほんの少しだけ世界に示した瞬間だった。

最弱の烙印を押された男の反撃が、今、静かに、しかし確かに始まろうとしていた。

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