旧友の来訪 14-3




「…………なあゼフィル。オマエ、戻ってこないか。協会に」



 ──まーたそれか。


 風献祭も明日に控えた午後。

 突如現れた旧友の、お決まりの文句に、ゼフィルは更にテンションを落とした。


 毎回これだ。

 アルセイド・バレヂは友だが、同時に魔導士協会の従者でもある。ことあるごとにこうして帰還を提案するのだが、ゼフィルの解はいつもひとつだ。



「ない。やなこった」



 即答してそっぽを向く。

 右の足を組み、不機嫌な頬杖を突いて反抗モードだ。


 しかし、アルセイドは続けるのである。

 店の戸口に立ち尽くし、出入り口を封鎖しながら、〈真にそう思ってる〉と訴えかける口調で。



「話をして確信した。オマエは協会にいるべき逸材だ」

「そのイツザイを追い出したのはどこの誰ですかね~。無能の役立たずだからね~。無理だね~」


「それは……! 愛する孫に言い過ぎたと、グランアバール大魔導士様も心を痛めておられる……!」

「死ぬまで痛めとけ。知らね」



「オマエが戻れば、我が国の魔道は飛躍を望める。オマエが研究の指揮を執れば、大陸制覇も夢ではない……!」

「…………『魔導は人を導き守るもの・魔道振りかざすべからず』……じゃなかったっけ? 制覇してどーすんだよ」

「────ゼフィル!」

「知らん」




 最早、懇願に近い訴えを一蹴。

 いつの間にか距離を詰め、目の前まで押し迫ったアルセイドの、若干乱れた息遣いが工房に響くが──ゼフィルは頑として動かなかった。



 椅子に座り直して腕を組む。

 組んだ腕の中でぎゅっと拳を握りしめ、ハァ、と短く息を吐く。




 アルセイドの想いは汲むが、どれだけ言おうが後の祭りだ。

 

 無理やり育ての親から引きはがされ、連れていかれた先でどんな想いをしたか。どれだけ旧友が誘いかけても、たとえアイツが謝ったとしても、それらは消えることはない。


 ──そう、過去を嫌悪で塗り直すゼフィルに、アルセイドの、心底落胆した音が漏れた。



「……悔やまれる。オマエほどの術師が……」

「《出した魔法は戻らねえ》。ジジイに言っとけよ。やったことも言ったことも、無かったことになんて出来ねえんだよ」



 ────っ……はぁ────……っ……

 アルセイドの溜息。



「溜息つきたいのオレの方な?」

 ゼフィルの短い牽制が飛ぶ。

 


 空気は最悪だ。

 まったく、どうしてこうも、人は〈他人の拒否〉を素直に受け入れてくれないのだろう。


 失念と拒絶が空気を張りつめさせる中、ゼフィルの脳に過ったのは先日のネリー。彼女は素直だった。自分の言葉を受け入れ、涙を流しながらも飲んでくれたのに。

 

 アルセイドの、ゼフィルに対する……いや、才能に対する執着は、ネリーの求愛が幼子の可愛らしいアピールに感じられるほどだ。


 ……まじで早く帰らねえかな、こいつ……



 もはや、完全に〈迷惑〉を隠さずに。

 間近で俯くアルセイドを視界の隅に、コリコリカリカリと頭皮を掻くゼフィル。



 沈黙の室内を、静かな時計の秒針の音だけが満たして──



 次の瞬間。

 ゆっくりとアルセイドが動いた。

 それはまるで、何かに引き寄せられたような動きで、ゼフィルがふと顔を上げた先。


 彼の指が持ち上げるのは、一枚の紙。

 モナが書いた、あのメモ書きである。




「……ゼフィル。これは、誰が書いたものだ?」

「うちのモ……いや、なんで?」



 聞いて思った。

 「聞くまでもない」と。

 アルセイドは文字オタクだ。 

 こんな、未知の文字を目にして興味が沸かないわけがない。

 

 メモを隠さなかったことも「しまった」と思った。先ほどまで見せようかと思っていたにも関わらず、だ。



 しかし、それら懸念や予想を体現するかのように、アルセイドは興奮気味に〈モナのメモ〉を指さすと、



「だって見ろゼフィル! オマエもわかるだろう!? この文字、見たことがない。この大陸のどの文字体系にも当てはまらない! どこにもだ!」

「……大陸の、どれにも?」


 瞳をきらめかせるアルセイド。

 彼は続けた。


「ああ、そうだ! ワタシが見てきた文字にこんなものはなかった! なあゼフィル、これは誰が書いたモノなんだ? こいつはどこにいる? オマエと関係のある人間なのかっ?」


