3.決闘
今日の乱痴気騒ぎがひとしきり落ち着いたあたり、ごろつきひとり、飛び込んできた。その手にあったものを見たとき、マルセリノの背筋は冷たくなっていた。
父母は死んだと聞いている。あるいは他の親族も。いるとすれば、誰だ。
「エルシリアと名乗っていた。あんたの妹だって」
その言葉に、怒りのほうが先に来た。
「お転婆め。お兄ちゃんと遊びたいってか」
「冗談きついぜ。あの女、大概だ。もう十五人は転がされている」
そんな馬鹿な。言葉は、引っ込んでいた。
もうすぐそこまで来ているという。着の身着のままで外に出た。
確かに、すぐそこにいた。男どもに囲まれ、あるいは足元に何人かの男を転がして、黄色いドレス、そして
間違いない。エルシリア。
「ようやく、お会いできましたわ。兄さま」
涼やかな声だった。汗ひとつ、かいている様子はない。
ひとり、前に出た。アベラルド。
「感動の再開の途中、悪いがね。ちょっとお付き合い願うよ、お嬢ちゃん」
憤怒の形相だった。転がされているのは確かに、アベラルドの手のものである。
「憲兵仕込みだ。
「それ、三人ほど同じことをおっしゃっていましたわ」
「ほざけっ」
アベラルド。圧の乗った突き。左手でいなされた。エルシリアの軽やかな切り払いを払い除け、切り下がる。しかしエルシリアも一気に間合いを詰め、突きを四発。それぞれ、なんとかといったていで受け流していた。
強い。
ぞっとしていた。これほどの剣はなかなかにお目にかかれない。もしや、エドムント叔父御にでも仕込まれたか。左手持ちなんぞ、今日び流行らない構えだぞ。
いずれにしろ、敵わないかもしれない。
踏み込んだ。エルシリア。突き上げる。狙いは、手元。
アベラルドの
アベラルドの口角が、上がった。
「やったか」
「阿呆、よく見ろ」
毒づいていた。
瞬間だった。エルシリアの
そこに、左手。喉元に。
「肘を伸ばしきっていなかった。だからああなる。巻き込んだらとっとと回さないと、逆に腕を持っていかれる」
言いながら、背筋は冷たくなっていた。
何がああまで、エルシリアを強くした。何がああまで、妹を駆り立てた。
膝立ちで呆然としたアベラルドを背に、エルシリアはこちらに足を進めた。しゃなりと
「かつてのイバニス侯オンディビエラが嫡子、マルセリノ・イサンドロに告ぐ」
涼やかな声。しかしやはり、怒気を含み。
「我が
短剣の
「貴殿に決闘を申し込む」
大音声。
呑まれた。そして、震えていた。
見渡す。誰も彼も同じように、すくみ上がっている。目が泳いでいる。
それでも。
女に剣を向けられ、応えぬは、男の恥。
「いいだろう」
振り絞って、なんとか吐き出した。
歩み出すたび、湧き上がってきた。怒り。殺意。恐怖を、塗りつぶしていく。
くそがきが。俺の邪魔をするなぞ、万死に値する。
立ちすくむひとりの腰から
何が誓いだ。何が
眼前に立つ。距離、三歩。半身で構える。剣先が、触れ合う。
「心ゆくまで遊んでやるよ。愚妹」
「愚兄、参る」
「おう」
火花。
相手は
前足は出しすぎてはいけない。膝を撃ち抜かれる。剣身の有効範囲内に留める。とにかく、前手を前に。恐れずに、前に。
しかし、左手持ちだ。構えは半身よりほぼ青眼。狙える場所は多い。騙しを入れて、迷わせる。選択肢の多さは、迷いの多さ。剣だけではない。蹴り。拳。迷わせる。鈍らせれば、斬れる。
それでも、突き。精密で、何より重い。刺す突きではなく、貫く突きだ。ちゃんと体から放たれている。あるいは左手。間合いを詰められれば、あれにやられる。
こめかみの横を何かが通り過ぎた。やはり剣。しかし、弾丸のようだ。面積の狭い点が、恐ろしい速度で飛んでくる。
間違いない。ひとごろしの剣だ。こいつの剣は、人を殺してきている。
切り払い。左手でいなされるのを、体ごとぶつかりに行く。切り下がりに、右手が間に合った。下からすくい上げる。今度は右手。閃光が五月蝿い。
エルシリア。表情。まだ余裕がある。微笑んですら。
くそったれ。
相手の右手が伸びた。距離が遠い。それでも、裂帛の気合。上段から、切り落とす。
まばゆく、散った。剣の落ちる音。
いや、軽い。
「てめえっ」
視線を戻したときだった。
突きつけられていた。伸ばした右手。
二歩、詰めてくる。思わず、下がる。そのうち足がもつれて、へたり込んでしまった。
体が震えている。銃口。撃鉄が、起きる。
殺される。
「お慈悲を」
叫んでいた。
「どうか、お慈悲を。神たる父と
口は勝手に、べらべらと動いていた。体も、勝手に。
エルシリアは動かない。撃鉄を上げ、銃口を突きつけたまま。
「
その頬に、ひとすじ。
「
見えた。エルシリアの顔。
あの頃と同じように、泣いていた。
「あなたにただひと言、ごめんなさいと言ってほしいと、それだけを願っておりました。私はただそのためだけに、それを叶えるためだけに、ここまで生きてまいりました」
銃口が、震えていた。体も、声すらも。
それで、体も口も、動いた。
「そうだ。クラウディア。愛するクラウディア。今だって愛している。だから許してくれ。そして帰ろう。なあ、それでいいだろう?それですべて元通りだ。そうだろう?エルシリア。もう、終わりにしよう。これからも皆、仲よくだ。なあ、そうしよう」
前のめりで、そして早口でまくし立てていた。そうだ、きっと本心を。
あの公爵家のご令嬢。見た目も最高で、金回りもいい。家柄なんて文句なしだ。実家の名も上がるし、俺の名だって。
あの時は、気の迷いだったのだ。酒場で出会った、いい感じの年増。
そうして俺の家が落ちぶれたことを知った途端、あいつは逃げた。その程度の愛だったのだ。
そうだ。全部、ちょっとした間違いだったんだ。今からでも直せる。今からやり直せる。そうだ、そうしよう。愛しのクラウディア。そして、俺の可愛いエルシリア。
やり直せる。絶対に、絶対に。
「兄さま」
エルシリア。そのひと言に、震えはなかった。
「そこまで落ちたか」
あらためて、銃口が向き直った。詰め寄る。二歩。眼の前。
額。突きつけられる。起きた撃鉄。
「待てっ」
爆音。確かに、聞こえた。
思わず、見やる。エルシリア。震えてはいなかった。
右手は、天を突いていた。
そのまま、エルシリアは踵を返した。そうしてまた、しゃなりと歩きはじめた。
まるで、何事もなかったかのように。
不意に、いくつもの人影が体に寄ってきた。そうやって、へたりこんだままのマルセリノに群がり、取り押さえてくる。体に、縄が巻かれる。
「てめえら、俺がお前らにいくら出したと」
「知ったことか、小悪党風情が。観念しろっ」
突きつけられる。剣先、銃口。それでも体をよじり、抜け出そうとする。縄と手が、それを許さない。
俺が、どうして、ここで、こんなところで。
「兄さま」
鈴の音、ひとつ。
「おさらばです」
そうやってまた、その黄色いドレスは背中を向けた。
(つづく)
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