「…………かんけーねえだろ。いくら昔の友達っつっても、答えたくねえことは答えねーからな、オレ!」

「……知っているんだろう? なら教えてくれ! ……この文字の主……! 会いたい! 会って話がしたい!」


「知らねーよ! 旅人じゃねっ? っていうか寄るなよ暑苦しーなっ! アルおまえほんと文字のことになると理性無いよな!」

「当たり前だろう! 文字はロマンだ! 文化だ! 暗号だ! こんなに奥深く先人が残した思いを読み解けるものなど無い!」



 どーん! ぎゅうううっ!


 ゼフィルの工房内。

 火炎魔法を背負う勢いで語り、固く握りこぶしを作るアルセイド。……に、ゼフィルは、内心の焦りを呆れで隠して沈黙した。



 ……まったく、このヤローは。

 普段は冷静クールを崩さないくせに、文字のことになると〈こう〉である。……とするならば、次に彼から出る言葉は決まっていた。



「なあゼフィル? この紙を預かり受けても構わないだろうか?」

「来ると思った。どちらかというと〈無理〉。その先のこと聞かれても、オレ答えらんねーし」


「欲張りはせんッ! これだけ! これだけでいいんだ!」

「…………」

「──ゼフィル、ワタシがどれだけ文字に魅了されているか知っているだろう!?」


「……まあ。うんざりするぐらいは。ウン」

「構わないだろうか? かまわないよな? これ一枚で良いのだ!」

「…………」



 こちらもドン引きする勢いで詰め寄られ、ゼフィルは思いっきり身を引き眉根を寄せた。


 自分の右側、寄りまくるアルセイドの顔が近い。

 ちらちらと気にしない方が無理ぐらい近い。

 そんな圧に耐え切れず、しばしの沈黙の後、ゼフィルは、しぶしぶと頷き絞り出していた。



「まあ。アルだけで楽しむなら」

「……いいのか! ありがとう、感謝する……!」

「…………」



 やれやれである。

 まあ、こういうところが友人として魅力的なのだが、このごり押し状態でモナに突撃するのだけはごめんだ。


 モナのことだからアルセイドに文字を教えるだろうし、アルセイドは熱心に聞きまくるだろう。


 ──そしたら気に食わないことになるのは目に見えている。



 ……ぜってー会わせない。



 そう、心に決めて。

 不機嫌な頬杖の手のひらの中、ぐっと唇に力を籠めるゼフィルの視界の中。



 満足げにモナのメモをしまい込んだアルセイドは、すぅっとにこやかな笑顔のまま振り向くと、まるで今日の天気の話をするような調子で、ひとつ。



「なあゼフィル。教会の探し人の件だが」

「…………あぁあぁ、はいはい」



 言われて、おざなりに返事をした。

 ちらりと横目で確認すれば、彼が来てから十数分経過している。早く帰宅してもらわなければ、いつモナが帰ってくるかわからない。


 ──それらの懸念を怪訝で隠して。

 ゼフィルはアルセイドに、大げさに腕を広げ茶化すように小首をかしげると、



「どーせ情報提供しろっつーんだろ? ったく、オレ、ここから見ておくだけだからね?」

「すまない。感謝する……!」


「……昔のよしみだよ。で。外見は? 特徴は? 逃げた時の状況は? はあ、オレってやさしーねえ、精霊様みたいだ」



 呆れとヤサグレ。

 自棄も交えて問いを投げる。

 しかし、それに返ってきたのは苦笑だ。

 ゼフィルのそれを好意と捉えた彼は、緩んだ口元を軽く隠すと、



「ははは、精霊には程遠いが、ワタシにとっての助け舟であることは間違いないな」



 味わうように述べて、またひとつ。

 和らいだ空気に便乗し、リラックスした様子のアルセイドは、曇りなき眼で述べたのである。




「──探しているのは、赤い髪に青い瞳の女検体だ。治癒定着施設より護送中、何らかの原因で失踪した。目元にほくろがある。見かけたら直ちに魔道を飛ばしてくれ」






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